第2話
見るからにお嬢様っぽい金髪の女性に連れられて、カズヤはバルコニーがある最上階から階下の談話室にやってきた。
自分の置かれている状況に理解が追いつかないカズヤの頭にあったのは、実にシンプルな疑問である。
――なんで、こんなことになってんだ……?
訪れた談話室には応接セットが点在しており、雑談に興じている先客が何組かいた。
金髪のお嬢様は左奥にある空席を選んで腰かけた。
指示されたわけではないが、なんとなく空気を呼んでカズヤはお嬢様の対面に座る。
腰をおろしたことで気が緩み、思わず口の端から弱音が漏れた。
「ここはどこだぁ……?」
「談話室でしてよ。あなたの世界には、こういった部屋はなかったんですの?」
「んなこたぁわかるよッ! そうじゃねぇだろ! さっきの俺の反応からして、この世界はなんなんですか? って意味に決まってんだろうが!」
「野蛮な言葉遣いですわね。わたくしの
「守護者ってなんだよ。まさか俺のことか? だいたい誰だよおめぇは。夢ならさっさと醒めてくれ……あー……殴られても醒めなかったし、夢じゃねぇのかコレ? ……え? じゃあなに、これ全部現実ッ!?」
「やかましいですわね。いちから教えてさしあげますから、黙って耳を傾けなさい」
知らない世界に突然飛ばされたというのに、そんな子供を叱りつけるような物言いでおとなしくなれるはずがない。
だが、現状把握を一秒でも早くしたいのもまた本音である。
従えば教えてくれるのならと、カズヤは喚き散らしていた声を止めた。
高飛車なお嬢様は満足げに軽く鼻を鳴らすと、机の下でしなやかな足を組んだ。
「すでにお気づきとは思いますけど、ここはあなたの知っている世界ではありませんわ。わたくしにとって、あなたがつい先ほどまで生活を営んでいた世界は異世界。それはつまり、あなたからすればこの世界こそが異世界ということになりますわね」
「まてまて! じゃあなにか? おめぇは俺が異世界に――」
「セレスタですわ」
「あぁん?」
話に割り込まれてカズヤが片眉を吊り上げる。
不快感を前面に出してみたが、お嬢様は意を介さずに言葉を続ける。
「わたくしの高貴なる名前でしてよ。以後、わたくしのことはそう呼びなさい」
「せれすたぁ? ああ、セレスタか。わりぃけど外人の知り合いなんざできたことがなくてな。英語さえ曖昧なのに、どこかもわからねぇ異世界の言語なんざ俺に話せるわけが……」
一旦切って、間抜けな表情を浮かべて再び口を動かす。
「話せてんのかこれっ!?」
「大袈裟ですわよ。守護者(ガーディアン)として召喚されたあなたは、わたくしと同じ言語能力を有しておりますわ。会話に関しては心配不要でしてよ」
「ますますうさんくせぇな。おめぇほんとに外人か? 染めた金髪にしちゃあ随分と自然な仕上がりになってるが、実はカツラなんじゃねぇの?」
「失礼ですわね。高貴なるわたくしに許された優美なる地毛ですわよ。あなたのいた世界では金髪の乙女はいらっしゃらなかったのですか?」
「いたが、俺の国じゃあ金髪は基本的にバカとアホの代名詞だ」
「……わたくしのこと、馬鹿だと思ってらっしゃいましたの?」
「……」
言うべきか言わぬべきか。
一瞬だけ逡巡して、言わないことに決めた。
「話を戻すけどよぉ、俺はマジで異世界に来ちまったっていうのか?」
「話題を逸らすのが下手すぎですわっ!」
「まぁまぁ、それはもういいじゃねぇか。それより、そのあたりどうなんだ? マジだとしたら、なんでそんなことになっちまったんだ?」
セレスタは声を荒げて抗議してきたが、宥めてから質問すると、机に乗り出していた上半身をおとなしく椅子に戻した。
気を取り直すように、セレスタは軽く咳払いをする。
「こほんっ。異界召喚の儀式によって、あなたはこの世界に移動しましたの。でもそれは喜ばしいことではなくって? 異界召喚の儀式は、異世界から無差別に存在を呼び寄せるわけではありませんわ。別の世界に住む、“異世界を望むもの”だけが召喚の対象となるんですもの。あなたもこの世界を望んだのでしょう? 夢が叶ったのですわよ? でしたらうろたえず、素直に歓喜したらどうですの?」
「まてまてまて! 俺はこんな世界に来たいなんざ微塵も思ってねぇよ! ファンタジー世界に憧れるのはとっくの昔にやめたっつーの! てめぇが勝手に連れてきたんだろ? それとも責任転嫁かぁ? 俺が望んだってことにしねぇと都合がわりぃのかぁ?」
「古代より続いてきた異界召喚の儀式に誤りなどありえませんわ! 己の胸に手を当てて思い返してごらんなさい。誓って、その言葉に偽りはないと断言できますの? 別の世界に行きたいと、そう望んでなどいなかったと、崇拝する尊きものを前にしても口にできますの?」
尊きもの。
そんなふうに言われて、カズヤは頭にそう呼ぶべき存在を思い浮かべてみる。
――こまっちゃん。
一秒にも満たぬ早さで、彼女の姿が脳内に具現した。
伊藤小町に誓うならば、万が一にも虚偽を言うわけにはいかない。たとえ勘違いだとしても、伊藤小町にだけは嘘をついたりはしたくない。
もちろんセレスタと伊藤小町には何の関係性もないわけだが、これはカズヤの気持ちの問題だ。伊藤小町を意識しているカズヤは、誰かを騙すような真似をしたくないと思った。
カズヤはこの世界にきて初めて真剣に思考して、自分の過去を振り返ってみる。
そうしてみると、ひとつの心当たりが記憶の水底から浮かんできた。
「……待て。まさか、“アレ”がそう捉えられちまったのか?」
「心当たりがあるんですのね。やっぱり間違っていたのはあなたではありませんか。浅はかな思慮で豪語するのは愚行でしてよ」
「いや、だがありゃあ喩えで、マジの異世界に行きたいなんざ思っちゃなかったぞ!」
「そんなのわたくしに言われたって知りませんわよ。だいたい、それを言ったらわたくしだって、もっと容姿端麗でかっこいい騎士様を望んでいたんですのよ? あなたのようなもじゃもじゃ頭、好きで召喚したわけじゃありませんわっ!」
「んなもん俺だって好きでもじゃもじゃしてんじゃねぇよッ! 簡単に直せんなら直しとるわ! ――ああそうだ、この天パ、この世界なら簡単に直せたりしねぇのか? 異世界だろ? 魔法とかあんじゃねぇの?」
「フェアリーなら魔法を使えますけど、癖毛を矯正する魔法なんて聞いたことがありませんわ」
「そうかよ。そりゃ残念だが、まぁいいわ、べつに。もう諦めたことだしな。それに、最近はこの髪型も覚えてもらいやすくてアドだと思うようになってきたところだ」
「アド……? 聞いたことがない言葉ですわね」
「言語は勝手に翻訳されて聞こえるんじゃねぇのかよ」
「こちらの世界に存在しない単語は、聞き取れても意味までは理解できませんの。といっても、こんなことは滅多にありませんわ。あなた、相当に特異な世界からいらっしゃったんですのね」
「あー……まぁ、俺の世界の標準語ってわけでもねぇんだけどな。向こうでも意味が通じねぇやつは多いだろうよ」
「どういった意味ですの?」
「んっ?」
「アドという言葉の意味ですわ。意味が通じたほうが、あなたも話しやすいでしょう?」
「いや、改めて説明すんのも恥ずかしいんだが……。簡単に言やぁ、得したって感じだな。俺は生まれつきの強烈な癖毛で髪型が一般的じゃないが、おかげで容姿を覚えてもらいやすい。他人に見つけてもらいやすいと、良いこともあるっつーわけだ。うん。そんな感じだ、たぶん」
知りたければ勝手に検索しろと突き放したいところではあったが、カズヤも薄々この世界の文明レベルには察しがついていた。
ローブの女性、騎士風の衣装を恥ずかしげもなく着るセレスタ。周りの壁は灰色の石で造られており、足元に魔方陣が描かれている部屋まであった。
どう考えたって、インターネット的な技術が生まれているはずがない。
そもそも同じ星ですらないだろうから、仮に検索技術的なものがあったとしても、『アド』なんて単語はヒットしないだろう。
「へぇ、そうなんですの。よくわかりませんが、いちおう、覚えておいてあげますわ」
「いやいや、テキトーに流してくれればいいって」
「遠慮することはありませんわ。わたくし、物覚えはいいほうですの」
「せっかく質のいい記憶力があんのに、そんな言葉覚えたら腐るぞ」
カズヤの浸っている業界では頻繁に交わされる言葉ではあるが、そのあまりの便利さにより、近年は度を越えて多用されている。
そのせいで持っていたはずの豊富な語彙力が失われて、使うたびに発言者の知能が低下しているようにも思う。
警告のつもりで指摘したカズヤだが、異世界出身のセレスタに配慮が伝わるはずもなく、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「よくわかりませんが、兎にも角にも、あなたはわたくしの守護者として、この世界に召喚されたのですわ。ここまではよろしくって?」
「よろしくねぇが、よろしくしねぇと永遠に話が進みそうにねぇ。よろしくってやるよ。ほんで、ここはどこだ? なにやらかっこよさげな白い服と黒い服を着た連中がいるようだが」
広い談話室の様相に目を巡らせると、カズヤたち以外にも離れた席で雑談している者たちがいる。
彼らは全員が黒色、あるいは白色の、色が違うだけの似たような服を着ている。
「鎧みてぇなもんを着てんのは、セレスタだけだな」
けれども、対面にいるセレスタの服装は、他の者たちとは違った。
白色を基調としている点は一部の者と同じだったが、一人だけドレスのような恰好をしている。
それもただのドレスというわけではなく、足元まで伸びたスカートの裾、胸元、両肩、に銀色の防具が取り付けられている。両腕には籠手まではめていた。
「あとであなたにも支給されますわよ。騎士団の制服は、騎士が白色、守護者が黒色になっておりますの。デザインには男性用、女性用の違いもありますわ。談話室にいる者たちをごらんなさい。皆、それぞれが黒色と白色の二人組ですわよね? あれは、騎士とその守護者ですわ。騎士と守護者は、基本的に常に行動をともにしておりますの。騎士のそばで仕えなければ、守護者は本懐が為せませんでしょう?」
「『でしょう?』と言われたってなぁ……つーか、さっきからたまに出てくる守護者ってワードなんだが、やっぱ俺を指してんの?」
「それ以外に何を意味するといいますの? 異世界より召喚されたものは、召喚した騎士の守護者と呼ばれますの。わたくしに召喚されたのですから、あなたはわたくしの守護者ということですわ」
「ほんで、異世界に来たいって願いを叶えてやったんだから、わたくし様のために死になさいってか?」
「別に、自害を命じたりはしませんわよ」
「けど、主人が生命の危機に瀕したら身代わりになるんだろ? 似たようなもんじゃねぇか。あー……手違いで俺がセレスタの守護者になっちまったみてぇだけどよ、わりぃが他をあたってくれねぇか? 俺を元の世界に返してくれよ。命を捧げんなら、俺はこまっちゃんに捧げたい。金も命も心も、形あるものないもの全部をくれてやってもいいと思えるほどの相手がな、俺のいた世界にいるんだよ。なぁ、そろそろ帰してくれよぉ。なぁなぁ、セレスタぁ~」
「なんですの、そのふざけた態度」
わざわざ召喚するのだから、セレスタには召喚した奴に期待していることがあったのだ。
簡単には帰してくれないと思ったカズヤは、自分の要求をのんでもらえるよう、なりふり構わず幼い子供が親にものをねだるときのように駄々をこねる。
しばらくじっとりした目で見ていたセレスタの顔が、ため息とともにそっぽを向いた。
「無理ですわ。守護者は天寿をまっとうするまで主たる騎士に仕えなければなりませんの。煩わしい制約がない代わりに、これだけは絶対不変ですの」
「…………うそだろ? じゃあなにか? 俺は異世界のわけのわからん騎士団の一員に勝手に加えられて、時空をも超越したまったく知らねぇ世界で生涯を終えることが確定しちまったっつーわけかッ!?」
「訂正なさい。そこいらに転がっている騎士団とはわけが違いましてよ。豊饒の神に愛されし偉大なる女王・ルナフランソ=アルテミス様の治めるフリッグ小国を、古来より伝承されし異界召喚の儀式により呼び寄せた守護者と己の磨いた剣術によって防衛する組織。それが、誉れ高きフリッグ召喚騎士団ですわっ!」
「やっぱわけわかんねーであってんじゃねぇか! なげぇんだよ説明がッ! っつーか待てよ。それがマジならあれか……? …………伊藤小町ちゃんともう会えねぇとか……そ、そんなわけねぇよな? それだけは耐えられねぇ! “他界”すんのは彼氏がいるのを知ったときって決めてんだよッ!」
「死んだわけではなくてよ? 肉体と魂は元の世界と変わりませんわ」
「俺の言ってる“他界”は絶命したって意味じゃねぇんだが……いや、今回に関しちゃあ同じようなもんか。はぁ……。……こまっちゃん。もう会えないとか、うそだよな……」
いままでで最も近くにいけると思ったのに、気づけば手を伸ばしても飛んでも天地が逆転したとしても、声すら届かない世界にきてしまった。
カズヤにとって生命力が体現した結晶とでも言うべき伊藤小町の存在を失ったことで、身体中からみるみる生気が抜けていった。
生きながらにして屍と化したカズヤに、かけるべき言葉を見つけられないセレスタが困り果てて苦笑を浮かべる。
そろそろ大きくあけられたままのカズヤの口から魂でも出てきそうになったとき、談話室の扉がひらかれて、ローブを目深にかぶった男性が静かに入室した。
ローブの男性はセレスタを見つけると、足音を立てずに近くまでやってきて足を止める。
「騎士セレスタ、革命戦の準備が整いました。第三演習場までお越しください」
「もうそんな時間ですの。承りましたわ」
それだけ告げて、ローブの男性は部屋を出ていった。
セレスタが机に両手をついて席を立つ。
「立ちなさい。移動しますわよ」
「ほうっておいてくれぇ……おれぁもうだめだ。病んじまった。あ、ここでいう病むっつーのは、病気を患ったとかじゃなく、心に深い傷を負ったとか、そういう意味な」
消え入りそうな掠れた声で呟く。
ふてくされたカズヤを見かねたセレスタは、机の反対にまわってカズヤの隣に屈みこんだ。
俯いている顎をあげられて、無理矢理に目を合わせられる。
綺麗な瞳に見つめられたカズヤは、恥ずかしさから、すかさず視線を逸らした。
「な、なんだよ。なにがしてぇんだ?」
「そういえば、あなたの名前を訊くのを忘れておりましたわ。教えてくださいます?」
「……尾関、和也」
「オデキ鍛冶屋? なにを言ってらっしゃいますの? わたくしは名前を訊いているのですわ」
「ちげぇよッ! 和也だ! カ・ズ・ヤッ!」
「カズヤ、ですわね。異世界の名前は聞き取りにくくていけませんわ。ではカズヤ、移動しますわよ。お立ちになって」
「……今度はなにすんだぁ?」
「試合ですわよ。戦い、と言ったほうが馴染みがあるかもしれませんわね」
「なんだそりゃ。穏やかじゃねぇなぁ。そういやぁセレスタは大層な剣を持ってるし、おめぇが戦うのか?」
銀色の鎧だけでなく、セレスタは立派な剣を納めた鞘も帯びている。
「わたくしは戦いませんわよ。帯剣してるのは、単に礼装の一部だからですわ」
「だったら誰の戦いなんだよ。関係ねぇなら勝手に行ってくれよな」
「何を言ってなさいますの」
けだるそうに机に突っ伏すカズヤ。
情けない姿をさらす従者に対して、セレスタは平然と質問に答えた。
「戦うのは、カズヤですわよ?」
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