第9話 導火線

「どぅわぁあああああ!!!! 負けねえぇえええええ!!!!」


「ど、どうした!?!? 急に!!」


 今日からは毎日実際の競技用トラックでの走り込みなので、男子も女子も先生も係員も──俺の声が聞こえる範囲にいる人たちが一斉に振り向いた。


 幸太郎なんてもうドン引きだけど知ったことか。


 お前もそうだけど負けたくねえやつが今はもう一人いる。

 しかもそいつはやたらと張り合ってくるもんだから、どう足掻いても意識してしまう。


 ──三輪美波。


 よく他校の強敵をフルネームで呼び捨てにするけど、今はなんだかその感覚に近い。


 〇〇高の〇〇に気をつけろ、めちゃくちゃ速い。

 いやいや、〇〇の方が速いぜ、ベスト8だし!


 みたいな感じの強さ議論で出す時の呼び方だ。


 打ち勝つべき相手として俺の中で根付いてしまっている。

 いろんな意味で──だけど。


「あぁ、悪い。大会前で気が立っているんだ」

「お、おう……まあ、中学の頃からお前、うるさかったしな」


 太ももをパチンパチン叩きながら雑に受け答えする。


「長距離選手は始まったら喋れないからな。だから俺はそれまでに吐き出してしまうのさ」

「へぇ、さっすがエースは考え方が一味違うねぇ」

「……一味違っても、べつにトップに立てるってわけでもないけどな。そう特別なもんじゃない」


 俺なんて、よくて県ベスト4だろう。


 客観的に見たら十分すごいとは思うし、参加人数で割ったら難関大学並みの競争率だ。

 でも、スポーツ選手ってのは頂点周辺のほんの一握りしか輝けないし生き残れない。

 県に四人いる程度の実力は全国的に見れば……何人だ? 二百人くらいか?

 とにかく、たくさんいる。

 同い年だけでもこれだけいるんだ。

 

 じゃあエースと言われてる俺がその程度なら、ウチに勝てる奴がいないのかと問われれば答えは否だ。


 陸上は男女の競技力に明確な差ができるスポーツなんだけど、それを容易く覆してくる特別な選手がいる。

 きっと彼女こそが今年の女子県チャンピオンだろう。


 そして、そいつこそが、頂点で輝く側の逸材だ。


「────怖い顔。わたしを食おうと思ってる。猛獣の顔ですね」

「っ、そんな顔してたのか」


 ああ、だめだ。

 Aグループで常に並走してくるもんだから、ふとした瞬間に見られてしまう。俺の心境を。


「スマイルですよっ。まさとくん、日に日におかしくなってきてます!」

「そうだぞ正人。美波さんの言う通りだ。肩の力抜いてけ」

「美波さん、幸太郎……」


 よきライバルで両手に花ができる俺はきっと幸せ者だ。



♧♧♧♧♧♧


 

 練習終わり、半裸で更衣室の冷たい床に寝転がっていると、


「おい、正人」

「んん?」

「三輪さんとはどうなんだ?」

「ぁあ、お前もそれ聞いてくる感じか」


 最近よく聞かれるなぁ。


 どうなんだと言われても、困るんだけど。


 そもそも、それを知ってどうするつもりなんだ、みんな。


「……流石の俺でもわかる。三輪さんはお前のことが…………好き、だろ」


「…………」


「やたら正人と張り合ってるし、一緒に帰るし、なんか楽しそうだし……そもそも陸上入ったのお前目当てだろ」


「…………」


「なんか言えよ」


「……ああ。そうかもな」


「はっ、羨ましい限りだな!! だったらもっと嬉しそうにしろよ」


 幸太郎は吐き捨てるだけ吐き捨てて、ロッカーの扉を優しく閉めた。


「…………ま、それはそれとして勝つのは俺だけどな」


 飲み残しのスポーツドリンクを俺に投げつけると先に出て行った。


 一人になってしまったけれど、俺は動かずタオルを顔に被せて、大の字になる。 


「……」


 お前目当てだろ、か。


 そんなの知ってるさ。

 俺だって馬鹿じゃない。

 連日のアプローチなんてもうあからさまだ。


 なんだろう。

 

 何かと理由を付けて正体不明の何かから目を背けているような感覚がある。

 

 そしてコイツは時間が経つほどに深く心に食い込んでくるもんだからタチが悪い。


「……帰るか」

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