第8話

 セレスタも言っていたように、外に出るとすっかり夜の帳が世界を覆っていた。

 昼間は鮮やかな青空があった場所で、無数の星が瞬いている。

 詰所から街道に出る際にカズヤは振り返り、そこに佇立する建造物を見上げた。


「フリッグ召喚騎士団バルドル支部詰所、だっけか。しっかしまぁ、こんなわけのわからん規模の建物をよく造れたもんだな」

「着工から完成まで何十年もかけて、地道に建てたそうですわ。わたくしが生まれた頃からありますから、詳細な建造年数は存じませんけれど」

「しかも、これで数ある支部の一つなんだろ? こんなもんが国内にぽんぽんと建ってると思うと、素直に驚くしかねぇわ」

「なにをおっしゃっておりますの? これほど建造が困難な建物が、そういくつもあるわけがないでしょう。高さでいえば、このバルドル支部詰所は国内で最大ですわよ」

「『ですわよ?』ったって、この国の事情を知らねぇ俺が知るわけねぇだろ」


 呆れた調子の解説に抗議すると、セレスタはなにかを思い出したように目を丸くした。


「そういえば、この国に関する説明は革命戦で中断したのでしたわね。でしたら、歩きながら続きを話してさしあげましょう」


 並んで詰所とその奥にある夜空を仰いでいたセレスタが踵を返す。

 一足遅れたカズヤも、セレスタに追いついて隣で歩調をあわせた。

 ふたりは整地された街道を、眼下にひろがる明かりを目指して歩きはじめた。

          

          *


 セレスタの話をまとめると、ここはフリッグ小国と呼ばれる国の城塞都市バルドルという街らしい。フリッグ召喚騎士団だとか、バルドル支部だとか言われていたのは、国や都市の名前が由来だったようだ。

 城塞都市と知って、周りの景色を見直してみる。

 その名にふさわしく、この街は全体が地平線に沿って造られた外壁に囲われていた。

 バルドル支部詰所が街はずれの丘に建っていることもあり、そこを歩くカズヤには城塞らしい景観がよく見えた。


「あれが街か」


 外壁を映していた視線をさげていくと、所々に橙色の明かりが灯る建造物の密集地が見える。


「あの光はなんだ? まさかこの世界観で電気とはいわねぇだろ。火でも灯してんのか?」

「魔法ですわ」

「……まほう、だと?」


 石造りの建物で生活しているような世界に電気があるはずもなく、カズヤはてっきり原始的に人の手で明かりを起こしているのかと思ったが、そうではなかった。

 ここにきて、ついに魔法の存在を目の当たりにした。

 正確には、アヤネにやられた傷の治療で行使されたらしいので知ってはいるのだが、その間は気を失っていたのでカズヤには魔法を受けた実感がなかった。


「魔法が、どうかされましたの?」

「いや、そりゃおめぇ、魔法っていやぁ俺の世界では空想の力とされてたからな。信じろっつーほうが無理な話だ」

「そうなんですの。わたくしは物心ついたときから身近に魔法の存在があったので、特に不思議に思うこともありませんでしたが、異世界から来たカズヤにはそう映るんですのね」

「なんつーか、魔法って単語がでてきて急に異世界感が増した気がするな。まだ信じられねぇけど」

「信じられなくとも、近くにいけばわかることですわ」


 戸惑いと驚きに染まるカズヤを置いて、セレスタは歩みを緩めずに進んでいく。

 魔法は信じらない。

 信じられないのだが、セレスタの冷静すぎる口調からして、嘘ではないのだろうとカズヤは悟っていた。

  

          *

        

「こいつは想像以上だな……」


 道が土から石畳に変わり、街についた。

 遠くからではいまいちどうなっているのか判然としなかったが、間近で見る明かりの正体に、カズヤは驚くより他になかった。

 燭台に火が灯っているように見えていた明かり。

 その正体は、宙に浮いた光の球体だった。

 街路の両端でゆらゆらと浮遊する光が整然と並んでおり、夜の闇から街を守っている。


「これ、触れんのか?」

「可能ですが、なにも起こりませんわよ」

「投げたりは?」

「手に取ることはできませんわ」

「武器にはなんねーってことか」

「いきなり物騒なことを考えますわね……」


 苦笑するセレスタに構わず、カズヤはその人魂のような橙色の光に手を伸ばす。

 触れてみると、手のひらに微かな熱を感じた。


「いちおう、あったかいんだな。それが不気味さを増している気もするが」

「空気中の成分を燃焼していることによる放熱ですわね」

「魔法ってわりにゃあ、現実的な原理だな。なんもねぇとこから光を出したりはできねぇってことか」

「わたくしからすれば、これでも充分に何もないところから現れているように思いますけれど」

「それもそうか」


 カズヤが納得したことで、魔法に関する話は一旦終わった。

 興味深そうに視線を様々な方向に巡らせながら、カズヤは黙々と進むセレスタの後ろを歩いていく。

 煉瓦の家々。石畳の道。電灯はなく代わりに魔法の発光体。見上げれば、夜空には田舎でも見られないくらいの綺麗な無数の瞬き。

 それらは、到底現実とは信じられない不思議な光景だった。

 カズヤにとっては、空想でしかありえないと思っていた景色だ。

 幻想的な世界に心を奪われているカズヤの瞳に、ふと知っている姿が映り込む。

 騎士団員だ。

 街路の反対から、それぞれ白と黒の騎士団制服を着用した二人組が歩いてきていた。


 ――当然といえば当然だが、騎士団の連中もいるんだな。


 着ている服から察するに、二人組は騎士と守護者ガーディアンの関係にあるようだ。

 距離が縮まって顔がよく見えるようになる。

 すると、白服のほうの顔には見覚えがあることがわかった。


「おいセレスタ、あれってローラって女じゃねぇか? ほら、さっきの」


 それは、昼間に会った気の強い女性、セレスタの先輩騎士にあたるローラだった。

 セレスタの瞳が鋭利な輝きを帯びる。


「ええ。見えていますわよ」

「てことは、隣にいる奴は――」


 ローラのとなりにいる人物に視線を移す。

 そこには、昼間と同じようにローラの守護者である大柄の男性が……


「――――な」


 いると思ったのだが……


「――な、なんだありゃあ!」


 たしかに大柄な男性であったが、風貌はまったくの別人だ。

 というより、それを“別人”と表現してもよいのかすら、カズヤにはわからない。

 橙色の明かりに照らされる肌は深緑色で、頭髪は薄茶色。頬骨が浮き出ており、下顎から鼻元に達する長さの牙が生えている。

 性別は男性らしかったが、ローラのとなりにいる黒服は、およそ人間らしい外見をしていない。


「ば、化けもん……っ!」

「――随分なご挨拶ね。セレスタ、あんた自分の守護者に挨拶くらい教えておきなさいよ」


 恐怖に慄く声が耳に届いたらしく、ローラは歩みを止めぬままセレスタを咎める。


「これはローラ先輩。ごきげんよう。わたくしの守護者が失礼いたしましたわ。ですが、理由もなく第一開眼ファーストヴィジョンを街で使用するのはどうなんですの?」

「無意味じゃないわよ。こうしておけば、誰もあたしに話しかけようとしないでしょ? あんたは違うみたいだけど」

「守護者の風貌を利用して街の人々を威圧しているということですの? 同じ騎士団員として、感心いたしませんわね」

「なにが『同じ』よ。今日はいったばかりのド新人のくせに、偉そうに言ってんじゃないわよ」

「また年数ですの? 威張るなら、せめて功績を振りかざしてほしいものですわ」


 堂々としたセレスタに、ローラは嘲るような表情を浮かべる。


「ふふっ。だったらなおさら、あたしのほうが上じゃない。見てたわよ、あんたの革命戦。よくもまぁ、そんな弱い守護者を引き連れて『功績』とか言えるわね。あんたとその男の実力で、あたし達に勝てるとでも思ってるわけ?」

「傲慢ですこと。そんなの、やってみなければわからないでしょうに。そうですわよね、カズヤ」


 同意を求められたカズヤは、ローラの守護者たる大男を見据えた。

 顔面と両手を除いて騎士団の黒服に隠れているが、それでも筋骨隆々の精悍な肉体であることは一目見れば疑いようがない。

 対して自分はどうだ。学生時代は多少あった筋肉も、怠惰な生活ですっかり落ちてしまっている。

 第一開眼とやらで甲冑をまとえばいくらかマシになるようだが、それでも見た目から推察する相手の腕力に勝てるようには思えない。

 加えて切り札である武器はアレだ。

 となれば、セレスタへの返答は考えるまでもない。


「俺は嫌だぞ。あんな化けもんに勝てるわけがねぇ」

「へ? …………な、なにを言っておりますのっ!」

「おめぇ俺を餌にするつもりか!? あんな強者を求めて旅に出そうな奴に勝てるわけねーだろッ!」

「さっきはドラゴンと戦っていたではありませんの!」

「あれは流れにのまれてそうなっただけだ。それに、死なねぇようにするって言ってくれたしな」

「ぐぬぬ……。カズヤ、あなた悔しくありませんの? 弱いと愚弄されているんですわよ?」

「しゃあねぇだろ。事実なんだし。もとより勝手に呼ばれた身だ。能力だって押しつけられたもんだ。そいつを責められたところで、なんとも思わねぇよ」

「ですが、このまま負けを認めるのは……」


 悔しげに口をつぐむセレスタを、ローラと大男は立ち止まることなく素通りする。

 立ち止まったまま振り返るセレスタとカズヤに、ローラは首をまわしてつまらなそうな目をやった。


「無謀な戦いに挑まない判断能力は評価してあげるわ。あんたの守護者に関してはね。あんた自身はもっと周りを見る能力を培ったほうがいいわ。これも、先輩騎士からのありがたいアドバイスよ」

「あなたの忠告など、わたくしはぜったいに受け入れませんわ!」

「そ。ま、あたしはどうでもいいけどね」


 醒めきった様子を貫いた末、ローラはカズヤたちが歩いてきた方向に去っていった。

 険しい顔をしているセレスタに、カズヤは気になっていたことを問いかける。


「んで、結局あの化けもんはなんだったんだ? 第一開眼がどうとかって言ってたが、つまりあれは、俺が急に甲冑をまとえたり、アヤネがドラゴンになれちまったりするように、あの昼間にあったローラの付き人が変化した姿だっつーわけか?」

「……そのとおりですわ」


 渋面をいくらか和らげて、セレスタは質問に答える。


「第一開眼は発動により守護者の容姿を大きく変化させますが、細かな能力の度合いはともかくとして、変化する外見は種類が限られておりますの。さきに申したとおり、最も現れる確率が高く、与えられる能力の差が著しいのがナイト。ナイトは固有の武具を与えられるだけで、そう大きく容貌が変わらない唯一の形体ですわ」

「あの大男は、ナイトって感じじゃなかったな」

「あれはオーク、腕力に特化した形体ですわ。能力の解放によって筋力が増大するのですが、本来は許容されない筋肉量に身体が異常を起こして、肉体が変色しますの」

「許容されない筋肉って……危うくハンバーグの気持ちを味わうとこだったぜ」


 もしもセレスタに同調して殴り合いにでも発展していたら、死なないにしても満足に動けない身体になっていたはずだ。

 戦わなかったことに安堵する。

 セレスタから何か言いたげな目を向けられたが、その視線はすぐに虚空に移動した。


「それと、アヤネの形体であるドラゴン。これは説明不要ですわよね。カズヤの見たとおりの能力ですわ」

「騎士団の連中が全員戦意喪失するほどの力ってわけだ。頂点に君臨する守護者っつーことか」

「ええ。あとはフェアリーですわね。これはドラゴンとは逆に、もとの姿の十分の一ほどまで小さくなりますの。その代わり魔法を扱えるようになり、この街を無数の発光体で照らしているように、自然に干渉して様々な事象を引き起こすことができますの」

「要は魔法使いか。フェアリーの守護者は、まだ見たことねぇな」

「ドラゴンほどではありませんが、発現の確率が低いので数が多くありませんの。アヤネに焼かれたカズヤを治癒したように、魔法で傷を癒すこともできるので、フェアリーはドラゴンよりも重宝される守護者と言われておりますわ」

「なるほどな。騎士団っていうくらいだから、怪我人は多そうだもんな。回復能力ってのは当然需要が高いわけだ」

「以上の四種が守護者の形体として現在までに確認されておりますが、古代の資料によりますと、形体にはもうひとつ存在するらしいですの」


 きっぱりとしていた口調が、一転して曖昧になる。

 その口ぶりから、カズヤはなんとなく事情を察した。


「まだ一人も確認されてねぇ、ってことか」

「そうとも断言できないのが、その形体の厄介な特徴ですわ」

「どういう意味だ?」

「未確認の形体はシャドーと名付けられておりまして、固有の肉体をもたず、好きなように姿かたちを変化することが可能なそうですの」

「すでにいたとしても、別の人物に化けてる可能性があるってことか」

「そういうことですわ。現在までに、召喚した守護者がシャドーであることを告白した騎士や、自らがシャドーであることを公言した守護者はおりません。ですが、シャドーの特性上、現状を鵜呑みにするわけにもいかないでしょう」

「そりゃあまた、厄介な能力があったもんだ」


 単純な力でいえばドラゴンが最も強いように聞こえるが、シャドーの能力の使い方しだいでは、ドラゴンを凌駕することも可能なように思う。

 あらゆるものの“影”になれるのなら、影を生む存在を食い尽くすこともできるのだろう。察知されずに背後にまわれるのなら、やり方なんていくらでもある。


「ですが、いるかいないかも不明瞭な存在について思考を巡らしても、栓なきことですわ」


 淡白な感想で説明に区切りをつけて、セレスタは再び歩きだした。


 やってみなくとも、わかること。

 やってみなければ、わからないこと。


 シャドーの件は考えても無駄だと切り捨てているセレスタだが、ローラの守護者とカズヤが戦うことは切り捨てようとしなかった。

 つまり、戦うことを無駄だと感じなかったということか。

 勝機があると、そう思ったのだろうか。


 ――いや、どうせ無駄だった。どう考えたって、勝てるわけがない。


 セレスタの信じる力と、自分の信じる力。

 そこには大きな隔たりがある。

 革命戦に敗れてもなお失望の色を見せないセレスタ。

 変わらぬ彼女の過度な信頼を、カズヤはほんの少しだけ疎ましく思っていた。

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