第19話

 ジェイドとブラッドスが守護者ガーディアンを失った戦闘の行われたという森林に、カズヤたち4人は足を踏み込んだ。

 都市の正門からさほど離れてはおらず、道中でカルマが地中から這い出てくることもなかったため、予測した通りの時間で目的地に到達することができた。

 目的の森までの移動自体は問題なかったのだが、歩いている最中、カズヤにとっては驚くべき真実が明らかとなった。

 それは、新緑の葉が青空を覆い隠す森に入ってからもローラの歩調に合わせて歩いている大男――彼女の守護者についてのことだ。

 この世界に召喚されてから、彼とカズヤは何度も顔を合わせているが、大男のほうは毎度毎回カズヤを威嚇するように獰猛な眼力で睨むばかりで、これまで一言も声をかけてはこなかった。

 カズヤとしても、自分を敵視している男に話しかける気にはならず、男の不快な視線に文句をつけることもなかった。

 ゆえに、カズヤと大男は一度も言葉を交わしたことがない。

 それだけでなく、そもそもカズヤは彼が喋っているところでさえも、一度として目撃したことがなかった。

 会話が発生しなかったのは、ふたりが相容れない星の元に生まれたから、という理由ではないだろう。

 大男が喋らないのは、単にカズヤが嫌いというわけではなく、誰に対しても等しくそうなのだ。だから自分は、彼が喋っている場面でさえも目撃できないのだ。

 よほど寡黙な性格か、それとも何かしらの事情で喋れないのか。

 そのどちらかであると、カズヤは推察していた。

 その答え合わせが、つい数分前、地面の土が平原の乾いたものから森林の湿ったものに変わるまでの間に行われたのだった。

 そう。カズヤは、その理由を知った。

 大男が今日まで頑なに喋らなかったのは……


「カズヤくん。ここの土は他より柔らかいから、足元に気をつけて」


 妙に高い声色だが、女性の声帯から生まれた音ではなく、間違いなくカズヤと同じ性別を持つ人間の声だ。

 騎士団で用意された靴の裏で踏んでいる森の足場と同じくらいに、やわらかく優しげな口調。


「ん。どうしたのカズヤくん。前を見てないと危ないよ」

「……わりぃ。なんか、まだ慣れなくてな」

「慣れない? あぁ、たしかに、騎士団の靴って履き慣れるまで歩きづらいよね」

「いや、そうじゃなくてだな……」


 例の事件、そして3ヶ月前の事件の黒幕を捜すための調査には、セレスタとカズヤ、ローラとその相棒の大男で赴いている。

 となれば、この親しみやすそうな声の主はこの中にいるわけで、それが男性のものとなればカズヤの他には一人しかいない。

 その、強面の外見からは想像もつかない緩んだ声色と喋り方に、カズヤはまだ慣れていなかった。


「違うわよブレイズ。たぶんカズヤは、アンタの見た目と釣り合わないふにゃふにゃした喋り方に混乱してるのよ」


 勘のいいローラは、カズヤの言葉に込められた真意を易々と言い当てた。

 彼女の守護者である大男の名前がブレイズであることも、平原を進行している間に教えられた。

 ブレイズが、巨躯に似合わず弱々しく眉根を寄せる。


「それは、私がカズヤくんを毎回睨んでたからだよね? そうするようローラが命令したからだよね? ローラのせいだよね?」

「う、うるさいわね。アンタの性格にも問題アリでしょうが。ずっと敵視していた奴が、急にホモみたいな口調で話しだすんだから」

「同性愛はべつに悪くないでしょ? 私は最初からカズヤくんに話しかけたかったんだからね」


 ――喋る前より危なくなってる気がするぞ……。


 カズヤの背筋に未経験の寒い感覚がはしる。

 あの威圧的な眼差しの裏には、ある種の情熱が含まれていたらしい。そう知って思い出すと、無駄な妄想力が考えたくもない光景を具現させて、カズヤは一人静かに身震いした。

 ともかく、ブレイズがこれまで喋らなかったのは、ローラが彼にそう命令していたことが理由だったそうだ。


『あたしは他人と群れるのが嫌いなの。できるだけ一人で行動したい主義なの。だからブレイズには常に周りを威圧するよう命令しているわ。こいつは体躯もでかいし、第一開眼ファーストヴィジョンを使った状態で同じことをすれば、まず誰も近寄ってこないしね。守護者の特性を活かすのは騎士として当然でしょ?』


 孤独を好む主義らしいローラだが、共同作戦を遂行する以上、普段と同様のスタンスでは不適切と判断したらしく、ブレイズにカズヤたちと会話する許可を出したらしい。

 ローラは高圧的で付き合いづらそうな性格をしているが、周りにとって肝要なことを自己都合でおろそかにする愚か者ではないようだ。


「しかし空気の澄んだ森ですわね。数ヶ月前にここで凄惨な殺戮が起こされたなど、にわかには信じられませんわ」

「でも、ここで何人もの騎士と守護者が命を落とした。それは事実よ」

「疑うわけではありませんわ。先行した部隊は、このような獣道でなく、もっと広い場所で襲撃されたということですものね。それに時間も経過しておりますし、痕跡がないのも当然ですわ」

「そういうこと。で、喋ってたら肝心の“目的地”が見えてきたわよ」


 草木に囲われる薄暗い通路の奥に、樹木が織りなす檻の出口がみえた。

 のぞく木々のカーテンの隙間から、燦々と陽光が漏れている。

 森にはいってから随分と歩いてきたが、ようやく調査地点にたどり着けたらしい。

 第一開眼による身体能力強化を施していない生身のカズヤにとって、休みなしの長時間歩行は非常にきつかった。

 獣道を抜けたら調査の前に休憩させてもらおうと、そんな考えが頭をよぎった。


          *


 セレスタを先頭とした一行が、長い間歩いていた暗い空間を抜けた。

 許可をとってから休憩するつもりでいたカズヤは、結局無断のまま、日を浴びている硬い土に腰をおろそうとした。


 だが、


「……なに、アレ」


 つい数秒前までの弛緩した表情を固めて、怪訝そうに広場の一点を凝視するローラの姿を目にしたら、そんな気の抜けた行動をとろうとは思えなくなった。

 ローラ以外の2人も、彼女と同様に険しい瞳で、同じ地点に焦点を合わせている。

 それは、カズヤにしても同じだった。

 全体を樹木の壁に囲われた陽光の射す広場の一角に立ち、広場の奥にある一際太い幹の大木に注意を向ける。

 4人が共通して注視しているのは、しかし大木ではない。それは異様な大きさの樹木ではあるが、別段おかしいとは感じなかった。

 注意を惹かれたのは、その根元。

 大木の幹と、根を覆う土との境目にある、周辺の地面。

 そこの土が、明らかに他と異なった色をしていた。


「……見るからに、なにか隠してあるって感じだな」

「掘り返した形跡もありませんわね。あんなに目立つのに、騎士団の方々は調べずに放置したんですの?」

「あの日は雨が降ってたから、そのときは気づけなかったのかもしれないわ」

「そういえば、そうでしたわね。ということは、あそこに何があるか、まだ誰も調べたことがないと」


 緊張を解かぬまま、セレスタが不気味に変色した土の辺りに近寄っていく。


「なんとなく不穏な感じがいたしますが、わたくしたちは調査に訪れているのですから、確かめずに帰るわけにはいきませんわ」

「アンタ、なかなか肝が据わってるじゃないの」

「騎士団に所属する者として当然ですわ。目の前の異変を見過ごすような輩が騎士を名乗るべきではありませんでしょう?」

「ちょっと大仰すぎる言い方だけど、まあ同感ね」


 少女の風貌をした2人の騎士が先導して、変色した土に接近する。

 彼女たちの守護者であるカズヤとブレイズは、互いに顔を見合わせてから騎士のあとに続いた。

 乾燥した地面が、一歩踏むたびに乾いた音を立てる。

 虫の音も聞こえない世界から切り離された静寂のなか、4人の足音以外に耳に届く音色はない。

 喧騒に包まれる日常とは異なる、非日常を思わせる異様な無音空間。

 それが神経を敏感にさせて、これから確認しようとする“何か”に対する悪い想像を増長する。

 会話もなく、慎重な足取りで進み、4人は土の変色している部分を囲むようにして立ち止まった。


「間近でみるとマジで気味わりぃな……。腐ってるっつーか、茶色よりは黒にちけぇな。で、どうすんだこれ」

「調べますわよ」

「誰が?」

「そんなの、あなたたち守護者に決まっておりますでしょう」

「セレスタの言うとおりよ。落とし穴や剣山みたいな罠があったらどうすんのよ。主を守るのが守護者の本懐なんだから、しっかり働きなさい」

「しょうがないよカズヤくん。それが、この世界での私たちの運命みたいだから」

「まてまて! 落とし穴はともかく、剣山があったら俺は死ぬんだが?」

「それは困りますわ。ですので――」


 生身のまま罠にかかれば命を落とす可能性が高い。

 そう抗議しても動じないセレスタの反応をみて、いい加減カズヤも自分が次に何をされるかを想像できた。


「「第一開眼」」


 ローラとともに、セレスタは強制的に自分の守護者を変身させる呪文を声にする。

 カズヤとブレイズの身体が眩い白色の光に包まれて数秒後に収束すると、それぞれ騎士甲冑をまとうナイトと筋骨隆々のオークの姿に外観が変貌した。

 カズヤが例によって兜を投げ捨てると、丸太のごとく太くなった腕でブレイズがそれを拾い上げて、変色している地面の端に巨大な足をのせる。

 超重量級であろう大男が体重をかけても、地面に変化は起きなかった。


「いきなり足で踏むなんて……あなた、見た目に違わず大胆ですわね。唯一不釣り合いな喋り方を封印するローラの判断は正しいかもしれませんわ」

「…………」


 騎士たちは安堵して肩の力を抜いていたが、当の本人であるブレイズは罠の有無を確認した直後、一層表情を険しくさせた。


「ん、どうかしたのか?」


 いち早くブレイズの機微に勘付いたカズヤは、疑念をもって尋ねる。


「……下がって」


 それまでの柔らかな声音とは異なる緊迫した口調で、自身の主を含む他の3人にブレイズが命令する。

 ブレイズは返事を待たずに、手にしている兜をスコップの代わりにして変色した地面を掘りはじめた。


「なに? ブレイズ、説明しなさい。そこになにかあるの?」

「たぶんね。踏んだ感触が違ったんだ。きっとこの下には、空洞があるはず」

「隠されてるもんがあるっつーわけか」

「間違いなくね。そう深くないみたいだから、すぐにわかる――」


 ブレイズが言い終わらぬうちに、土の下に隠されていたものが片鱗を露呈した。

 掘り返された穴を覗きこむ4人の目に映ったのは、随分と土にまみれてしまっているが、大きな白色の布に包まれていると思しき物体だ。

 それが何なのか、4人にはすぐにわかった。

 ゆえに、全員が一様に声を失い、口を半開きにして硬直した。

 それは、そこにあるはずのないものだった。

 ブレイズは驚愕に染まりながらも手を動かして、白色の布が現れた周辺一帯の土を慌てて掘り返す。

 やがて埋葬されていたものの全貌が明らかになって、全員が完全に理解した。

 埋められていたものの正体が、最初に想像した通りであったことを。

 あまりに信じがたい真実を前に、騎士たちの思考が一時的に停止する。

 変色した土の奥に眠っていたのは、白色の布で作られた衣服――騎士団の騎士用制服と、それを着用している痩せ細った肉体だ。

 骨と皮だけになって原型を留めていないが、頭部の腐敗はそこまで侵攻しておらず、顔には生前の面影がかろうじて残っていた。

 すでに絶命してしばらく経過しているらしいその人物のことを、半年前から騎士団に属しているローラはともかく、つい先日この世界に来たばかりのカズヤでさえも知っていた。


 その死体は、


 土の下に眠っていた、その魂の抜け殻は、


 いまも騎士団に所属して活動している騎士・ブラッドスと同じ顔をしていた。

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