薔薇の痣

薔薇の痣



ローゼルが角を曲がると、満月の明るい光に晒され、娘が茅葺の屋根の小屋の壁に追い詰められていることがわかった。


「来ないで。あなたたちに用なんてないわ」


若者三人に言い返す娘は、全身を緊張させている。


ただ怯えるだけの大人しそうな娘ではない、その凛とした姿勢。


ローゼルは、気丈な娘に感心していた。


しなやかな動作で音もなく、彼は腰の鞘から剣を抜いて近づく。


「こんなところで何をやっている?」


背後から、ローゼルが低く響きのよい声で威嚇するように問う。


三人の若者は、慌てて振り向く。


ローゼルの肩幅広い屈強な肢体を包んだ騎士の身なり。


鍛え抜かれた手にゆったりと握られた剣。


それを見た三人は、蒼白になった。


ローゼルは、無言のままひと睨みする。


その圧倒的な気品と威厳。


三人の若者は、慌てて逃げ出した。



「大丈夫か?」


ローゼルは、三人がいなくなったので剣をおさめた。


若い娘を見て、優しく微笑みかける。


「私は大丈夫です。ありがとうございます。騎士様」


ローゼルに見惚れていたが、娘は我に返り、一礼する。


その物腰は、とても優雅でどこにでもいる街娘には見えなかった。


「どういたしまして」


「夜回りか、何かですか?」


娘は、驚くほど気さくに話しかけてきた。


ローゼルは、王の装束ではない。


それでも身分の高い騎士の格好をしている。


その上、誰もが狼狽え尻込みするほどの美貌の持ち主。


ローゼルに会った女性は、決して目を合わせようとしないか、反対に誘ってくるかどっちかだ。


それは、身分が高い低いに限らず、みな同じだたった。


若い娘は、そのどちらでもない。


純粋に好奇心を滲ませた、てらいのない瞳で見つめてくる。


ローゼルの好奇心も疼く。


それに応じて、左小指にある薔薇の痣から感じる熱量。


彼自身、気がついていた。



「こんなにも遅くに出歩くとは、危なすぎるな」


ローゼルは、そう言いながら、小屋の壁に凭れている娘に近付き、その前で止まった。


娘は、ローゼルを上から下まで眺め回してくる。


不躾と言える視線。


ローゼルは、気を悪くすることはなかった。


自分が彼女に魅力を感じているように。


同じく自分も魅力的だと、考えてくれているのか?


彼自身、そう考えると嬉しくなっている。


「そうですね。私は、もう行かないと」


娘は、不意に恥ずかしげに視線を逸らして、俯いてしまった。


「家まで送ろう」


「いいえ。騎士様にこれ以上迷惑はかけられません」


ローゼルは、そのまま逃すのが惜しかった。


すぐさま動き出し、彼は歩き出した娘の行く手を塞ぐ。


「先ほどの連中が、まだ近くにいるかもしれない。それにまだ名前をきいていない」


「名前を名乗ることは、無理なのです。おわかりください」


娘は、恭しい口調で、ローゼルの申し出を断ってきた。


「そう言われても困る。名を知りたい」


ローゼルは、引くに引けない熱い感情に衝き動かされていた。


堪らず俯く娘に、彼は自分の手を伸ばし、彼女の頬を撫でる。


若い娘の肌は、思った以上に柔らかかった。


「ソ、ソアラです。私は一人でも大丈夫なので、行かせてください」


ソアラは、そう言って、驚くほどほどの長い茶色の睫毛に覆われた深緑の瞳に、懇願するような表情を滲ませて顔を上げる。


「……わかった。ソアラ、今宵はここまでにしようか」


ローゼルは、ソアラをこれ以上困らせたくなく、真摯な瞳を向けた。


今回は引くことにして、彼は手をおろす。


「ありがとうございます。騎士様」


刹那、目の前のソアラが、ローゼルの首に両腕を伸ばしてくる。


花のような唇を寄せ、ローゼルに口づけてきた。


「!?」


唖然としたローゼルだが、情熱に衝き動かされ、ソアラを自分の腕で抱き寄せていた。


ソアラは、びっくりして身を震わせたが、ローゼルに応じて、唇を薄く開く。


暖かく湿ったソアラの口へ、ローゼルのの滑る舌を滑らせるのを許した。


不意に両手を立てると、彼を突き放してきた。


「……」


ソアラは、真っ赤に頬を染めている。


喘いでいる唇に手を当てると、慌てて踵を返したソアラは、その場から走り出してしまう。


ソアラは、暗闇に紛れ、見えなくなってしまった。


ローゼルは、ソアラを自ら追うことを考えたが、自分を抑制する。


自ら姿を見せることなく、控えている懐刀を呼び寄せた彼は、手短く指示した。

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