第12話

 夕食を終えてしばらく経ったあと、セレスタは一人で宿舎を出て、外壁のうえにやってきていた。

 初めての哨戒活動は、セレスタにとっては非常に感慨深く感じるものだった。

 幼い頃からずっと憧れていた、この国を守る権利をようやく与えられたのだ。

 それは、少々大袈裟ではあるが、この国の平和を任されたということだ。

 憧れの人が治める、この国を。

 召喚した守護者ガーディアンがもっと強ければ……と思わないわけでもないが、能力は抜きにして、カズヤという人物の度胸は評価している。

 勝てるわけがないのに、カズヤはアヤネとの戦いから逃げずに立ち向かった。

 その勇気は本物だ――と思いたい。そのあとで、ローラに挑発されたときには気圧されていたことが気になったけれど。


「まあ、こうなってしまった以上、地道にやっていくしかありませんわね」


 即座に女王の近衛兵になれる可能性は消えてしまったが、その道が潰えたわけじゃない。

 ここから功績を積み重ねていけば、いつかは女王を守る立場にもなれるはずなのだ。


「ルナフランソ様……いつか、必ず」


 外壁のうえから夜に沈む平原、闇に解ける山脈を眺めて、セレスタは己の中にある決意をたしかめる。

 この胸に抱く信念は、決して揺るがないものであると――。


「おや、こんな夜中になにをしているのかな」


 突然、背後から声をかけられたので心臓が飛び跳ねた。

 咄嗟に振り返って、セレスタの胸はより激しく動揺する。

 それは、後ろに立っていたのが、思わぬ人物だったから――

 その声の主が、他ならぬ彼だったからだ。


「ジェイド様っ!? ど、どうしてこちらに!?」

「大した理由じゃないよ。異状が起きてないか、自分の目で見て回っていただけさ」

「しかし、ジェイド様は外壁警備の担当ではありませんよね? 昼間はお姿を見かけませんでしたし」

「騎士団の仕事としてきているわけじゃないよ。詰所にいても暇だからね。たまにこうして見張りの真似事をするのが、個人的な習慣なんだ」

「なんと……! さすがジェイド様! すばらしい習慣ですわ!」


 ジェイドの説明に、セレスタは深閑とした夜中に大きな歓声をあげた。

 騎士になる以前からセレスタはジェイドのことを知っていた。というより、この街でジェイドという騎士を知らぬ者のほうが少ない。

 それも当然である。

 清廉潔白勇敢果敢で容姿端麗。誰もが描く理想の騎士像がそのまま形になったようなジェイドを、人々が賛美しないわけがないのだから。

 騎士を志していたセレスタにしても、その感情は同様だった。


「そういうセレスタくんも、こんな遅い時間まで警備とは感心だね。もうカズヤたちは寝ているんじゃないかい?」

「わたくしは、その、まだ眠る気になれませんの」

「気になることでもあるのかい?」

「いえ、そうではなくて……恥ずかしながら、少々興奮してしまっているようでして」

「興奮?」

「ああいえっ! べ、べつに、情欲に襲われているわけでございませんわっ! 誤解しないでくださいまし!」

「ははっ……心配せずとも、そんなふうに解釈してはいないよ」


 余計に誤解を招きかねないセレスタの弁明に、ジェイドは当惑しつつ苦笑いで応対する。

 憧れの騎士が思いに触れてくれたことで感慨深くなったセレスタは、外壁のそとに身体を向けて、目を細めた。


「わたくしは、幼い頃より騎士を志しておりました。ゆえに、こうして現実に騎士となり、愛する国を守る役目を与えられたことにひどく胸が高鳴ってしまいまして……申し訳ありません。ジェイド様は、こんな子供っぽい女性は嫌いですわよね」

「いいや。僕はいいと思うよ。そういった心は、何かを守るうえでは必要なことだろう?」

「ジェイド様……っ!」

「他人にはできない偉業を成すために、強い感情は必要不可欠だ。セレスタくんが抱いている気持ちは、決して恥ずべきものではないはずだよ」

「ジェイド様にそういっていただけるなんてっ! わたくし、騎士を志してほんとうによかったですわっ!」

「僕なんかの言葉で喜んでくれるなら、僕としても嬉しいよ」


 セレスタの本心からの歓喜に、ジェイドも爽やかに微笑みを返す。

 大袈裟なように聞こえるかもしれないが、こんなふうに2人きりで、同じ騎士としてジェイドと話せることが、セレスタは夢ではないかと疑うくらいに嬉しかった。

 どうせ夢かもしれないのなら、もっと大胆になってみよう。

 セレスタはジェイドに向き直って、彼の整った顔を見据えた。

 けれども、頬が急速に熱を帯びていくのを感じて、すぐに視線が重ならないよう微妙に目を逸らした。

 それでも言いたいことだけは伝えようと、控えめながらも口をひらく。


「じ、じつは、ジェイド様に前々から訊きたかったことがございまして……」

「そうだったのか。遠慮せずに訊いてくれていいよ」

「わ、わかりましたわ。では、単刀直入にお尋ねいたしますけれど……」

「なんだい?」


 すっかり赤くなってしまった顔のまま、再び必死にジェイドの瞳を見つめる。

 そして、人生で初めて声にするその言葉で、憧れの相手に問いかけた。


「そ、その、いま……さいしているお相手はおりますの?」

「ん? すまない。よく聞き取れなかった。もう一回言ってくれるかな?」

「え、あ……ええと……ジェイド様は……交際……しているお相手はおりますでしょうか?」


 そこまで言って、セレスタはすぐに後悔した。

 訊いてみてすぐに、いかにくだらない質問をしているのか自覚したからだ。

 同じ騎士として、などと喜んでいたくせに、話しているのは妙齢の同姓が興味を持ちそうな内容そのものだ。

 それは、誇り高くあるべき騎士として不相応な言動ともいえる。

 軽蔑されたかもしれないと不安になったが、質問された当人のジェイドは、気にしたそぶりもなく平然と答えた。


「交際かい? そういった関係の女性は、僕にはいないけど」

「っ! やりましたわっ!!」

「やりました……? はははっ……そんなに僕に相手がいないことが嬉しいかい?」

「い、いえっ! 決して悪い意味で言ったわけではありませんのっ!」


 相手がいない。

 いないのならば、ここでいうしかない。

 いまいわなかったら、きっと誰かに先を越されてしまう。

 自尊心が尋常ではないほど高いセレスタにとって、異性として魅力的に映っているのは、現状ジェイド以外には誰もいない。

 ここが好機というのなら、付き合いの日が浅いとしても、玉砕覚悟で挑むべきだ。

 幼い頃から騎士になるために培ってきた度胸を振り絞り、セレスタは決然とした表情で頬を赤く染めたまま、より強い眼差しでジェイドを正面から見つめる。


「ジェ、ジェイド様っ! そ、そそそその、も、もしよろしければ、わ、わたくしと――――」

「……セレスタくん、どうやら、雑談に興じてる暇はなくなったみたいだ」

「………………え?」

「後ろを見てみたまえ」


 ジェイドはセレスタから顔を逸らして、外壁のそとに広がる平原のほうを睨んだ。

 ただならぬジェイドの雰囲気にセレスタは気圧されて、ジェイドの気配を変えた要因を探ろうと、促されたとおりに振り返った。


 ――っ!


 指示された方角を見て、すぐにジェイドの顔が強張った理由がわかった。

 暗闇に沈んだ平原。

 本来の新緑が夜の漆黒に覆われた景色。そのなかに、違和感の正体はあった。

 視界に映った平原の数箇所の土が不自然に盛り上がり、そこから闇よりも深い色の“何か”が這い出てきている。

 腕、肩、頭、胴体、足。悠長に緩慢な動作で地中から姿を現したのは、人骨に似た全身を影のごとく暗黒に染めた異形の存在。

 一体だけでも不気味に思うには充分すぎる闇より濃い骸骨の怪物が、視界の端々から次々に出現していた。


「宿舎に戻ろう」


 一方的に指示して、ジェイドは階段を小走りでおりていく。

 セレスタも続こうしたが、その前にもういちど外の情景に目をやった。

 このフリッグ小国は、幸福なことに現状は他国との戦争状態に陥っていない。

 戦争をしているわけではない。

 しかし敵襲は多く、時には騎士団の者が命を落とすこともある。

 その昔、まだ平和が訪れる前の時代では、他国の騎士団を「敵」と呼んでいたそうだ。

 長い時間がながれて、フリッグ小国は世界に点在するどの国家よりも平穏に暮らせる土地になった。

 ……そのはずだったのだが、平和が訪れてからしばらくして、勝ち取った穏やかな日々を破壊しようとする別の“敵”が現れた。

 正体不明の、この世界で唯一、生命の鼓動を感じられない群れをなす異形の怪物。

 それこそが、現在フリッグ召喚騎士団が「敵」と呼称する存在であった。

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