第9話
「着きましたわ。こちらがわたくしの家でしてよ」
街にはいって魔法の発光体に照らされる道を進み、ローラとすれ違ってしばらくしたところで、セレスタは路地を曲がった。
曲がった先にあった2階建ての煉瓦造りの家の前で立ち止まり、セレスタはそう紹介した。
――なんつーか……。
喋り方と立ち振る舞いから、セレスタが金持ちの娘――お嬢様であることは間違いない。
彼女のことを伊藤小町ではない別人と認識したときから、セレスタはそういった高位の身分であるのだと察していた。
となれば、住んでいる家も相応の豪邸であるはずで、実際に目の当たりにすれば感嘆の声がもれてしまうだろうとも想像していた。
そう、想像していたのだが……
「案外、ふつーだな」
周りに並ぶ民家と大差ない住居を見せられたカズヤには、それ以上の感想が浮かばなかった。
「おめぇお嬢様じゃねーのかよ。もっとこう、美術館っつーか、でっけぇ建物を想像してたんだが」
「なにを勘違いしてなさいましたの? わたくしは別段身分が高いわけではありませんわ」
「おめぇの紛らわしい言動すべてが原因なわけだが?」
「ですが、それほどにお嬢様だと思いたければ、そう捉えてくださっていても構いませんわよ」
「そんなことは一言もいってないが?」
「やはり、わたくしの高貴な雰囲気はお嬢様に見えてしまうんですのね。この身が庶民の家に生まれてしまったのは、世界の犯した過ちの一つでしょう。――いいですわよ。存分に、わたくしのことをお嬢様と敬いなさい」
「人の話を聞かんかい!」
『お嬢様』と言われたあたりから、セレスタは頬に手を当てて恍惚な表情を浮かべはじめた。
セレスタの身分は、どうも特別に高いわけでもないらしい。
身分が高いわけではなく、お嬢様と呼ばれる身分に憧れているだけのようだ。
要するに、真似事をしていたというわけだ。お嬢様に憧れるあまり、お嬢様らしい言動を心がけているのだろう。
狭い庭を渡って、自宅の玄関前にセレスタが移動する。
木製の扉をあけて中にはいろうとするセレスタ。カズヤも遠慮なく黙って続こうとする。
……が、セレスタは半開きの扉のドアノブを持ったまま振り返り、あいているほうの指で庭の一部を指し示した。
「なに当然のようにはいろうとしてますの。カズヤの家はあちらですわよ」
言っている意味を理解できぬまま、カズヤは示されたほうに身体を向ける。
ちょっとだけ大きな犬小屋みたいな、手作り感満載な木製の小屋がぽつんと建っていた。カズヤが横になれば頭がはみ出てしまいそうな狭さである。
「遠近法ってやつか? 俺にはとても人が住む場所には見えないが」
「それはそうですわよ。昔、犬を飼うために父上が作ってくださった小屋ですもの」
「ん……? どうも言語の翻訳がうまくいってないらしい。おめぇの言ってることの意味がよくわからないんだが?」
「わたくしはしっかり聴こえていますわよ? カズヤは人ですけれど、あれだけの大きさがあれば、寝泊りくらいはできるでしょう?」
「寝泊りって。冗談きついぜ、セレスタ。だってあれ犬小屋だぜ? 俺は人間なんだぜ? 俺も人間らしく家にいれてくれよ」
「嫌ですわよ。自身の性別をわかっていて? カズヤは
「大丈夫だって。変なことなんてしねぇよ。しねぇからよぉ、頼むから俺も家にいれてくれよぉ!」
「駄目ですわ。普段は紳士的な男でさえ、時に唐突な情欲に溺れることがあると、マリナが教えてくれましたので」
――くそっ! あの女、少年みてぇな風貌のくせにませてんな!
妙な入れ知恵をしたマリナの悪戯な笑顔を思い出して、カズヤは彼女を恨んだ。
「そういうわけですので、今後はそちらの小屋で休みなさい。のちほど、夕食と布団を持ってきてさしあげますわ」
「布団は用意してくれんのか」
「疲れを取ってもらわないと、わたくしにも不都合がありますので。夜更かしはご法度ですわよ」
玄関の扉が完全に閉ざされる。
カズヤは悄然と、玄関前からこれから寝泊りをすることになった“家”のほうに移動する。
芝生が茂る庭の一角。木の板でつくられている、ところどころが歪んだ雑な出来の“自宅”。
――まぁ、布団をくれるならいいか。
ふと、そんなことを思ってしまった自分自身のたくましさに、
カズヤは、ちょっとだけ泣きそうになった。
*
犬小屋に布団を無理矢理に敷いて、寝室だけで構成されたカズヤの自宅が完成した。
けれども、やはりカズヤの全身が収まるほどの面積はなく、胎児のように身体を丸めなければ頭部がはみ出てしまう小屋の中は窮屈だ。
寝てしまえば気にならないのかもしれないが、まだ眠る気にはなれない。
カズヤは小屋から這い出て、比較的に見れば広々としている庭の芝生のうえに寝転んだ。
詰所を出るときにも見えたように、暗い夜空を無数の白銀の煌きが彩っている。
――なんかエモい気分になってきた……。
あまりに幻想的な光景を無心で眺めているうちに、カズヤの脳裏には自然と“彼女”の姿が浮かんでくる。
「こまっちゃん、元気にしてるかなぁ……」
だれよりも有名になって、単独で収容人数1万人の会場を埋めることが夢だと語っていた。
いまはまだ、200人のライブハウスが埋まるか埋まらないかだけど、伊藤小町はまだ16歳の高校2年生だ。200人埋まるだけでも充分すぎるほどである。
将来は必ず大物になる。それはカズヤだけでなく、アヤネや他のファンも、彼女を応援する者たち全員の共通認識だった。
約束された大ブレイク。
しかし、カズヤはそれを見届けることができなくなってしまった。
「こまっちゃん…………会いたいよぉ……」
悲しげな声色で微かに呟く。
視界に広がる星空が、雨も降ってないのにじんわりと滲みはじめた。
「――なに情けない声を出しておりますの」
寝転がったまま顔を横にすると、そこには水色のネグリジェに着替えたセレスタが立っていた。
セレスタは手にしていた折り畳まれた布を広げると、カズヤの寝ている位置のそばに敷いて、そのうえに腰をおろした。
腕で膝をかかえて座るセレスタは、興味深そうにカズヤの顔をうかがう。
「その『こまっちゃん』という名前、前にも言っておりましたわね。あなたの恋人ですの?」
「恋人じゃねぇが、俺にとっちゃあ恋人よりも大切な人だ」
「家族、ということですか」
「ちげぇよ。さすがに、家族以上とは言えねぇけどな」
「……? 家族と同等で、恋人でもない……? いったい、そのお方とはどういった関係ですの?」
合点のいかないといった様子で、セレスタは眉間にわずかな皺をつくる。
隠す意味もない。元の世界なら風当たりが強くなることを危惧したかもしれないが、ここは異世界だ。おそらくは“その文化”自体がないだろうから、正直に答えたって支障はないはず。
わずかな間をおいて、カズヤはいった。
「俺が勝手に応援してるアイドルだ」
「アイドル?」
「あー、言い換えりゃあ…………そうだな……尊敬してる人ってやつだ」
「お慕いしている方、ということですのね」
「なんかその言い方だと背中がむず痒いが、それで合ってるだろうよ」
カズヤは自嘲するように鼻を鳴らして、薄っすらと口元に笑みを浮かべる。
「おかしいと思うだろうな。一方的に応援してるだけの人を、恋人以上で家族と同列くらいに扱ってんだからよ。けどな、誇張でもなく、マジでそれくれぇ大切なんだ。俺が前を向いて生きられるのも、こまっちゃん――伊藤小町が精一杯がんばってくれてるからだ。もしかすると、勝手に二人三脚で生きてるつもりになってるのかもしれねぇな。……いや、そいつはちょいキモいか」
「尊敬ということは、カズヤは、そのお方のようになりたいと思っておりますの?」
「なりたいっつーのは違うな。俺がなれなかったものになろうとしている伊藤小町には、夢を叶えてほしいんだ。俺が諦めちまった夢をな」
「その伊藤小町に、自身の夢を重ねているんですのね」
「そういうことだ。……やっぱなんも知らねぇセレスタに聞かせんのはキモいな。忘れてくれ」
胸の奥から押し寄せてきた衝動に負けて、ついくだらないことを喋ってしまった。
元の世界でも軽蔑されることが大半で、良くても苦笑いされることが精々だった。ましてやセレスタは異なる世界で生きてきたのだ。カズヤの感情など、理解できるはずがない。
返答に困っているであろうセレスタを、カズヤはそっと眇める。
なにを思ったのか、セレスタは胸元に手を伸ばして、ネグリジェの下に隠れていたアクセサリーを手に取った。
それは、宝石のように輝く純白の小さな結晶のネックレスだった。
「んなもん付けてたんだな。ずっとか?」
「そうですわよ。常に身につけるよう心がけておりますの」
「気に入ってんだな」
「ええ。これは、わたくしが6歳の頃に、ルナフランソ様から頂戴した宝物なんですの」
「そいつは、母親かなにかか?」
「いいえ。ルナフランソ様は、豊穣の女神とも呼ばれる、このフリッグ小国を治めている現女王でしてよ」
「国のトップから直々に物をプレゼントされたのか。そりゃすげぇな」
驚いたが、セレスタはカズヤに自慢したくてネックレスを見せたようではなかった。
大事そうに結晶を両手で包み込んで、祈るようにセレスタが瞼を閉じる。
「ルナフランソ様は、とても立派なお方ですの。まだお若いうちから国を率いて、女王の座にふさわしく綱紀粛正に努めてこられましたわ。若い女王を傀儡として操ろうと画策する者たちにも、物怖じせず立ち向かい、見事に牢獄に捕らえたこともありますの」
静かな口調だったが、声に込められた熱量からは、女王に対するセレスタのただならぬ想いを感じる。
「わたくしは、この首飾りを頂戴したときに、ルナフランソ様に誓いましたの。成長したら、ルナフランソ様のように常に正しく、人々を導ける立派な人物になることを」
「そういやぁ昼にローラとかいう女がちらっと言ってたが、セレスタがお嬢様っぽい振る舞いや喋り方をしてんのは、その女王様の影響ってわけか」
「ええ。当時は意識して無理に演じている部分もありましたが、いまとなっては自然と立ち振る舞えるようになりましたわ。この髪型も以前にお会いしたルナフランソ様を真似てはいるのですが、一人で同じように梳るのは難しくて、完璧かと問われると首を縦には触れませんわね」
カズヤの顔を見たセレスタは、照れ隠しの微笑みを浮かべた。
外見を憧れている人物に似せるというのは、カズヤの世界でもよくある話だ。
ただ、カズヤの経験則でいうならば、そういう輩の大半は外側だけを似せて、憧れの人物を見習って内面を変えようと思ったりはしない。
見た目がすべてだと思っている連中だ。「憧れの人」などと誇らしげに口にしながら、その人物の内側は見ようともしない。そのくせ、なにか失敗したときには、「顔はいいのにね」などと口にしてあっさりと興味を他に移す。
カズヤは、そういった半端に生きている軽薄な奴らが大嫌いだった。
住む世界は違っているが、セレスタも“憧れの人”の外見を真似ていることに関しては一緒である。
だが、カズヤの嫌いな人種とは、一線を画している点がある。
「なるほどな。やたらと威勢がいいのも、女王様に感化されたせいってわけか」
「人を導くにあたり、強靭な精神は必須であると考えておりますわ。ルナフランソ様がそうであるように」
やれなくとも、できなくとも、それが正しいと信じるならば試してみる。
アヤネとの試合では最終的に逃げ出した彼女だが、あれは例外であったと目をつむってやろうと思った。
セレスタは、ただ憧れるだけでなく、憧れに近づくために中身も変えようとしている。
憧れの女王と同じように人々を正しく導きたいと願い、挫けず、恐れずに、口先だけで豪語するのではなく行動を起こしている。
――似てるな。
そんなふうに、そうやって懸命に生きる人物を、カズヤはもう一人知っていた。
ふと、その“もう一人”とセレスタの微笑みが重なる。
「10年の月日が経過したいまでも、わたくしはルナフランソ様をお慕いしておりますの。ですので、カズヤが伊藤小町に抱く気持ちには共感できますわ」
――ああ、なるほどな。
――俺がセレスタのもとに召喚されたのは、そういうことか。
カズヤが一つの結論にたどり着いたとき、セレスタは星空を仰いで、遠い輝きに目を細めた。
「召喚される守護者は騎士の魂に共鳴するといわれておりますが、これが共通点でしたとは。妙な縁もあったものですわね」
「まったく迷惑なことだ。おめぇは推しがいるからいいが、俺の推しは、この世界にはいねぇんだぞ」
「その点に関しては、異世界を望んだカズヤが全面的に悪いですわ」
「だから俺は別に、こんな世界に来たいなんざ思ってなかったっつーの」
語気を強めずに棒読みした反論をセレスタは聞き流して、芝生のうえに立つと、寝間着を汚さぬよう敷いていた布を畳んだ。
「もしも帰る方法が見つかったら、隠さずに教えてさしあげますわ。今日はもう休みなさい。明日から、わたくしたちは本格的に騎士団として活動することになりますわ。しっかり体力を蓄えておくんですのよ」
「わあったよ。ちょうど俺も、眠気を感じはじめてたしな」
「でしたら眠気に身を任せることですわね。ゆっくりおやすみなさい、カズヤ」
就寝の挨拶を済ませて、セレスタは玄関の扉をあけて家のなかにはいっていった。
カズヤは小屋に移動しながら、自分の胸のうちに芽生えた新しい欲求を分析する。
伊藤小町と似た理想を掲げる異世界に住まう少女。
セレスタの行動は、どのような未来をこの世界にもたらすのか。
まだ大きな芽ではなかったが、その興味はたしかにカズヤの心に根を張っていた。
靴を脱いで、小屋に敷いた布団のうえで、全身が収まるように身体を丸める。
――もう、元の世界に戻れないのだしたら……。
――…………。
――……元の世界に戻れずとも、せめて、もう少しまともなとこで寝たいな……。
芝生を撫でるやわらかな夜風を感じながら、カズヤは深い眠りに落ちていった。
新しい興味を、抱いたまま。
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