第11話
「うっはぁ……こりゃまたすげぇな」
遠目ではいまいち大きさが測れなかったが、街全体を囲っている外壁は想像以上の高さがあった。
バルドル詰所の二階層分ぐらいに匹敵している。約20メートル前後はあるだろう。
「壁をのぼって侵入できるようでは意味がありませんもの。無駄に高いわけではありませんのよ」
「入口は、そこの正門だけなのか?」
視界を覆う壁の一部に、巨大な窪みに嵌った門扉がそびえている。
高さは外壁の半分以下ではあるが、それでも6、7メートルあるのは間違いない。
「そうですわよ。ここは国境ですもの。そういくつも扉があっては、警備が行き届きませんわ」
「といっても、この国の入口がここだけってわけじゃないけどね」
「どういうことだ?」
「国境に隣接する国内の他の都市にも、似たような外壁と入口があるってことだよ」
「つーことは、その他の都市の入口も騎士団で防衛してんのか」
「そーゆうこと。まー、ぼくたちはバルドル支部に勤務してるから、このバルドルの国境だけを守っていればいいんだけどね」
「けれど、マリナは近日中にヒュミルに飛ばれるのでしょう?」
「思い出させないでよセレスタ。せっかく忘れようとしてるんだからさぁ。……はぁ。忙しくなりそうでいやだなぁ~……」
「『ヒュミル』っつーのは、都市の名前かなにかか?」
聞き覚えのない単語が登場して、カズヤはセレスタにたずねる。
「ええ。城塞都市ヒュミル。バルドルの正反対にある国境に面する都市ですわ。国内で最も大きな都市で、その広大な土地を活かした農業が盛んな都市でもありますのよ」
「なんだマリナ。主席のくせに引退して農家に転職すんのか。んなことしたら、騎士団の幹部に泣きつかれんじゃねぇか?」
「そんなわけないじゃん。カズヤは馬鹿だなー」
「……なんつーか、おめぇに言われるとすげぇ腹が立つな」
カズヤは苛立ちを眉間に滲ませる。
彼に説明をする意思がなさそうなマリナをみて、セレスタが小さくため息をついた。
「主席であるマリナを騎士団が易々と手放すわけないではありませんの。そうではありませんわ。ヒュミルは直近2ヶ月、頻繁に外敵の猛攻を受けておりますの。それで、この緊急事態に対処するために、国内の優秀な騎士をヒュミル支部に集めておりますの。マリナは入団して日が浅いのと、防衛の主力としてバルドルに留まっておりましたけれど、ヒュミルへの苛烈な攻撃がはじまって以来こちらには小規模の襲撃しか起きていないことを鑑みて、声がかかったということですわ」
「要は出張ってことか。主席騎士サマは大変だなぁ」
「めんどくさいだけだって。ね、アヤネ?」
「国が危険な状態なんですから、しかたないですよ」
「……普通、こういうときは怪我とか命を落とす危険を心配しそうなもんだが……まぁ、おめぇらには縁のない話か」
「かもしれませんね。ドラゴンになると、私はすごく強気になって恐怖も感じなくなるんです。あの状態なら、誰にも負ける気がしませんよ」
「対峙した俺が保証するわ、それ」
ドラゴンになることも戦うことも、アヤネは当然のことであるかのように受け入れている。
伊藤小町のオタクとしても、こちらの世界に飛ばされた日本人としても、人生の経験年数においても先輩のアヤネは、もう充分にこの世界に順応してるようだった。
「あ、そうだ。カズヤもセレスタも外壁にくるのは初めてなんだし、せっかくだからのぼっておきなよ」
声をかけられてカズヤがマリナのほうに向くと、マリナは外壁の一部を指差していた。
その指を手前から奥にたどっていくと、外壁を登るために設置されている階段が見えた。
外壁は結構な厚みがあるようで、壁の上に作られている道も、狭くはないくらいの幅があった。
カズヤは欄干に手を置いて、国境の外側に続く景観を眺める。
手前に薄緑の草原が広がり、濃密な色の森林が奥を支配する。森と空の境界には、頂上付近に雲がかかっている山々がそびえていた。
大自然だ。
圧倒的なまでに生気に満ちた光景である。
「いい景色じゃねぇか」
「アヤネから聞きましたけれど、カズヤの世界でも似たような景色は見れたのではなくて?」
「俺は都会生まれの都会育ちだからな。ここまでの大自然は新鮮だ」
「自然がめずらしい、というわけですの? いったいどんな環境で育ったのか興味ありますわね」
「はぁん。お嬢様に憧れる奴は、都会にも憧れてるってわけか」
「むろんですわ。女王様のお住まいになっている王都は、都会と呼ぶに相応しい栄えた都市ですもの」
「憧れの人がいるから、つーことか。おめぇらしいな。俺としても、その気持ちには共感するわ」
推しアイドルが住んでいる街なら、それに勝る惹句は思いつかない。カズヤもまた、伊藤小町と同じ街に住みたいという欲求を何度も抱いたことはある。
だが、それはもう叶わない。
こんなことになるなら、借金をしてでも移住しておけばよかった。
……だとしても、異世界に飛ばされる運命は変わらなかったのかもしれないが。
後悔に沈むカズヤは、どうにもならないことは忘れてしまおうと深呼吸によって気分を癒す。
豊かな自然に流れる空気は清潔で、匂いも味もないはずなのだが、元の世界よりも妙においしく感じた。
気を取り直して異世界の自然を堪能しようとしていたカズヤだったが、その耳に遠くから近づいてきている足音が届いて、音の方角に視線を移した。
街の外にある広大な自然から、外壁の上に作られた視界の端まで続く通路の一部へ。
「っ! あの男は……っ!」
足音の正体を知って、セレスタは露骨に嫌そうな表情をみせた。
「あれ? セレスタ、あいつ知ってるの?」
「あれは傍観者ですわっ! しかも、自分が傍観者であることに一切の恥じらいも感じられない卑怯者ですわよっ!」
「昨日、おめぇらとの試合前に揉め事がどーとかいってただろ? あいつは、セレスタの介入したその揉め事を傍観してたってわけだ」
不充分な説明をフォローすると、セレスタの話に眉をひそめたマリナも合点がいったらしく「なるほどねー」と納得した。
マリナの反応からして、“あの男”に対するセレスタの評価は、決して彼女だけの個人的なものというわけでもないようだ。
「団内の嫌われ者ってやつか?」
「そーだね。あんまり良く思ってる団員はいないんじゃないかな」
「名前はなんつーんだ?」
「ブラッドス」
「……名前からしてヤバそうな響きだな」
「――聞こえてるぜ」
痩せ細った身体を猫背に傾けて、ブラッドスは愉快そうに口を挟む。
ブラッドスの顎鬚は無精に伸びているが、顔立ちが老けていることもあり、不潔という印象は薄く妙に似合っている。
改めてみた風貌からして、年齢は少なくとも自分よりは年上だとカズヤは思った。
「まァどうでもいいさ。好きだの嫌いだの、暢気にそう言っていられるうちに、心ゆくまで口にしてりゃあいい。俺には関係ないことだ」
「ブラッドス、どうしてここにいるの?」
「――これはこれは。うちの主席騎士さんこそ、何を目的にこちらに?」
「警備だよ。今日から2日間ね。ブラッドスも?」
「俺はただの散歩ですよ。にしても、主席騎士さんがいれば、ここは安泰でしょうねぇ……。“他”は知りませんが。くっくっくっ……」
気味悪く口元を歪めるブラッドスは、意味深な言葉を残してカズヤたちの横を素通りしていこうとした。
「お待ちなさい」
ブラッドスの発言を訝しんで口をつぐむマリナに代わり、セレスタが彼の背中を引きとめる。
「あなた、その『他』というのは、どういう意味ですの?」
「そのままの意味だよ。警戒すべきは国境ばかりじゃねぇってわけさ」
「濁さず、具体的に申し上げなさい」
「さすが、お嬢様は態度が高圧的だ。――ああ違う。間違えた。お前はお嬢様じゃなく、エセお嬢様だったな」
「……上等ですわ。わたくしと決闘したいと、そうおっしゃっているのですね。そうならそうと、初めからわかりやすく言ってくれればよろしいですのに」
セレスタは腰に帯びた剣の柄に手をかける。
しかし、対するブラッドスは彼女に応じなかった。
「遠慮しとくぜ。俺は臆病なんでな。同じ団員とやりあうつもりはない」
挑発にはのらず、ブラッドスはセレスタの制止に構わず階段をおりはじめる。
セレスタは階段に駆け寄って、眼下に向かって声を荒げた。
「待ちなさい! 質問の答えを聞いておりませんわよっ!」
「自分の頭で考えてみるんだな」
一度振り返ったブラッドスは斜め上にいるセレスタを見上げると、答えにならない答えを返した。
そう返答してからは、なにを言っても遠ざかる彼の足が止まることはなかった。
「ぐぬぬぬぬ……! 気に入りませんわっ! なんなんですのあの男っ!」
「嫌われ者って陰口叩かれるくらいには無愛想だよねー。相手にされないことが一番嫌いなセレスタとは相性最悪かも」
「このわたくしを無視するとは、よほど自分の実力に自信がないのでしょうね!」
「それ、言ってて悲しくならない?」
無自覚に自分を卑下するセレスタにツッコミをいれたあと、マリナは神妙な顔をみせた。
「けどさ、昔はちがったらしいんだよね」
「違うって、ブラッドスのことか?」
「うん。ぼくも入団したのはつい1ヶ月前だから知らないけど、彼、3ヶ月前までは社交的で明るい性格だったらしいよ。顎鬚もなくて、見た目も若々しかったみたい」
「信じられねぇな。俺は伸ばそうなんざ思ったこともねぇが、髭を伸ばす奴ってのはああいう不精な感じをワイルドだと勘違いして悦に浸ってるにちげぇねぇ。そんな変わった嗜好、急に生まれるもんでもねぇと思うが」
清潔だった男が、ある日いきなり不潔を好むようになった。
決して起こりえないわけでもないと思うが、理由もなく気まぐれで変わる軽い意識でもないはずだ。
なにか、きっかけとなるような出来事があったのなら話は別だが。
「でしょー? ぼくも信じられなかったよ。だけど、3ヶ月前に起きた悲劇を聞いたら、変わってしまったのもしかたないのかなって」
「悲劇?」
「敵の大規模な襲撃があってね。その戦いで、多くの犠牲が出たんだ。そのとき、ブラッドスは自分の
「ジェイド様も守護者をやられてしまったという戦いですわね」
「うん。ジェイドは翌日から復帰したけど、ブラッドスは守護者を失ったショックが大きかったみたいで、1ヶ月と半月くらい、自宅に篭ってたそうだよ。で、次に出てきたときには、以前の彼からは想像もつかない無愛想な男が出来上がってたってわけ」
見たところ、ブラッドスは結構な年齢であることがうかがえた。
つい最近に守護者を失ったとなれば、それはつまり、長年付き添った戦友が命を落としたということか。
大切に想っていた人が亡くなった深い悲しみに、彼の心は耐えられなかったのかもしれない。
「心が壊れた、ってわけか」
「その可能性は考えられるよね。それにしては、守護者がいなくなっても退団せずに、後方支援として働いてるみたいだけど」
「騎士としてのプライドも折れちまったのかねぇ」
「さあね。ぼくもそんなに話したことないし、なんともいえないよ」
「……複雑な事情があるようですけれど、あの風貌だけはいただけませんわ。騎士らしくありませんもの」
そう言いつつも、ブラッドスの身に起きた悲劇に多少なりとも同情してしまったのだろう。依然としてセレスタは不快感をもらすが、声の調子は明らかに弱くなっていた。
「ですが、守護者を失ってなお騎士団に留まり、自らの役割を果たす姿勢は素晴らしいですわ」
「意外だな。邪推してあいつの行動を全否定するかと思ったが、素直に認めるんだな」
「正しいものは正しく認め、間違ったものは間違いだと指摘する。それが導く者の在り方ですもの」
気取ったふうでもなく、平坦な声でセレスタは言いのける。
頭では理想を描いていても、その実現のための勇気が足りず、多くの人が胸に抱く理想は大半が妄想のまま生涯を終える。
カズヤはそう考えて、今までの19年間を生きてきた。
周囲がそうなのだから、自分も諦めてしまうのはしかたがない。
理想の追求に躍起になることを辞めた判断の正当性。それを証明したいがために、カズヤは周りを貶して、同時に自らも貶してきた。
それを、本心を偽るための言い訳にしてきた。
だが……ここではそれが成り立たない。
“同じ世界”に住むセレスタが本気で理想を追い求めていると、理想を諦めた自分がまるで誤っているかのように思えてくる。
“別の世界”にいた伊藤小町に対しては、そんな感情は抱かなかったのに。
「――カズヤ? なにを間の抜けた顔をしておりますの?」
「あ、ああ。いや、寝不足でな」
「寝不足って、あんなに涎を垂らして寝ておりましたのに? あの量には、寝床を犬小屋にして正解だと思いましたわ」
「俺を犬扱いすんじゃねぇ」
「そう大差ないでしょう。さあ、そろそろ宿舎にいって他の団員への挨拶を済ませますわよ」
一方的に言って、セレスタは階段をおりていく。
……前言は撤回だ。
こんな身勝手な奴に感化されるのも馬鹿馬鹿しい。
心中で主人のことを罵りながら、階段をおりていく彼女の背中に続く。
どうにもそれが犬っぽい気がして、カズヤは途中で何度も引き返そうかと思った。
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