第1話

 眩い閃光が色を失い、異界召喚の儀式が完了した。

 輝きの失せた大魔方陣の中心で、異世界から召喚された若い男がセレスタの手を握っている。

 もじゃもじゃと複雑に絡む髪型をした男は、片手ではなく両手をつかって、大仰にセレスタの右手を包み込んでいた。


 ――なんですの、これ。


 すれ違えば誰もが振り返るような容姿端麗な男性を期待したセレスタは、自らの守護者として目の前に現れた男の姿に呆然と立ち尽くす。

 若い男という点は合っている。しかし、その他はなにひとつとして期待に沿っていない。

 少なくとも、こうして向き合ってみている限りでは。


「こ、コマチさん。きょ、きょうのライブ、お、おぅ、おつかれさまでしたぁ! マジクソめっちゃ楽しかったっす! あ、あと! こうしてお会いできて握手も出来てマジ感激っすッ! 死んでもいいっすよ俺――あぁいや、僕!」


 どういうわけか、男は過度に興奮しているようだった。

 声の調子は不安定であり、これまたなぜか、登場からずっと両方の瞼を閉ざしている。

 これではきっと、いま立っている地面が瞼を閉ざす以前の世界と異なっている事実にも気づいていないだろう。

 異世界に飛んできた事実を信じられないというのは、異界召喚の儀式直後にはよくある話だ。

 ここにきた当初は戸惑っていたという思い出話を、かつて異世界に住んでいた者たちから何度か耳にしたことがある。

 だが、この男はどうなっている。

 目の前にいる軟弱そうな男は、どうも過去に聞いた話とは結びつかない反応をみせている。

 変わらず瞼を閉ざしているが、呪いや障害といった類の不可抗力が働いているようには見えない。おそらくは、自分の意志で閉じているだけだろう。

 いったいなんのために?

 まったくもって理解できない。

 セレスタは男の風貌と醸している間抜けな雰囲気に触れて、とある疑問を胸に抱かずにはいられなかった。


 ――この男、本当に騎士ですの?


 数秒前まで根拠はなくとも召喚される守護者は異世界の騎士だと確信していたセレスタだったが、瞳に映っている男の安価な服装、なよなよした姿勢を見てしまえば、いくら信じたくとも諦めるしかなくなってしまう。

 男の佇まいは、セレスタの思い描く騎士のそれと、あまりにもかけ離れていた。

 とはいえ召喚したのは自分だ。見た目はいまいちであったとしても、なにか想像もつかない特別な能力を秘めているに決まっている。

 そうでなければ困るのだ。

 セレスタは暗示をかけるように半ば無理矢理にそう信じて、未だに前を見ようとしない男の顔を睨んだ。


「いつまで寝ているつもりですの? いい加減、目をあけなさい」

「ははっ、なんすかコマチさん。変わった喋り方っすね。名前とのギャップがあっておもしろいっすけど、普段はそう話すんすか? ――って、んなわけないか! はははっ!」

「見ればわかること。戯言を垂れ流していないで、さっさと言うとおりになさい」

「なんすかSキャラっすか。僕、コマチさんのそういうの聞くのはじめてっすねぇ。いやぁ、引き出しがたくさんあるんだなぁ。いつかステージ上でも見てみたいっすね。なんか声もイベント中に聞くのと全然違うし、すげぇ新鮮っすよ。俺以外のファンも、コマチさんの新たな一面を見たらぜってぇ喜びますって!」

「ぐぬぬ……」

「ん? コマチさん、なんか変な音聞こえないっすか? スピーカーかなんかが故障したんじゃないすか? はははっ、色んな意味でアツいライブでしたから、機械もイカれちまったんすかね――なんつって。はははっ!」


 おそろしいほどに不快感を与えるヘタクソな作り笑いを浮かべて、男は暢気に戯けた発言を続ける。

 初対面の人物を前に、男は目を合わせるどころか瞼ごと閉じて頑なに開けようとしない。

 そんな常識では考えられない行為をされて、沸点の低いセレスタがいつまでも耐えられるはずもなく、どうしようもなくなって彼女は声を張り上げた。


「いつまで目をつむっていますのッ! 3秒以内にあけなさいッ! でないと殴りますわよッ!」

「えっ!? 殴ってくれるんすかっ!? 知ってますかコマチさん、応援してるアイドルに殴られるのってのは、我々の業界ではごふっ――!」


 男のいた世界ですら、ほとんどの者が知らぬ“業界”をセレスタが知るはずもない。3秒が経過したのでとりあえず殴ってみると、想定外の威力に驚愕する声をもらした男の身体が、硬い石の床を転がった。

 赤く腫れた頬をさすりながら、よろよろと男が立ち上がる。

 そこまでされてようやく、男は閉ざしていた両方の瞼を開いた。


「こ、コマチさん意外と力あるんすね。正直びっくりしましたよ。高校時代に体育教師に殴られたときより痛いっす。あ、でも別にいやってわけじゃなくて、むしろ嬉しいっす! コマチさんのパンチは痛ければ痛いほど最高っす! この痛み、一生忘れません!」

「あなた、他に言いたいことがあるのではなくて?」

「言いたいことっすか? そりゃあ……いやあ、恥ずかしいっすけど……実は、僕、コマチさんのこと――」

「そうではないでしょう! 周りを見てごらんなさい!」

「えっ? まわり、っすか?」


 指摘すると、男は左右にゆっくりと首を振った。

 事態を把握したらしい男は目を見開いたあと、表情を硬直させたまま、背後の壁や天井、足元の床にきょろきょろと視線を巡らせる。

 これで状況を理解できただろう。

 何が起きたのか、やっと説明を始められる。

 セレスタは腰に手を当てて胸を張り、男に対して見下すような目を向けた。

 知らない世界に飛ばされて困惑している男の質問に堂々と答えることで、主従関係を植えつけようという魂胆だ。

 信じられない様子で室内を見回していた男は最後にセレスタを見据えると、うまく説明しようと意気込んでいるセレスタに、左手を後頭部に当てながら暢気に微笑んだ。


「あれ、コマチさん髪型変えたんすか? 衣装も西洋の騎士みたいですし……あ、なるほどぉ! 待たされてたのは髪型と衣装を変えてたからなんすね! てことは、今日のお茶会は中世風ってことすか? いやぁ、僕も中世ファンタジーのゲームとか好きでしたし嬉しいっすよ! 部屋の内装も本格的っすねぇ。これどうやってんすか? どう見てもライブハウスに収まるわけがない広さに感じるっすけど……もしかして、これが最近うわさのヴァーチャルリアリティってやつなんすか? というか、コマチさん顔も変わってません? 僕、男だからよく知らないんすけど、化粧ってほんとすごいんすねぇ。もう別人にしか見えないっすよ」

「あなたまさか、本気で純粋に、邪な考えも一切の偽りもなく、そう思っているんですの?」

「そりゃもう当然っすよ! 僕らファンがコマチさんを騙すようなマネをできるわけないじゃないっすか!」

「そのコマチと、ここにいるわたくしが同一人物だと?」

「えっ……違うんすか? あ……もしかして――」


 あまりに遅すぎるが、男の顔にはっきりとした焦りが浮かぶ。

 行き過ぎている鈍感さには嘆息するしかないが、今度こそ話を前に進められそうだ。

 が……


「コマチさんのジャーマネさんすか! いやぁ、なんというか、個性的な服装っすね。まてよ……ジャーマネさんが騎士風の格好ってことは、もちろんコマチさんはお嬢様風ってこと……ですよねッ! ふぅー! チェキ撮ってもらったりできるんすかね! そしたら家宝にしますよ!」


 まるで、異世界に来たことを信じられない呪いでもかけられているようである。

 痺れを切らしたセレスタは、ずかずかと大股で男に近寄った。

 筋肉のついていない男の軟弱な腕を掴む。

 そうして強引に引っ張り、両端で呆気にとられている立会人には一瞥もくれず、儀式の間に唯一ある扉から外に出た。


「あの、ジャーマネさん? いったいなにを? 僕をどこに連れていくんすか? 会場はあの部屋じゃないんすか?」

「いいから黙ってついてきなさいっ!」

「は、はいッ!」


 部屋を出た先は長くて広い廊下になっている。

 すぐ横にある階段を無視して、硬く冷たい床をセレスタは一直線に歩いていく。


「あ、あれ、ここは…………?」


 元いた世界とは建物の造りがまったく異なるのだろう。この世界にきて初めて、男は困惑と不安の入り混じる複雑な表情を晒した。

 しかしセレスタは男に反応を返さず、突き当りの壁にあいているいくつもの縦長の隙間をくぐり、雲のない快晴の青空の下に出た。

 そこは、地上約50メートルの高度にあるバルコニーだ。

 バルコニーのふちに立つと、吹き上げてきた風にセレスタの金色の髪が舞い上がる。

 乱れる髪はそのままに、背後にある室内の様相にばかり注目している男の腕を取って隣に立たせた。


「ごらんなさい」


 短くそう伝えて、セレスタは腰の高さにある欄干に手をのせて景色を眺めた。

 男は隣に立つセレスタの顔を不思議そうに眺めたあと、倣うように同じ体勢をとってバルコニーから広がる美しい世界をその瞳に映す。


「は……?」


 小さくそう呟いてから、数秒を置いて――


「はあぁぁぁぁぁぁぁ!? なんじゃこりゃあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 都市全体を一望できるバルコニーから、果てのない空に混乱の叫びを響かせた。

 男がセレスタの予想どおりの反応を返したのは、これが初めてだった。

 両手で頭を抱えて膝から崩れ落ちた男を横目に、セレスタは対照的に大きなため息をついて肩を落とす。

 認めたくはなかったが、ここまで間抜けでは、むしろ認められなければ自分に無能の烙印を押されてしまう。

 プライドの高いセレスタにとって、それは耐えがたき屈辱だ。

 いったい、なにを間違ったのか。

 いったい、どこで間違えたのか。


 ――いいえ、わたくしは間違ってなどいませんわ。


 そう断言できるだけの自信がある。


 ――ですが、


 自分が正しい行いを重ねてきたことを疑うつもりはない。

 しかし、隣で涙目になっている男の正体についてもまた、確信めいた推測がひとつだけ、セレスタの胸中に浮かんでいた。


 ――“これ”は、絶対に騎士様ではありませんわ……。

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