第8話 日永


「何するの」


「父さんも義母さんも日中はいない」


 彼は玄関口の黒い支柱で縁取られた、柵にある、緑青でまみれたドアノブを開け、照り返るようなタイルが敷き詰められたテラス席に足を踏み入れた。


 チョコレートの表面のような形をした昔ながらの玄関のドアの両サイドには白いカサブランカを再現した、息を呑むようなステンドグラスが嵌め込まれていた。



「君に会いたかったのは僕も同じだよ」


 私は同意を促すかのようにまた手を引っ張られた。


 誰もいないのに入っていいのだろうか。


「まだ早いよ。両親が不在のうちに家に上がるなんて」


 いいよ、家族なんだから。


 難癖を付けようと付けまいと彼は私の実の従兄弟なのだから。


「怖いの?」


 ううん、怖くない、と私はこれから待ち受けるイノセントな状況を請け負いするために首を横に振った。


 彼はたくさん参考書が入った分厚い鞄から鍵束を出して細い指で開ける。


 取手の部分も凝った、菱形のアンティーク調なデザインだ。


 見惚れていると厳格な扉をもう開いていた。



「階段を上がって西側が僕の部屋。珈琲を煎れるよ。先に上がって」


 家の中は最初からもてなしを予想したかのように涼しく、むしろ体感的に肌寒いくらいだった。


 ピカピカに磨かれた埃一つさえもない漆黒の床、長い廊下には白いカサブランカが職人的な装飾が施された花瓶の中に活けてあった、見るからに高価そうなミニチュアデスクの上に置かれている。


 


 本当に誰もいなかった。


 キッチンスペースがあるであろう、向こうの物陰から珈琲の匂いが優雅に泡立つように香る。


 どこにも鼓動は避けられず、踝は必然的に震えた。


 こんなふうに二人だけで入っちゃいけない気がする、と私は幾許かの不安感に駆られた。




「まだ行かないの?」


 彼は洒落た鈴蘭のイラストがプリントされた並々と入っている珈琲カップを二つ、のせたお盆を持ってきた。


「ゆっくり話そう。久しぶりに会ったんだし」


 階段を上り、これもまた長い廊下を抜け、西側の格調高いドアの前で足は止まった。


 彼の手で案内され、開いた瞬間、熱気を連れ去った小風が私の頬をゆるりと撫でた。


 室内に入ると同時に古書の匂いが香木から瀰漫したような芳しさが緊張感を程よく解けさせた。


 


 彼の部屋の北側に配置された本棚には沢山の蔵書が並べてあった。


 漆塗りの机には分厚い参考書や教科書がずらりと律義に並んでいる。


 勉強した後なのだろうか、文房具やノートがそのまま、無造作に置かれている。


 文庫本はその参考書よりも有無を言わさず、思わず目を見張るほど多かった。


 黒い板張りの数多の蔵書が陳列されている、本棚も最初から設計された特注品のようにも見えた。


「ここは父さんが子供の頃に使っていた部屋なんだ。その頃から買ってある古い年代の本も多いんだ」



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