第5話

 カズヤの意外にも冷静な指摘にセレスタは一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに頬を引き締めた。


「そんなことありませんわ。鎧を着てますし、身体も軽くなっているのではなくて?」

「たしかに重そうな防具つけてる割には軽いけどよ。それだけじゃね?」

「……ひょっとして、あまり力を感じておりませんの? カズヤの真の姿はナイト。騎士を志す者たちが召喚を行う性質上、最も数が多いタイプですけれど、与えられる能力の幅に大きな差が生じるタイプでもありますわ。稀に規格外の能力を有するナイトが現れるのですけれど……よ、よく相手を見てご覧なさい。己が内に、ドラゴンをも圧倒できる自負が芽生えたりしておりませんの?」

「いやまったく。勝てる気がしねぇ」


 淡白に即答するカズヤ。

 予想に反した展開に、演習場は静寂に包まれる。

 静けさを恐れてか、セレスタは思い出したように慌てて口をひらいた。


「そ、そうですわっ! 武器、武器はどうなんですの?」

「武器っつっても、剣は帯びてねぇみたいだが」

「正面に手を伸ばして念じれば現れるはずですわっ! そう、ナイトは与えられる武器も様々ですの。ブロードソードやダブルアックス、ロングスピアといった平凡な武器では駄目かもしれませんが、宝剣級の武器であれば、能力の低さをカバーできますのよっ!」

「念じる…………こうか?」


 はずした兜を土のうえに置いて、カズヤは利き手である右手を虚空にのばす。

 ひらいた手のひらに、微弱な棒状の白い光が現れた。


「おおっ」


 驚きながら光を掴むと、輝きが収まって手元に武器が顕現した。

 刃渡り10センチばかりの、鍔もない細い短剣が。


「セレスタ。これは宝剣級の武器か?」

「…………ただのフルーツダガーですわね」


 不本意ながらも正直にセレスタが答えた途端、黙って見守っていた観客たちが一斉に沸く。


「おい新人っ! あんま笑かせんじゃねぇよっ! 革命戦は厳粛な儀式の一環なんだぜ!」

「マリナに挑むって言うからどんなすげぇ守護者ガーディアンかと思えば、なんだよそれ! 最弱クラスじゃねぇか!」

「ていうかフルーツダガーって! ぷくく、なによそれ、ありえないって!」

「料理人でも目指したほうがいいんじゃねぇの!」


 口々に野次を飛ばして観客たちは哄笑する。

 対戦相手であるマリナと進行を担当している騎士だけは、無表情を貫いていた。

 セレスタはあまりの悔しさと恥ずかしさに、顔が熱くなっていくのを感じた。


「静かにッ!」


 進行役の騎士が一喝する。

 それにより目立った笑いは止んだが、依然としてぼそぼそとした声は観客たちのほうから漏れていた。

 進行役が、厳格な眼差しを湛えた瞳でセレスタを見る。


「騎士・セレスタ=レトデメテル。無礼を承知で訊くが、棄権をする気はないか? 私の目にも、いささかの勝機さえ介在しないと見える」

「ぐぬぬ……」

「棄権すれば、主席であるマリナ=ヘラクレサを指名した度胸に免じて、後日革命戦をやり直せるよう私が計らってやる。相手には、適当なものを私が抜擢しよう」

「ですが、それでは……」


 妥協するよう提案されるが、セレスタは条件をのみたくはなかった。

 カズヤの対戦相手としてアヤネを指名したのは、他ならぬセレスタである。

 そもそも革命戦とは、召喚した守護者の能力を団内の実力者に示すことによって、新人でありながらも初めから団内で優遇、重宝される優秀な騎士として団員たちに認めさせることのできる特別な試合である。

 原則として、革命戦は異界召喚の儀式の直後にのみ行われる。

 単純なチャンスを与えるだけでなく、革命戦には召喚されたばかりの守護者の能力を評価するといった目的も含まれている。

 そのため、あまりにも実力に差がひらきすぎていると、まともに能力を発揮できず、結果的に“最弱”の烙印が押されることになるのだ。

 そういったリスクを承知したうえで、それでも革命戦の相手はマリナでなければ意味がないと、セレスタは考えていた。

 ここの詰所――フリッグ召喚騎士団のバルドル支部の現主席騎士であるマリナを、その座まで導いた強大な能力を有するアヤネが相手でなければならないと。

 しかし……カズヤの力は、セレスタが期待したものの足元にも及んでいなかった。

 万が一にも勝ち目はない。

 その事実を否定することは、状況判断能力の欠如という評価に繋がるだろう。

 ここで引かなければ、それはそれで信用は堕ちる。

 わかってはいるのだが、どうするべきか決心がつかず、セレスタが口を噤むと、


「――おい、おっさん。始めろ」


 黙ってしまったセレスタに代わり、カズヤが敢然と答えた。

 セレスタは驚きつつも咄嗟に止めようとしたが、そんなことをすれば勝ち目がないと認めたことになる。

 下手な発言はできない。

 セレスタは、出そうとした声を喉の奥に押し戻した。

 進行役は『おっさん』呼ばわりされても表情を崩さず、カズヤではなくセレスタに視線を飛ばす。


「守護者はああ言っているが、始めてしまってもよいのか?」

「いいに決まってんだろ。何度も確認とってんじゃねぇよ」

「お前ではない。騎士・セレスタ=レトデメテルに訊いているのだ」

「ああそうかよ。セレスタ、ぜってぇに断るんじゃねぇぞ」

「ですが……」


 急に強気になったカズヤにセレスタは困惑しているようだった。


 ――まあそりゃあ、急に態度を変えられたら混乱するわな。


 諦めようとしていたカズヤが一転して気力を爆発させたのは、自分を中心にしておきながら勝手に話を進めようとする周りに怒りを覚えたからだ。

 その怒りは、馬鹿にしている周囲の観客たちや、戦う前から負けを認めさせようとする進行役の男に対するものだけではない。

 カズヤが最も腹を立てていたのは、周りの空気に気圧されて、段々と諦める方向に傾きはじめたセレスタの姿勢だ。

 先ほどは無関係の揉め事に威勢よく首を突っ込んだくせに、より大きな困難を前にしているとはいえ、今度は試す前から諦めようとしている。

 その中途半端な態度が気に食わなかった。

 なかば自棄になって、カズヤは早々に試合を始めようとする。

 そんなカズヤの勇ましい姿を都合よく解釈してか、あるいは感化されてか、セレスタは情けない表情を打ち消して、余裕さえ感じさせる笑みを取り戻した。


「少々、寝ぼけていたようですわ。本日は天候も晴れて陽光がとても心地よいですものね。ええ。カズヤがおっしゃっているとおり、試合を開始して構わないですわ。なにせ、このわたくしの召喚した守護者に勝る存在なんて、この世の中にあるはずがないですもの!」

「なげぇ言い訳だな」

「う、うるさいですわねっ!」


 整えなおしたばかりの表情を崩すセレスタに、進行役が無感動な眼光を飛ばす。


「よいのか、騎士・セレスタ=レトデメテル」

「むろんですわ。いつでも初めてよろしくってよ」

「承った。両者、構えよ」

「――ようやくか。こうなった以上、やるだけやってみるしかねぇな」


 フルーツダガーを片手に、カズヤが随分と高い位置にあるドラゴンの瞳を睨んだ。

 ドラゴンもまた、力量差に慢心したりはせず、カズヤの小さな身体を威圧的に見おろす。

 両者の間で交わされるただならぬ緊張感に触発されてか、観客たちの喧騒も自然と静かになった。

 雑音が消え去った頃合を見計らい、両者の中間に立つ進行役の男が声をあげる。


「試合開始ッ!」


 号令と同時、ドラゴンの片腕が振り上げられる。

 駆け寄ろうとするカズヤだが、まずは相手の一撃を防がなければ接近も叶わない。

 薙ぎ払われた張り手を跳ね返そうと、立ち止まって拳を握り、こちらも腕を振り上げる。


「なめんじゃねぇぞッ――――がはっ!」


 しかし自分の肉体の半分ほどもある猛烈な攻撃を返り討ちにできるはずもない。

 カズヤは観客たちが集う演習場の一角に吹き飛ばされた。

 観客たちが避けて生まれた空間に、カズヤの身体が二度、三度はねて転がる。


「カズヤっ! 大丈夫ですのっ!」

「がぁ……くっ……大丈夫なわけねぇだろ。どういうわけか骨は折れてねぇみてぇだが」

「守護者としての本来の姿を得たあなたの身体は、元の何倍も頑丈になっておりますわ。多少無理しても問題ないですわよっ!」

「問題あるわっ! ありえんくらいいてぇってのッ!」

「そ、そうですわね。申し訳ありませんわ」


 弱々しく謝罪するセレスタに、カズヤの憤りが加速する。


「けっ、おめぇ俺なんかに頭下げるようなキャラじゃねぇだろ。いちいち謝ったりすんじゃねぇ」

「カズヤ……」


 土に汚れた鎧をそのままに、カズヤは逃げるそぶりを見せずに立ち上がる。

 すぐ両脇に観客がいたが、もうカズヤを笑うものは誰一人としていなかった。


「悪かったよ。君はよくやった。あの最強のマリナの守護者に挑んで、ひどくやられても逃げようとせず、こうして立ち上がった。それだけで、君の勇気は敬意を表するに値するよ」

「もういいじゃないか。よほどの実力者でない限り、戦おうとすら思わない相手だ。お前には大した力がなくたってナイトと呼ばれるにふさわしい勇猛な心がある。それを俺たちは認めたよ。それで満足じゃないか」

「かっこよかったわよ、あなた。でも、これ以上は怪我が増えるだけだわ」


 代わりに観客たちがかけてきたのは、そんな、カズヤに諦めるよう働きかける慰めの言葉たち。


 ――滑稽だな。


 あまりに情けない周囲の反応に、カズヤは彼らを見向きもせずに嘲った。


「はっ、なにが騎士だ。どいつもこいつも諦めの早い奴らだぜ。ちょっと自分の思い通りにならなければ駄々こねるクソガキばかりだ。俺のいた世界と変わらねぇ」


 ――まあ、俺も似たようなガキだがな。


 同族嫌悪というやつか。

 カズヤは胸のうちで自嘲して、視線をマリナとドラゴンがいる方角に戻すと、手にしていたダガーを脇に投げ捨てた。


「面倒なのはヤメだ。最大の一撃をぶつけてくれねぇか? たぶん、それには耐えられねぇだろうからな。記念に一発頼まれてくれよ」

「あははっ、君、おもしろい人だね」

「そいつを悪口以外で言われたこたぁ一度もねぇな」

「はははっ! ほんとにおもしろいねー! ――じゃあ、ぼくが最初だね!」

「あ?」

「わるい意味で言ったわけじゃないってことだよ!」


 その風貌にふさわしく、純朴な少年のように笑っているマリナが、手のひらを正面にかざす。


「――第二開眼セカンドヴィジョン


 マリナがそう唱えると、今度はドラゴンの右手だけが白色の輝きに包まれた。

 唐突に再び現れた鮮烈な光に、カズヤとセレスタは視界を手で覆う。

 やがてまばゆさが収束して手を退けると、ドラゴンの右手に、刀身だけで4メートルはありそうな規格外の両刃の剣が握られていた。

 4メートルとは、カズヤの主力武器であるフルーツダガーの実に40倍の長さである。

 

 ――…………まだ見せてない力があったとは……。


 カズヤは呆然と両腕を垂らして、あいた口を塞ぐこともできずに立ち尽くす。


「これがアヤネの二つ目の力! 第二開眼、聖剣グラムだよっ!」


 聖剣グラムという名前をカズヤは知っていた。

 とある神話に登場する、とある英雄が愛用していた剣。

 その神話のなかで、その剣はこうも呼ばれていた。

 通称――


ドラゴン殺しの剣ドラゴンスレイヤーじゃねぇかッ! いやいやいやいや、まてまてまてまてっ! んなもんあるなんて聞いてねぇぞッ! おいセレスタッ! 俺にも二つ目の力があんだろッ! あるならすぐに発動しろッ! たぶんそっちが本命だッ!」

「む、むりですわ。召喚初日じゃ第二開眼までは使えませんもの。といいますか、マリナ、あなたもまだ召喚から一月ほどしか経っていないのではなくて? なぜもう習得しているんですのっ! 第二開眼は習得に平均1年から三年は必要と言われておりますのにッ!」

「あははっ。実は、つい3日前に覚えたたばかりなんだよねー。まさかここで初披露できるとはぼくも思ってなかったよ。ありがとね、カズヤ、セレスタっ!」

「お待ちなさい! わたくしは許可なんて出しておりませんわっ! そもそもなんですの、聖剣グラムって。ドラゴンがドラゴン殺しの剣ドラゴンスレイヤーなんて反則ですわっ!」

「それな! マジで意味わかんねぇ! そいつはナイトである俺が竜をぶった切るためのもんだろうがッ! そんなん伝説の剣を魔王が手にしてるようなもんじゃんッ! 光と闇の両方を極めちゃってるようなもんじゃん! 勝てるかッ!!」


 慌てふためくふたりをよそに、ドラゴンの姿をしたアヤネは聖剣グラムに目を落として、顎を大きくひらく。

 鋭利な牙がのぞく奥で、喉元が赤く燃え上がっていた。

 次の瞬間、聖剣グラムにドラゴンの火炎の吐息がかけられる。

 高熱を浴びた刀身は紅く渦巻く炎をまとい、吹きつける風に絶えず揺らめく。


「全力って言ったのはそっちだもんねっ! 心配しなくても、死にそうになったら助けてあげるから安心してっ!」

「んなもんできるかッ! ――って、おいセレスタッ! おめぇどこいくんだっ!」


 想定外の事態に演習場から退避する観客たちに目をやると、その群れにセレスタが混ざっていた。


「第二開眼まで使えるとは知りませんでしたの。これはもう公平な戦いではありませんわ。あとはカズヤの好きにしていいですわよっ!」

「あ、おい! ちょっと待てやッ!」


 静止を懇願するカズヤの声に聞こえぬフリをして、セレスタは背を向けて遠ざかっていった。

 取り残されたカズヤだが、ドラゴンの標的は自分だ。

 マリナにも止める気はないようで、ならば逃げてもしかたがない。

 当然痛みはあるだろうが、命を落とす危険はないという。


 ――だったら、立ち向かってみるのも悪くねぇか。


 聞いていた限り、守護者には未知な要素が溢れているようだ。

 明白になっていない部分が多いのなら、絶対に勝てないなんて断言するほうがおかしい。

 具体的にどんな要因が働ければ勝てるのか?

 そこまではわからないが、自分がナイトと呼ばれる存在であるならば、ドラゴンに勝つことは可能に思える。

 よくわからないが、異世界とはそういうものだろう。

 カズヤがドラゴンから逃げない理由は、もうひとつあった。

 仮にアヤネの最大の一撃に耐えられれば、アヤネの能力によってマリナが認められたように、セレスタの評価もあがるのではないか。

 ローラとの悶着の際に、カズヤはセレスタの言動を『無駄だ』と貶してしまった。

 実際に声をかけるより先に、試す前から無理だと、諦めるように促してしまった。

 その行為は、カズヤに戦うことをやめるよう言ってきた観客たちと、いったい何が違う?


「……最低だな、俺は」


 勝ち目のない試合を続けるのに、観客たちが褒めたようなかっこいい理由なんてない。

 これは償いだ。

 強大な相手から逃げずに立ち向かうことで、その勝敗に関わらずセレスタの評価があがるのであれば、カズヤはその道を選ぼうと思った。

 ただ、それだけのことだ。


「しゃあねぇ。いっちょやってみっか」

「おおーっ! カズヤ、君ってもしかして大物なんじゃない?」

「あんな変なお嬢様に呼ばれたんだ。そんだけでもう普通じゃねぇだろ」

「あはははっ! それはたしかにっ!」


 カズヤは掲げられた巨大な炎の大剣を見上げながら、

 元いた世界で恋心を抱いていた、ある女性の顔を思い浮かべていた。


 ――伊藤小町ちゃん。この勇士を、君に見せたかったよ。


 ――そしたら……もしかしたら、君は……。


 もはや会うことはないかもしれない片想いの相手への恋慕。

 悲しくもあったが、カズヤはそれでも良かった。

 ここで逃げないだけで、いつか再会できた日に、胸を張って彼女の前に立てる気がする。

 決意を固めるには、それだけで充分だった。


「来いッ! マリナッ! そしてその守護者・ドラゴンッ! この俺をそう簡単に倒せると思うなァァァァ!!!!」

「遠慮なくいくよっ! 焼き尽くせッ! アヤネッ!」


 天上を焦がし尽くすほどの猛烈な劫火が、号令とともに振り下ろされる。


 ――ああ、伊藤小町ちゃん。俺は元気でやれるかわからないけど、君は元気にアイドルを続けてね。


 世界が朱色に染まる寸前、届くはずのないエールを推しアイドルに送り、

 カズヤの意識は、明かりのない暗闇に沈んだ。

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