罪
しらす丼
悪夢と妹
手の中にある赤黒い塊が心臓であることに気づいたのは、目の前で横たわる妹を視認した時だった。
ピクリとも動かない妹は、既に人ではなく物体と化しているようだ。人の命はこんなにも呆気ないものなのか、と思う。
それから視線を感触のある右手に移した。
指の隙間からどろりと垂れる赤い液体。
微かに動く生あたたかい塊。
なぜ、こんなことをしたのだろう。そんな考えが頭をよぎる。
それからふと……この心臓を『どこかの誰か』に渡さなければならない。私はそんな衝動に駆られた。
その『どこかの誰か』の正体は分からない。
けれど私は横たわったままの妹を置いて、車を走らせた。
近くの市民病院。私はいつの間にかジップロックに入れた心臓を『どこかの誰か』の主治医に渡す。
しかし。
「これは使えない。遅すぎたんだ」
主治医からはそんな残酷な言葉をもらった。
せっかく妹から抜き取ったのに。何にもならなかった。
途方に暮れ、私は背のないソファで項垂れる。
「これ、どうしよう」
まだ温かい。でも、直にこいつもダメになる。
なぜか捨てる気にはならなかった。だから妹へ返すことにした。元のあるべき場所へと。
私はまた車を走らせて、家に向かった。
そして妹の部屋に戻ると、心臓を抜かれたはずの妹の身体はまだほんのり温かかった。
「ねえ」と声をかけると、妹の目が少しだけ開いた。
そんな妹に驚愕し、目を見張る。
妹は私の態度など気にせずに、口を動かした。
「なに?」
「……助かるよ」
「そっか」
それだけ答えて妹はゆっくりと瞼を閉じる。
ついに事切れたか、と妹の体に触れると、その体にはまだ温もりがあった。
「間に合うといいな」
私は妹を背負い、リビングにいる母へ病院まで送ってもらうように頼んだ。
「いいわよ」と母は答えたが、それからが長かった。妹の身体は冷たくなって来ているのに、母はなかなか動き出さない。
早く、はやくっ!!
心で叫んでも、母の動きは変わらない。
自分の車を使った方が早いことくらい分かっていた。しかし、私はあえてそうしなかった。きっと車を血で汚したくなかったのだろう。
なんて非道な考えをする。私はそんな自分自身に苛立ち覚えた。
そしてその苛立ちは別のカタチになって、母に向いた。
「早くしてよ! この子が死んじゃうじゃんっ!!」
私の叫びでようやく状況の深刻さに気がついたのか、母は目の色を変えた。
そして車へ乗り込み、私たちは近くの市民病院へと急ぐ。さっき私が心臓を持ち込んだ病院に。
救急外来に妹を預け、手続きをしてから妹は心臓の移植手術を受けた。
移植も何も妹の心臓なのだが。
手術は成功。妹はICUに運ばれた。
ICUの前にある腰掛けのないソファに私と母は並んで座った。
「どうしてこうなったか知りたい?」
私はそっと尋ねると、
「言いたいのなら聞いてあげる」と母は答えた。
私はその答えに口をつぐんでしまった。
本当は言うべきことだということはわかってる。けれど私は秘めることにした。
いくら妹が助かっても、今回のことが罪であることに変わりない。
私は犯した罪から逃げることにした。
そういう最低な人間なんだ。
***
ハッと目を覚ますと、時刻は午前十一時三十六分だった。
昨夜は深酒をしたからなのか、ぐっすり眠っていたらしい。
「妹の心臓を抜き取る夢か。私は誰にその心臓を捧げようとしたんだろう」
少し逡巡してみるも、周囲にそんな相手は見つからなかった。
今の私は何かを救わなくちゃならないと必死なのかもしれない。カタチもない何かを。
そして殺しかけはしたものの、助けたいと思えたんだから妹のことはちゃんと妹として大切に思っているのかな、なんて思った。
こんな夢を見ちゃったお詫びに、今度カフェにでも連れて行ってあげよう。
そして今日の話をして謝るんだ。
きっと妹は気にしないだろうけど、私はなんだか嫌だし、悲しかったから。
その悪夢は私に何を伝えようとしてくれたのだろう。
その答えが分からないまま、私は今日も生きていく。
罪 しらす丼 @sirasuDON20201220
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