第6話
「和也さん、大丈夫ですか?」
閉ざされている暗闇の世界に、聞いたことがあるような、ないような声が反響する。
――俺は、なにをしていたんだっけか。
意識が判然とせず、うまく思考がまとまらない。
思い出されるのは……人々の熱気と歓声。
どこか、とても熱いところにいた気がする。
――そうだ。
――俺は、ライブ後のお茶会に招かれたんだった。
ということは、聞こえているのは伊藤小町の声か?
カズヤの混乱した意識が、世界で一番好きな人物を中心に段々とまとまっていく。
伊藤小町が――こまっちゃんが、数多くいるファンの一人に過ぎない自分を呼んでくれている。
名前を知っているのは、きっとファンレターに書いてあったのを覚えていてくれたんだろう。
こちらから何千回、何万回と名前を呼んでも、相手から名前を呼ばれることなんて絶対にありえないと思っていた。
それでも別にかまわなかった。
立場が違うのだから、それが当然なのだ。
けれども、心の奥底に封印しているだけで、大好きな人から名前を呼ばれたいという欲求が消滅したわけじゃない。
諦めていた願望が唐突に叶えられて、カズヤは急速に思考を加速させる。
驚愕と歓喜に高鳴る鼓動に身を任せ、物凄い勢いで目をあけて叫んだ。
「――マジぃ!?」
*
いつの間にか寝ていたらしい。
身体の上体を起こして、カズヤは視線を右往左往する。
室内を探してみたが、名前を呼んでくれたはずの伊藤小町の姿はどこにもなかった。
代わりに、自分が寝ているベッドと思しき物の隣に、見覚えのある女性が座っていた。
女性は目を丸くしてカズヤを見ている。
「び、びっくりしました」
「いや、俺も驚いてるわけだが…………そうか。俺はライブ後にお茶会に行くはずが、どういうわけか異世界に飛ばされたんだったな。そんで、わけもわからんうちにおめぇに燃やされたとこまでは覚えてる」
「……ごめんなさい。でも、負けるわけにもいかなかったから……」
「別に謝ってほしいわけじゃねぇよ。俺だってそれなりにやる気になってたからな。勝ち目はなかっただろうが」
「でも、少しやりすぎてしまったかと思いますので……」
申し訳なさそうに身体を丸めている女性が、ぺこりと90度に折れ曲がる。
謝ってほしいわけではないと言ったはずだが、聞こえなかったのか。
頭を垂れるのをやめさせるため、カズヤは声をかけようと、女性の名前を思い出そうとする。
あのボーイッシュで人の制止も聞かない鬼畜デタラメ少年女が、何度か呼んでいたはずだ。
たしか――
「アヤネ、だっけか」
「え? あ、はい。あってますよ」
「意味わかんねぇこと訊いてたら流してほしいんだが、伊藤小町って知ってる?」
こうして間近で見ても、アヤネはいつも現場にいた女性の容姿そのものだ。
念のため、確証を得るためにカズヤは本人に直接確認することにした。
疑念を向けられたアヤネは、その質問を耳にして頬を緩めた。
「はい。知ってますよ」
「もしかして、いつもイベントきてた人?」
「あはは……たぶん、その人です。じつは、私も和也さんの姿は何度か見たことがあります。ですけど、まさか、最初に会話するのがこんな形になるとは思いませんでした」
「まったくだ。ちょっと前から急に見かけなくなったから、私生活が多忙なのか、他界しちまったのかと勝手に決めつけてたが……来ないんじゃなく、来れなくなっていたってわけか」
「ご想像のとおりです。私は一ヶ月前に、いきなりこの世界に召喚されたんですよ。せっかくお茶会に当選して、小町ちゃんとの史上最高の接近戦ができると思ったのに!」
「マジそれな!」
ビシッと人差し指をさして、カズヤはアヤネに同調する意志を伝える。
反射的に反応してしまったが、しかしカズヤは納得できないといったふうに指をさしたままで眉をひそめた。
「まて。つーことは、おめぇもお茶会に招かれて、こっちに来たってわけか?」
「そうみたいです。どうも、小町ちゃんとお話できる部屋を“異世界”と喩えたことが、召喚の引き金になってしまったそうで」
「あー…………そうなんだな」
「和也さんは、どうしてこちらに?」
「いや、それがまぁ…………よくわかってないんだな、これが」
我ながら“異世界”とは斬新な喩えだと自賛していたが、先月の当選者も同じように考えていたとは。
なんとなく恥ずかしいので、適当にごまかすことにした。
それよりも気になったのは、二ヶ月連続で当選者がお茶会に現れていないという事実についてだ。
カズヤがその件について憂慮するように、アヤネもまた心配そうな表情を見せる。
「小町ちゃん、私達が立て続けにお茶会に現れなかったからって、胸を痛めてなければいいけど」
「それよ。勝手に呼び出されたとはいえ、申し訳ないことをしちまったな……。戻る方法はないって話、アヤネは聞いてるのか?」
「マリナちゃんから教えてもらいました。いちおう、私は1ヶ月前からこちらの世界で暮らしてますからね。複雑な感じですけど、この世界の生活にもだいぶ慣れてきちゃってます」
「はぁん。人間の適応力ってのはすげぇな」
「元の世界に戻ろうとはしなかったのか?」とは訊かなかった。
確かめずとも、アヤネはきっと元の世界に戻る方法を模索したのだろう。
伊藤小町とは同姓なので、カズヤが抱く感情と同種ではないかもしれないが、アヤネの伊藤小町を応援したいと願う熱意は本物だ。
同じオタクであるカズヤには、アヤネの口から紡がれる言葉と声色を聞くだけでそれがわかった。
1日でも早く、いや、1秒でも早く元の世界に戻りたいと思ったことだろう。
けれども、こうして異世界で自分と会話している現実が、未だその方法を見つけられていない何よりの証拠だ。
結局のところ、元の世界に戻る方法については、自分で探してみるしかなさそうだった。
「しっかしドラゴンたぁね。さすが、一部から
「そんな、私なんて全然です。私より前からのファンは何人もいますよ」
「つっても、どんな小さいイベントでも必ずいるのは、おめぇともう一人くれぇだとネットの奴らは言ってるけどな。いくら古参だっつっても、毎回こねぇ奴はたぶん
TOとはトップオタク――つまりは、そのアイドルを一番応援しているファンを指す固有名詞だ。
DDは誰でも大好き――要は一人のアイドルに固執せず、多くのアイドルを応援するファンを指す。
カズヤの敬意をはらんだ声に、アヤネは返答に困った様子で苦笑した。
「だとしても、私のことは名前で呼んでくださいね」
「それはいいけどよ。ドラゴンが
「でも、私が強い能力をもってるのは全部偶然なんです。ほんとうに、どうしてこんな力を与えられたんだろう……。
「お、おう。そうなんだな……」
――オタク殺し……。
アヤネの悩む要因についてカズヤの頭に一つの答えが浮かんだが、そんなわけがないと手を振り雑念を払い、相槌を打つだけに留めた。
いい加減に相槌を打ったことで会話が途切れる。
どこか気まずさを感じずにはいられぬ沈黙が訪れる。
音のない空間にどうにも耐えられなくなって、カズヤは何事かをアヤネに話しかけたようとした。
そのとき、カズヤが喋りだすより先に、閉ざされていた部屋の扉が二回ノックされた。
「あいてますよ。どうぞ」
アヤネが許可すると、外側から扉がひらかれて、反対側にいた人物が姿をあらわした。
てっきりセレスタかマリナが入ってくるのだと思っていたカズヤは、部屋に入ってきた人物の顔を見上げて、威嚇するように片方の眉をつりあげる。
「君がカズヤか。さっきの試合、見させてもらったよ」
現れるなり声をかけてきたのは、長身に白色の騎士団制服をまとった、初対面の若い男だった。
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