第3話

 知らぬ世界に突然飛ばされ勝手に守護者とやらにされ、とりあえず状況を整理するために一旦落ち着きたいカズヤだが、今度は戦えと命じられた。

 それも、これからすぐに。

 腕をとったセレスタは強引にカズヤを談話室から連れ出した。

 その勢いのまま、階下に続く長い階段をおりていく。

 年下と思しき女性のわりに、セレスタの腕力は男のカズヤでも歯が立たないほどである。その最たる理由は、カズヤが大して身体を鍛えていないからかもしれないが。

 物理的な抵抗は不可能と判断したカズヤは、なんとか試合をやめさせようと言葉による説得を試みる。


「無理だって! やめとこうぜ、な? な? どうせボコボコにされんだから行っても行かなくても一緒だって! そうだ棄権しようぜ? できんだろ? なぁ、相手がなんなのか知らねぇけど、なんかこう、騎士団っていうくらいだから化け物じみた強さの奴が相手だったりするんだろ? 俺なんかゴミみてぇなもんじゃねぇか! やだよぉ、いてぇのはやだよぉ!」

「情けない声を出さないでくださいます? それと、カズヤは大きな勘違いをしておりますわ」

「ゴミじゃなくてクソだって言いてぇのかぁ?」

「汚いですわね……。そうではなくて、あなたも守護者ガーディアンでしてよ。元の世界でどうだったのかは存じませんが、この世界では普遍的な者たちと一線を画する特別な存在ですわ。守護者には、特別であるための“力”が与えられますの。授かった能力しだいでは、これから戦う相手に勝つことも充分に可能ですわ」

「能力ぅ? んなこと言われたって、まったく知らねぇ景色が目に映ってること以外に変わったことなんてなんもねぇぞ。んなもん、ほんとにあんのかぁ?」

「すぐにわかることですわ。どうです、ちょっとは楽しみになってきたのではなくて? カズヤはその身に、これまでに類のないとんでもない能力を宿しているのかもしれませんのよ?」


 冗談ではなく真摯な口調でセレスタが魅力的な言葉を並べる。


「おいマジかよ。そいつは楽しみになってきたぜッ! ……とでも言うと思ったか。んな都合のいいもんあるかッ! 期待させといて落とされるオチがみえみえなんだよ!」

「それはどうでしょう。カズヤは、このわたくしの守護者として召喚されたんですのよ? 見た目は残念でしたけれど、能力の高さは保証いたしますわ」

「おい、いま俺のこと馬鹿にしなかったか?」

「なんのことですの? 疑われるような発言をした覚えはありませんわよ?」

「バレバレの嘘つくんじゃねぇ! 聞こえてねぇとでも思ったかッ!」

「聞こえてるなら最初から聞き返さないでくださいます? そんなだから馬鹿だと思われるのですわ」

「そりゃおめぇだけだろーがッ! 多数の総意みてぇに言ってんじゃねぇよッ!」


 声を荒げて罵りあいながら、ふたりは階段をおりていく。

 セレスタはもう腕を引っ張っていなかったが、カズヤはもはや引き返そうとは思わなかった。

 ここは知らない世界。どこかへ逃げようにも、どこへ逃げればよいのか見当もつかない。

 結局は自分を召喚したと言い張っているセレスタについていくのが最善であると、不本意ながらもそう理解していた。


「――もうやめてっ! あっちいってよっ!」


 三階層分ほど下りたところで、唐突に女性の金切り声が耳に届いた。

 セレスタと睨み合っていた目を音のほうに向けると、階段の面している廊下の隅で、白い服の小柄な女性が両耳を手で塞いで屈みこんでいた。

 小さく丸くなっている女性の左右を、大柄な男性と長髪を複雑に結った女性が囲んでいる。男は黒い服、女は白い服を着ていた。

 場所は異世界であれども見覚えのある光景に、カズヤは呆れてため息をつく。


「なんだ揉め事かぁ? 騎士団だとかかっこつけた肩書きを持ってるわりに、しょうもねぇことやってんなぁ。それとも、どんな集まりにも腐ってんのは一定数いるもんなのかね? どこの世界も変わんねぇなぁ。まぁ、変わんねぇってとこにはエモみを感じないでもねぇが」

「一対二……卑怯ですわね。気に入りませんわ」

「初めて意見があったな。さ、ほっといて行こうぜ。ここにいたってしかたねぇだろ? 何かあったら、あそこで傍観してる奴が止めてくれるだろ」


 揉めている集団から離れた位置で、痩せ細った男がジッと騒ぎを観察している。

 男は白色の服を着ていた。

 尋常ではない面倒に巻き込まれて異世界に来たというのに、その異世界で起きた面倒に首を突っ込む気になれるはずもない。

 それに、カズヤはああいった行為をする人間が、他人に何を言われたところで考え方を変えないことを知っている。

 どうせ戦わなければならないなら、早いところ負けてゆっくりしたい。

 カズヤは無関係の揉め事を無視して先を急ごうとするが、セレスタは集団に目を留めたまま動こうとしない。


「おいどうした……まさか口を挟むつもりか? やめとけやめとけ。どうせ言ったって聞かねぇよ。聞いてくれたとしても否定されるだけだ。ありゃあ他人の言うことを受け入れられねぇ生き物だろうからな」

「厳しいことをおっしゃいますわね。ですが、行動もせずに切り捨てるのは逃げることですわ。正しくありません」

「正しいさ。自分に益のない無駄な言動を慎んでるわけだからな」

「そうですの。いささか、考え方に違いがあるようですわね」


 冷たく答えて、セレスタは揉めている団員たちのほうに近寄っていく。


「……ちっ。わかっちゃいたが、正義の味方ってやつか、あの女」


 一人残されたカズヤは嫌々ながら、決然と揉め事に近寄っていくセレスタの背中を追う。

 大柄な男性が部外者の接近に気づくと、隣にいた髪を結わえた女性も振り返った。

 怪訝に見つめるふたりの目の前で、セレスタは歩みを止める。


「そのお方、嫌がっていますわよ。誇りあるフリッグ召喚騎士団の一員ともあろう者たちが、こともあろうに詰所で揉め事とは感心いたしませんわね」

「あんた誰? いまこいつと話してんだから邪魔しないでくれる?」

「そうはいきません。同じ騎士として、知らぬフリで看過はできませんわ」

「いきなり出てきて偉そうなこと言ってんじゃないわよ。――っていうか、その髪……あんた、もしかしてセレスタとかいう女? へぇ、入団してたんだ」


 話しかけてきた人物がセレスタと知るなり、女性は嘲るような微笑を漏らした。


「なぜわたくしの名前を? あなたとは初対面ではなくて?」

「知ってるわよ。あんた、結構な有名人だからね。女王と同じ髪型で、女王の真似事をして片端から他人の問題に介入する“偽善者”だってね。まさか本人が知らなかったなんて。ふふふっ、これは傑作だわ。っていうか、あの話ほんとうだったんだ。ほんとに口を挟んできた!」


 嘲笑で煽っているつもりのようだが、セレスタはまったく動じていなかった。

 むしろ逆に冷めた声で、つまらなそうな眼差しを一人で楽しくなっている女性に向ける。


「ああ、その話ですの。何度か耳にしましたが、あなたたちのような悪人の声は全然胸に響きませんわね」

「『悪人』かぁ……ふぅん、生意気な口を利くじゃない。あんた、あたしがこいつに何を言ってたか知ってんの?」

「存じませんが、ろくでもない戯言であることは想像に易いですわ」


 その自信はどこからくるのかと疑わしく思ったが、何を言われても引く気はないようだ。

 大柄な男性が「立ち去れ」とばかりに睨みを利かしているが、セレスタは毛ほども意に介していない。

 嘲笑している女は、床に座りこんで俯いている女性を指差した。


「あたしはこいつに、騎士団を抜けろって言ってたの。こいつは力もないくせに入団して、偶然にもそれなりに強い守護者を召喚できたまでは良かったけど、その守護者を先日の戦いで失ったの。なのに、もう何の役にも立たない足手まといのくせに、あたしが辞めろって言っても頑なに拒否すんのよ。無力なのに口だけは達者で、まさに邪魔者って感じでしょ? だから足手まといだって教えてやってたのよ。あたし、間違ったこと言ってる?」

「ええ。間違っておりますわ。諦めるか否かを決めるのはあなたではなく、そのお方が自分で決めることではなくて?」

「あんた話聞いてた? 決められないから言ってやってんのよ。こいつは国を守る騎士に憧れて入団した。力を失ったいまも、その憧れた気持ちだけが残ってて、叶いもしない夢にいつまでも縋りついてんの。ほんとうに国を守りたいなら、足を引っ張るようになった時点で辞めるべきなのにね。自分がかわいいだけで何もわかってないのよ、こいつは」

「守護者がなくとも騎士団に貢献する方法はいくらでもありますわ。足手まといというのは勝手な評価ではなくて? あなたは優位な立場を利用して、他人を見下すことで自分の欲望を満たしているだけですわ」

「……は? あんた、口の利き方ってもんがわかってないわね。あたし、あんたの先輩よ?」

「あいにくと生きてきた年数を重視する考えは持ち合わせておりませんの。悪人に対して用いられる敬語を、わたくしは存じませんわ」

「へぇ……おもしろいこと言ってくれんじゃん。あたしと一戦やる? 互いの守護者も連れてさ」


 睨みあうセレスタと性格の悪い女が火花を散らす。

 大柄な男もカズヤに殺意の込められた鋭い視線を飛ばしてきたが、カズヤはめんどくさそうに目を逸らした。

 あの男には、どう楽観的に考えても勝てる気がしない。

 ただならぬ雰囲気に惹かれたのか、どこからか集まった他の団員たちが野次馬の列を形成する。

 傍観する誰もがさらなる争いへの発展を確信しかけたとき、諍いの輪の中心から細く小さな声が発せられた。


「もういい……私、辞めるから」


 ローラと揉めていた気の弱そうな女性が、視線を床に落としたまま立ちあがる。

 その足元に、一筋の雫がこぼれ落ちた。


「ありがと、ローラも、セレスタさんも。自分のことがよくわかった。騎士団はもう辞めるから、ふたりも争いはやめて。……これ以上、私を惨めにしないで」

「ですが、あなたは――」

「やめとけ、セレスタ」


 傍観を決め込むつもりでいたカズヤだったが、思わず横から口を挟んでしまっていた。

 往生際の悪いセレスタに、少々の苛立ちを感じたからだ。

 これ以上引き止めて、事態が改善されるとは到底思えない。


「自分で決めた答えだ。もう、おめぇが口をはさんでいい問題じゃねぇ」


 薄々わかっていたのか、セレスタは苦い顔を浮かべて閉口した。

 全員が黙ってしまうと、囲われていた女性は肩を落としたまま離れていき、俯きながら静かに階段をおりていった。


「は、結局こうなんのよ。無意味な論争をさせられて疲れたわ。他人事に首を突っ込むのは自由だけど、ほどほどにしておくことね。これ、先輩騎士からのアドバイスよ。さ、いくわよ」


 性格のキツい女性――ローラが彼女の守護者と思しき大柄な男性に声をかけると、大男は黙したまま頷いて、ふたりもその場を去った。

 事態が収拾したのを見届けて、野次馬たちも散り散りになっていく。


「やることがあるんだろ? 俺たちも行こうぜ」

「……ええ。そうですわね」

「そう落ち込んだ顔すんなって。あのローラとかいう女も言ってたが、おめぇが引き止めても、あいつが辞めるのは変わらなかっただろうよ」

「わたくしは、そうは思いませんわ。わたくしにもっと力があれば、不本意な選択を改めさせることもできたはず。こうなってしまったのは、わたくしの力不足に他なりません」


 セレスタの自意識過剰な発言に、カズヤは眉をひそめる。


「そうかよ。だがな、余計な口出しをして損すんのはセレスタだ。俺は、そんな難儀な性格は改善したほうがいいと思うがね」

「カズヤには関係ないことですわ。わたくしの守護者のくせに、少し口が過ぎるのではなくて?」

「……ああ、そうかもな。喋りすぎたかもしれねぇ」

「ふんっ、以後気をつけることですわね。ほら、行きますわよ」


 そっぽを向いたセレスタが階段のほうに歩いていく。

 カズヤもあとに続こうとしたが、


「――おい」

「あぁ?」


 急に背後から声をかけられ、首をまわして振りむいた。

 セレスタにも聞こえたのか、一度歩き出した彼女がカズヤのとなりまで戻ってくる。

 ふたりの視線の先には、セレスタが介入する以前から揉め事を傍観していた痩せた男が、楽しげな笑みをさらして立っていた。


「みてたぜ。ご立派な精神じゃねぇか」

「あなたのような傍観者にはなりたくありませんので」

「へっ、わるかったなぁ傍観者で。誇り高き偽善者様に言われちゃあ、返す言葉もないぜ」


 不気味な微笑を浮かべて、男はポケットに両手を隠したまま身体を横に向けた。

 短い感想を述べて立ち去る前に、男はセレスタを怪しげな眼差しで眇めた。


「でもな、そんなんじゃ、じきにあんたも辞める羽目になるだろうぜ」

「ご忠告感謝いたしますわ。あいにくと、そんな事態にはならないですけれど」

「さぁて、どうだかな……」


 捨て台詞を残して、男は上階につづく階段のほうへ歩いていった。


「あいつはたぶんアレだ。病気だな。にしてもまぁ、騎士団とやらにはバラエティに富んだ色んな奴がいることで。どいつも面識がなかったみてぇだが、セレスタは同じ騎士団員のくせにあいつらと一度も顔を合わせたことねぇのか?」

「ありませんわね。わたくしは本日が入団初日ですし」

「……え、なに、おめぇ日が浅いどころか今日が初日なの? ぴちぴちの新人ってやつなの?」

「当然ですわ。守護者を召喚して初めて、騎士団への入団が認められるんですもの」

「おいおいおい、それで先輩に意見してたのかよ。すげぇな、おまえ」

「間違いを指摘するのに、年齢も階級も関係ありませんわ。歪みは見つけしだい正す。それがわたくしの信条ですの」

「そりゃあまぁ、たしかにご立派な精神だことで」

「その立派な精神に引き寄せられた守護者がカズヤなのですわよ? このあとの試合、わたくしは大いに期待しておりますわ」


 皮肉が通用しないどころか、そのまま跳ね返ってきているように思えてカズヤの気分はまたも沈んでいく。


 ――もうほんと帰らせて……。


 うなだれながら、カズヤはセレスタとともに階段をおりていった。

 

          *

 

 フリッグ召喚騎士団の詰所の一階までおりたセレスタが、正面の巨大な出入口に向かっていく。

 入団して早々に己の無力さを痛感させられる事件が起きたが、落ち込んでいる暇はない。

 これから革命戦を行うのだ。

 この戦いに勝てば、能力が主席クラスであることを認められる。

 そうなれば、いままで届けられなかった気持ちが、多くの人の心に響くようになるだろう。

 幼い頃から夢見てきた理想に、ようやく大きな一歩を踏み出せる。


 ――あと少し。あと少しですわ。見ていてください、ルナフランソ様。


 憧れとして慕う女王の麗しい顔を脳裏に浮かべて、胸には明るい希望を抱く。

 セレスタの思い描く未来には、自分に都合の悪い展開がなにひとつとして介在していなかった。

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