第4話
天空に伸びる円柱型の騎士団詰所は、建物の周囲が広大な演習場となっている。
雑草を刈り取って整地しただけの簡素なものではあるが、演習場は三種類の区域にわかれており、その敷地面積も相当である。
なかでも最も広い区域に、セレスタとカズヤはやってきた。
「なんか、めちゃくちゃ人がいるんだが」
そこでふたりを待っていたのは、白黒の服が入り混じった多くの見物客たちと、その観客に囲われるようにして奥に立つ対戦相手の騎士とその
セレスタとカズヤが対戦相手の向かい側に立つと、対峙している短髪の女性騎士は、やや不満そうな顔を見せた。
「おそぉーい! ちょー待ったよセレスタぁ!」
「申し訳ありませんわ、マリナ。お待たせいたしましたわね」
「どーせ、またつまんない厄介事に手ぇ出して叩きのめされてたんでしょ。違う?」
「う……まるで、見ていたかのような物言いですわね……」
「あははっ、図星なんだ」
少年に見紛う雰囲気を醸す女性――マリナと呼ばれたその女性騎士は、華奢な身体にセレスタと同じ防具を着用している。
――こいつセレスタの知り合いか? つってもセレスタは入団初日なわけだから、入る前から関わりがあったってわけか。
親しげな様子のふたりを眺めてカズヤは疑問を抱いたが、マリナの隣にいる守護者の顔を見たことで思考が切り替わった。
「ん? あの女の隣にいる奴は……」
「マリナの守護者が、どうかしましたの?」
「ああいや、そんなわけねぇとは思うんだが……」
守護者であれば、それはカズヤの対戦相手ということだ。
威嚇するわけではないが、敵の顔をまじまじと見つめる。
マリナと同じくらいの身長に、肩口で切りそろえた後ろ髪。
遠くて判然としないが、ボーイッシュなマリナとは違う意味で、人懐っこい印象を与えられる。
第一印象は、おとなしそうな女性、といったところか。
「これより革命戦を開始する。両者、前へ」
演習場の中央に立つ甲冑を装備した壮年の男が号令する。
マリナの守護者が一歩前に出た。
カズヤも空気を呼んで前に歩み出る。
ふたりの間合いは30メートルほど。
距離が詰められたことで、相手の顔がいくらか鮮明になった。
カズヤは対戦相手の目元、唇といった細かな部分にまで興味を向けて、しげしげと観察する。
「――ああっ! あんたはっ!」
瞬間、対峙している女性の姿が、カズヤの知っている人物と一致する。
思わず指を差して、カズヤは驚いた声をあげた。
「どうしたんですの。まさか、あの守護者の女性を知っておりますの? 星の数ほど異世界があるにも関わらず、ごく稀に同一世界から召喚される者はおりますが、知人同士がこちらで再会するのは長い歴史の中でも数えるほどしかなかったことですわ。人違いではなくて?」
カズヤは額から一筋の汗を流したが、セレスタに指摘されて苦虫を噛んだような表情で指をおろした。
「言われてみりゃあ、それもそうか。元の世界ですら似た顔つきの奴は腐るほどいるしな。それに、そもそも俺はそいつと話したこともねぇ。向こうは反応してねぇし……やっぱ勘違いか?」
「そう考えるのが妥当ですわね」
「……だが、もしもあの女が俺の知ってる奴だとすれば、あいつはただ者じゃねぇぞ。あいつはな、俺のいた世界でこう呼ばれていたんだ――」
畏怖の混じるカズヤの口調に、セレスタは息を呑む。
カズヤは“あの女”をジッと見据えたまま、元の世界での別名を口にした。
「――
「……オタク? なんですの、それ」
「……まぁ、ひとつの人種とでも思っておいてくれ。とにかくな、あの女はオタクにとっての天敵と言っていい。そんで、非常に残念なお知らせなんだが、俺はそのオタクって生き物だ」
「相性が最悪ということですの?」
「ああ。俺のいた世界で、あの女は俺の同胞を何人も他界させた」
「っ! やはり、彼女は元の世界でも常人ならざる力を有しておりましたのね」
「ああ。……いや待て。元の世界“でも”、だと……?」
オタクのいないはずの世界で、なぜ彼女が恐れられるのか。
どういった意味なのか尋ねようとするカズヤだが、いつまで経っても戦闘態勢を整えない相手に痺れを切らしたマリナの声に割り込まれる。
「なに喋ってるか知らないけど、準備しないならぼくからいくよっ! 用意はいい、アヤネ」
名前を呼ばれて、対戦相手の守護者――アヤネがこくりと頷く。
元の世界と同じ名前らしかったが、オタク殺しと呼ばれていた女性の本名をカズヤは知らず、それだけでは同一人物であるかの確証は得られない。
アヤネの了承を見て、マリナが鞘から剣を抜いて正面に突き出した。
「ぼくの忠実なる守護者、大いなる力を天空に示せッ!
なにやら大仰な口上をマリナが叫ぶと、アヤネの身体が白色の輝きに包まれた。
白き光は目が眩むほどに鮮烈で、広大な演習場を隅から隅まで明るく照らし出す。
瞼を閉じたくなる衝動を抑えて細めた目で凝視していると、光の中心に映っていた黒い人間の輪郭が、徐々に巨大になりながら形を変えていく。
ややあって、まぶしい輝きが収まった。
カズヤとセレスタを含めた演習場にいる者たち全員が、アヤネのいた部分に出現した“別のなにか”を見上げる。
反射的に、観客たちの一部が感嘆の声をもらした。
表情を真顔で硬直させてしまったカズヤは、観客たちとは違う魂の抜けた抑揚のない声で尋ねる。
「おいセレスタ。俺は肝心なことを訊き忘れていたらしい。俺が戦う相手についてなんだが、もしかしなくても、俺はアレと戦うのか?」
「ええ、そうですわよ」
「そうか。じゃあ、アレがなにか、説明してもらってもいいか?」
「もちろんですわ」
演習場に現れた巨大な存在。
そこに、人の面影は欠片も残っていない。
黒色の鱗で全身を鎧のごとく覆っており、大木の幹を彷彿とさせる力強い二本足で地面に立っている。
股の後ろからは棘のついた長い尻尾が垂れており、胴体上部には三本の指のついた短い両手。
頭部はトカゲに似ているが、後頭部の両端から頑丈そうな角が天を目指して伸びている。
そして背中には、陽光を遮って周囲に影を作るほどの立派な両翼が生えていた。
「あれは、フリッグ召喚騎士団バルドル支部の現主席騎士・マリナ=ヘラクレサの守護者であるアヤネの真の姿ですわ。ドラゴンの姿をしておりますけれど、ご覧になったように元はカズヤと同じ人間ですわよ」
「だがいまはドラゴンだ。それにでけぇ。半端ねぇくらいでけぇ」
「あら。怖気づいてしまいましたの? 勝てるわけがないと」
あまりにも馬鹿げた意見に、カズヤは声を張り上げた。
「勝てるわけねぇだろッ! よく見ろッ! 足が俺の身長よりなげぇじゃねぇか! 頭は座ってんのに俺の身長の四倍くれぇの高さにあんぞ! つか牙も長くね? 噛まれたら即死じゃねぇか! つか爪もヤバくね? 指一本しか使えねぇハンデを課しても秒殺されそうなんだが!」
相手に背中を晒して抗議するカズヤを、セレスタは憤然と見つめ返す。
「うるさいですわね! 誰も生身のまま戦えとは言っておりませんわ! いいですの。いま、カズヤは元いた世界と同じ姿ですけれど、あなたはこの世界に召喚された際に“守護者としての肉体”を与えられておりますの。元の姿を維持できているのは、守護者として振るわれるべき本来の力を、その再現にまわしているからですわ。つまり、元の姿の維持に費やしている力を解放すれば、守護者としての本来の能力を発揮できるようになりますの」
「……それ、変身しても元の姿に戻れるんだろうな?」
「ええ。カズヤを召喚した騎士であるわたくしが命じるか、意識を失えば元の姿に戻りますわ」
「つーことはなんだ。俺もあの女みてぇにドラゴンになれるってわけか! ……おっほぉ! マジかよッ! ああなりゃあ空も飛べんだろッ!? んだよ、そういうこたぁ早く言えよな! ほら、早く解放とやらをしてくれよッ!」
普段ならば「そんなことあるわけがない」とツッコミたくなる話ではあるが、目の前で自分と同じ人間が伝説の生物に変身する光景を見せられては疑心を抱く必要はない。
空を自由に飛行できるのだ。
ファンタジーには興味を失ったカズヤも、空を飛ぶ行為には強く興味を惹かれた。
予想しなかった展開に高揚するカズヤを見て、しかしセレスタは苦笑いを浮かべる。
「残念ですけれど、カズヤがドラゴンになることはありませんわ」
「え、なんで? 俺もドラゴンになりたいんだが! おおぞらを優雅に飛び回りたいわけだが!」
「なにも守護者のすべてがドラゴンになれるわけではありませんの。むしろ、数年に一度くらいしか現れない希少種ですのよ」
「だとしても俺まだ変身してないじゃん! ドラゴンになれるかもしれないじゃん!」
「実は、わたくしはもうカズヤの真の姿を知っておりますの。異界召喚の儀式によって呼び寄せた時点で、召喚騎士は自分の守護者の姿を知ることになるのですわ」
「でもおめぇ、俺があのドラゴン女に勝てると思ってんだろ? じゃあ必然的に俺はドラゴンより強い生き物になれなきゃいけねぇと思うんだが、ドラゴンより高位の生物ってなんだ? そうそういるもんじゃねぇだろ」
「聞くより見たほうが早いでしょう。さぁ、わたくしの守護者よ。あなたの相手を見据えなさい」
「あぁ? なんだぁ、急に偉そうに命令しやがって」
「いいから相手を見なさいッ! 試合をするのはあなたでしてよっ!」
「ちっ、しゃあねぇなぁ」
嫌々といったふうに舌打ちして、カズヤは華奢な女性の姿から翼を持つ巨大な存在に変貌した相手を見上げる。
恐ろしく威圧感のある眼球に睨まれた。
けれどもカズヤはドラゴンの眼光に戦慄しない。
それどころか、内心ではこれから起こるであろう出来事にひどく興奮していた。
――くっくっくっ……見とけよぉ。
セレスタは朗々と、カズヤがドラゴンをも圧倒できる存在になれると断言した。
あんな怪物にも勝る力を得るとは、いったいどういうことなのだろう。
絶大な能力を与えられるというのは、どれだけの優越感に浸れるものなのだろう。
高笑いしたくなる衝動に駆られるが、それはかっこ悪いので必死に平静を装う。
セレスタが一つ咳払いをして、鈍い色の剣を抜く。
煌く剣尖が、ドラゴンの鋭い瞳に向けられる。
「こほんっ。いきますわよ……っ! さぁ、異界より誘われし我が守護者よッ! わたくしの前に真実の姿を晒しなさいッ! 第一開眼!」
「しゃあッ! こいやぁぁぁぁぁッ!!」
封印を解く言葉が放たれる。
応じて、カズヤの身体が白い光に包まれる。
「はーはっはっはっ!! 笑いがとまんねぇなぁ!!」
カズヤは一面が真っ白な世界にいた。
周囲の視線を遮断できたと思い込み、こらえきれずに高笑いをあげるカズヤだが、姿を見えずとも演習場の全員にその声は届いている。
観客たちは、ドラゴンを前にしても余裕で哄笑するカズヤの態度に困惑を隠せずにいた。
まさか、この男は本気で勝つつもりでいるのか。
「見せてさしあげなさいッ! カズヤッ!」
セレスタもカズヤの高笑いが伝染したのか、その口元に愉悦を浮かべる。
そして、晴れ渡る青空高くにまで拡散した光が収まった。
演習場に集まった者たちが注目する視線の先、
輝きが静まって、カズヤが立っていた位置に現れたのは――
「……なんだこれ? 前が見えねぇぞ? おいセレスタ。セレスタぁ? どこにいるんだぁ? つーか俺、どうなってんのこれ」
足元から頭部まで、鉛色の全身鎧をまとった男が、兜に覆われた頭部を不気味に右往左往していた。
「兜を取りなさい」
「は? かぶと……? あぁ、兜か」
助言の意味を理解したカズヤが、篭手をはめた両手で頭部を覆う防具を掴みあげる。
天然パーマのもじゃもじゃした髪が、すっぽりと抜けた兜から姿を現した。
兜を脇に抱えて、カズヤは自分の身体に目を落とす。
足踏みしたり、手を振ってみたり、腰を捻って背中をうかがってみたり。
くまなく全身を眺めたあと、しばしの間を置いてカズヤはセレスタのほうを向いた。
「俺、変わってなくね?」
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