第13話

 無理矢理に睡眠から起こされて、カズヤは嫌々としながらも掛け布団をおしのけた。

 重い瞼を持ち上げ、僅かばかりの視界で眠りを妨げた奴の姿を瞳に収める。

 起こしにきたのはジェイドだった。彼に指示されて、カズヤは事情もわからぬまま周囲の慌しい雰囲気に押されて宿舎の外に出た。

 まだ夜だった。寝ついてから、さほど時間は経過していない。どうりで異様に眠く、身体が重いわけだ。

 カズヤの意識はぼんやりとしており、けだるそうな足取りで集合を命じられた正門へと歩いていく。

 ともに泊まっていた騎士団員たちが、敢然とした横顔でカズヤを次々と追い越して門に急ぐ。

 ただならぬ緊張に包まれるなかで、カズヤの存在は異質だった。

 巨大な門が見える位置まで移動する。

 日中は開いていなかった両開きの門扉が、いまは全開されていた。

 扉のそばには、カズヤの知っている顔が4人立っていた。

 めんどくさそうにカズヤが近寄っていくと、そのうちの一人が大股で憤然とした様子で近寄ってきて、第一声を発する前にとりあえずカズヤの腹部を殴った。


「ごはァっ!? ――いきなりなにすんだてめぇッ!」

「あら? 殴られるのは喜ばしいことではなかったのでなくて?」

「そいつはこまっちゃん限定だっつっただろ! 飼い犬を叩き起こすどころか寝起きに撲殺しようとするたぁ、とんだバイオレンスご主人様だなッ!」

「駄犬を調教するのも、飼い主の役目でしてよ」

「……マジで犬扱いか?」

「自分で言い出したことでしょうに。馬鹿な話をしている場合ではありませんの。目が覚めたなら、わたくしたちも交戦いたしますわよ」

「は? 交戦? 交戦、つーことは――」


 開け放たれている正門の先に視線をむける。

 第一開眼ファーストヴィジョンを解放したと思しき守護者ガーディアンや白色の甲冑をまとうフリッグ召喚騎士団の騎士たちが、闇に支配された草原で“何か”と戦っていた。


「敵襲、ですわ」


 剣呑なセレスタの声に、ぼやけた思考が鮮明になっていくのを感じた。

 

          *


 すでに戦闘がはじまっている夜の平原では、カズヤにとって容易には信じられない光景が広がっていた。

 戦うのはいい。騎士団と名乗っているくらいなのだから、戦うことはあるだろう。

 問題は、その相手だ。

 カズヤは騎士団が何と戦って、何から国を守るのか、漠然としか考えていなかった。

 おそらく、敵と呼ぶべきは他国の似たような組織に属する人なのだろうと。

 けれども、じかに騎士団が戦闘しているところを見て、団員たちが敵視している存在の正体を知って、自分がまだこの世界についていかに無知であるか思い知らされた。

 団員たちが必死に戦っている相手は、人でも動物でもない、カズヤのいた世界では見たことのない異形のものたちだった。


「敵っつーのは同じ人間じゃなかったのかよ!」

「ええ。現代において、わたくしたちが敵と呼称するのは、あの正体不明の不気味なものたちでしてよ」

「ってか、ありゃなんだ? 影かと思ったが、黒く塗られた……人骨か? わりぃが、いまどき骸骨人間くれぇじゃ驚きにかけるってもんだぜ」

「珍しくありませんの? カズヤの世界には、カルマはいなかったのでしょう?」

「カルマ?」

「そうですわ。わたくしたちは、あの黒色の骸骨の怪物をそう呼んでおりますわ」

「ああ、そういうことか。いや、アレと同じもんがいたってわけじゃねぇが、似たような化物を何度も創作物で見せられたからな。それこそ、見飽きるほどくれぇに」

「ですが、ここは現実ですわよ?」

「関係ねぇよ。俺からすりゃあ、この世界そのものが創作物みてぇなもんだ」

「それは頼もしいですわ。でしたら、あれだけ俊敏に動く骸骨を見ても恐怖は覚えないというわけですのね?」


 言われて、平原で団員と交戦しているカルマに注目する。

 右腕の肘から指の先までの骨が鋭利な刃に変形しており、その凶器を振りかざしては、手近な団員や守護者に襲いかかっている。

 団員が反撃に転じれば骨格だけの細すぎる身体を翻して、すぐさま苛烈にカウンターを返している。

 肉も皮もない骨だけの化物が、信じられないくらいの運動能力で命ある者を自分たちの住む黄泉の世界に引きずり込もうとしていた。

 それも、一体だけではなく、何十体もの骸骨が、群れをなして。


「……ありえん不気味すぎる」

「強がらなくともよいですわ。あのアヤネだって、初見では怖がっておりましたもの」

「誰だって、あんなものを見せられたら言葉を失いますよ。いまもまだ慣れてませんし」


 隣で戦場を眺めていたアヤネが、カズヤに同調する苦々しい笑みをみせた。


「それも驚きだ。おめぇにも怖いものがあったとはな」

「……和也くんは、いったい私をなんだと思っているのですか?」

TOティーオー

「……その呼び方は、やめてくださいと言いましたよね?」

「すいません」


 睨まれたりしたわけではなかったが、明瞭な嫌悪感と威圧感の入り混じった声色に、謝る以外の選択肢を失った。

 しかたない。アヤネを怒らせて喧嘩に発展すれば勝ち目は毛ほどもないのだ。頭を下げるしかないのだ。

 戦っている団員たちと温度差のある会話に興じていると、後ろから走ってきたジェイドとマリナが合流した。


「暢気に会話するのも悪くないが、それは平和なときにしてほしいね。僕たちも急ぎ加勢しよう」

「アヤネはここで見てればいいよ。今回は敵の数も少ないし」

「わかりました」

「すまないねアヤネくん。せっかく来てもらっているのに、見物するだけでは暇だろう」

「いいえ。気にしないでください。私は戦うことが好きというわけでもありませんから」

「そう言ってもらえると、僕の溜飲も下がるよ」


 そばで交わされた会話に合点がいかず、カズヤはセレスタに話しかける。


「アヤネが戦わないって、どういうことだ? あいつがドラゴンになりゃあ戦闘もすぐ終わるんじゃねぇの?」

「そんなの単純なことでしょう。もう少し頭を使いなさい。人は考える生き物であるから人でいられるんですのよ」

「うっせーな。いちいち説教たれなくたっていいじゃねぇか。あー……アレか? 膨大なエネルギーを消費するから、昨日の今日じゃあ変身できねぇ、とかか?」

「ぜんっぜん違いますわ。薄々勘付いてはおりましたけど、カズヤって頭が悪いのではなくて?」

「悪かったな高卒で。そんじゃあ馬鹿な俺にもわかるよう教えてくれるか? 頭の良いセレスタさんよ」

「そう複雑な話でもありませんわ。カズヤが先にいったように、アヤネが介入すればこの規模の戦闘はすぐに終結するでしょう」

「なら、それでいいじゃねぇか」


 俺の指摘に、セレスタが「まだ理解できないのか」と露骨に失望をはらむため息をつく。

 その仕草を見せつけられて、カズヤは少しイラッとした。


「んだよそのため息は。そもそも、おめぇだってこれが初めての戦闘じゃねぇのか? 入団して2日目なんだろうが」

「初めてであろうと、想像に易いことですわ」

「ほーう。んじゃ訊くが、アヤネが介入して戦いがすぐ収まっちまったらどう都合がわりぃんだ?」

「ズバリ、他の団員が実戦の経験を積めないからですわ。そうでしょう、マリナ」


 横を向いて、こちらを見物していたマリナにセレスタは確認をとった。

 なぜかニヤついているマリナはふたりの会話に聞き耳を立てていたらしく、話を振られても動じず、素直に首肯する。


「そうだよ。あとは、第一開眼を使ったアヤネが同じ場所で戦うと、味方にも被害がでちゃうからね」

「……やっぱ俺は骸骨よりおめぇが怖いわ」

「ちょっとひどいですよ! ――でも、その私をも恐れなかった和也くんなら安心ですね」

「なにが?」


 むすっと頬を膨らませたあと、アヤネは優しく微笑んだ。

 彼女の柔和な表情から紡がれた言葉に、カズヤは困惑を覚える。

 アヤネのいった言葉の意味を悟ったのは、そばにいたジェイドが腰に帯びた鞘から剣を引き抜いたときだ。


「いこう。カズヤ、セレスタくん。初めてだろうから、あまり無理はしないように。マリナくん、問題ないとは思うが、今回は2人のことを気にかけてやってほしい」

「ジェイドに言われなくたってそのつもりだよ」


 マリナも同じように長剣を引き抜く。


「は、はいっ! お気遣い恐悦地獄でございますわっ!」


 なんとも仰々しい言葉とともに、セレスタも剣を抜いた。


 ――この流れは……。


 状況から考えて、自分の名前が呼ばれた理由はひとつしかない。

 常識で考えれば、剣術どころか武術の心得すらないカズヤが戦闘に参加したところで、熟練した騎士たちの足を引っ張るだけである。

 参戦すれば邪魔になるだけで、どこかに隠れてもらっていたほうが戦いやすいとさえ思われるのが当然だ。

 しかし、ジェイドは自分の名前も呼んだ。

 ともに戦う騎士の一人として、戦力の頭数に含まれていた。

 それは、つまり――“あの姿”になって戦え、ということ。


「カズヤ、用意はいいですわね」

「まて、俺は戦うなんざひとことも――」

「第一開眼ッ!」

「まてええぇぇぇ!!!!」


 制止の抗議もむなしく、セレスタの宣言とともにカズヤの視界が眩い光に包まれる。

 輝きが収まると、昨日と同じように一瞬のうちに鈍色の全身鎧をまとっていた。

 今度はうまくかぶれたようで、兜をつけたままでも細く開けられた隙間から正面をみることができた。

 しかし視界が悪く、やはり兜ははずすことにした。


「俺もこれで戦えっつーのか」

「それ以外に、どんな解釈ができますの?」

「あいつらにやられたら死ぬんだよな?」

「実戦なんですから、危険を伴うのは当然でしょう」


 なにをいまさら、という具合に言われているが、自ら志願して戦いに身を投じることを望んだセレスタとは違い、カズヤは意思に関係なくつれてこられたのだ。

 死を恐れるのはあたりまえである。


「大丈夫、そう簡単に死んだりしないって。ぼくもついてるんだし」


 マリナが勇気づけるように、カズヤに声をかけた。


「まぁ、助けるかはわからないけどねー」

「おい……」

「じょーだんじょーだん!」


 怖がっているカズヤを面白がってか、マリナは楽しそうに軽口をたたく。

 マリナはセレスタの先輩だ。セレスタとは違い、実戦の経験もあるのだろう。

 それなのに、戦いを知っている彼女があまりにも緩い雰囲気を醸しているので、命を落とす可能性を過剰に危惧している自分が臆病に思えて恥ずかしくなった。

 その恥ずかしさを隠すため、カズヤは戦場のほうに目をやった。

 できる限りの、勇ましい目つきで。


「……やるしかねぇってか。ここを守らなきゃ、街がやべぇんだろ? 押しつけられた役割だが、放り投げるわけにもいかねぇよな」

「お、やる気になったねー」

「それでこそ、わたくしの守護者ですわっ!」

「カズヤ、君の力を、また僕に見せてくれ」


 完全に周りにのせられてしまっていたが、カズヤは悪くない気分だった。

 民衆を守るために、前線で敵と戦う。

 男に生まれれば誰もが一度は妄想したことのある憧れのシチュエーションだ。

 恐れはあるが、恐怖を拭い去れば、使命感めいた熱い感情がわきあがってくる。

 すっかり戦う気になったカズヤは、自分も他の3人と同じように、腰の鞘から剣を――。


「…………俺の剣は?」

「念じなさい」

「フルーツダガーのことを言ってんなら、あんなもん邪魔なだけだ。そうじゃねぇ。おめぇたちの持ってる立派な剣だよ。俺の分は?」

「すまないねカズヤ。守護者に剣は支給されないんだ」

「大丈夫だよカズヤ。君ならなんとかなるって」

「マジ?」

「たぶん」

「……」


 どうにも納得がいかない。

 このまま戦っても本当に問題ないのだろうか。

 逡巡してると、ジェイドが他の者たちを置いて正面の敵に駆け出した。


「先にいかせてもらうよ。カズヤ、セレスタくん。初陣、がんばってくれたまえ」

「はいっ、ジェイド様っ!」


 目を燦然と輝かせてセレスタが応じる。


「わたくしたちも行きますわよっ! 見ててください、ジェイド様っ!」

「お、おい、俺は武器がねぇんだぞ!」

「だったら殴ればいいじゃないですの。いいから行きますわよっ!」

「無茶いうな――おい、引っ張るな! くそっ! なんつー腕力してんだおめぇ!」


 嬉々として敵陣に突撃するセレスタに、カズヤは鎧の襟首のあたりを掴まれて強引に引っ張られる。

 無理に引き摺られて土に足跡の軌跡を描くカズヤは、ひたすらに泣き言をわめいていた。

 その光景を眺めて、2人のあとを苦笑しながら歩いていたマリナは小さく呟いた。


「ほんと、仲良くなるの早いなー」

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