第8話 絶対防御

「──で、どうだったの?」

「べつに……」


 明くる月曜日。

 ニンマリと口角を上げる地衣ちいさんにそんな風に問われたが、近づいてくる顔面をしっしと手で払う。

 

「つかなんで地衣さんが聞いてくんのさ?」

「なんでって……なに?」

「はっ、とぼけるなよ」


 太一の野郎から漏れたのか?

 愚問。

 それ以外に無いな。


「はぁ……死にてえって思った」

「ふーーん、なんで?」

「……俺がゴミすぎるからだよ」

「ほーーん?」


 不甲斐ない俺と。

 るんるんと身体を弾ませる美波さん。

 ショッピングモールに向かうと即座にファッションショーが始まり、そこでも俺は醜態を晒した。


 美波さんがひょこひょこと試着室から出てきてお披露目してくれたのだが、可愛い上にモデルのようにスタイルの良い彼女からの『美』の過剰供給によって俺はあっという間に語彙力を失いショートしてしまったのだ。


 最後の方は、「すごいね」「可愛いね」「綺麗だね」を言うだけの単純な行動しかできないくるみ割り人形。


 言葉を発するたび、自分の情けなさに胸が締め付けられる。


 この気持ちがあんたにゃ分かるかね?


「そりゃあんたが童貞だから、じゃないかな」

「……はい? 本気まじで言ってる?」

「マジマジ。本気マジの付き合いしたことない、経験なしの初心者ルーキーでしょ。あんたは」


 何だよその言い回し。

 これだからモテる奴は、お口がよく回る。

 

「まあ……べつにいいよ。自分自身がちょっと嫌いになっただけ、来週辺りには回復してるよ。それに、一回こっきりだし。そもそも付き合ってねえしな」

「えっ、一回ってなに? 付き合ってもないの??」

「え、そうだけど……?」


「えぇ〜、おっかしいなぁ……」


 あっれぇ、と腕を組んで首を傾げる地衣さん。

 「おもろいことになってるから近づいたのになぁ」と心の声を言葉にして発してくれるのである意味親切だ。


 ところでなんか情報に微妙な違いがあるっぽいけど、なんなんだ?

 太一が適当なことを吹き込んだのかな。


「……じゃ、俺はもう行くよ。ガチで授業遅れる」


 ちょうど1分前に授業開始3分前のチャイムが鳴ったので、廊下で壁ドンされてる場合じゃないのだ。


 しかし、この程度の講義でツン要素有りの小悪魔地衣さんは止まらない。


「ふふっ、じゃあさ。わたし──が。正人クンに女の子のぉ──」


 耳元──に。

 生暖かい風が────かかり、


「う──そ」


 離れる。


「はははっ、じゃあね〜。グッドラックだよ、正人君!」


 ひらひらと手を振って走り去ってゆく地衣さん。

 

 くそ、やられた。

 動けねえよ。

 

 10秒後、取り残された俺は一人で授業開始のチャイムを聞くことになった。



「地衣さん……きみも遅れてんじゃん」



♧♧♧♧♧♧



「────というわけで、いよいよ一週間後が大会や! 気ぃ引き締めてくで!!」


「ウオオオオオオ!!!!」


 

 大会が間近に迫り、俄然モチベが上がってくる──ので、いてもたってもいられなくなって駅まで走って帰ることにした。


 ──というのは建前で、至極個人的な感情で、美波さんと今日は一緒に帰りたくなかった。


 しかし、


「じゃあ、わたしも負けてられないですね!」


 などと行っておもむろにシューズに履き替え始める美波さんを止めることなど出来ず、俺たちは登校用のバッグを背負ったまま走り出す。



「……っふ。ふっ、はっ、はっ」


 いつもの下校コースではなく、迂回コース。

 黄金色に照らされ始めた地面を女子と一緒に走っている──青春のようなことをしているというのに、会話はない。


「はっ、はっ、ほっ、ほっ、ほっ」


 美波さんの息も徐々に上がり始める。

 が、やっぱり足音からして体幹は一切崩れない。


「はぁっ、はぁっ、ひぃ、っつ」


 二人の雑音は遠ざかり、荒くリズミカルな呼吸が重なってゆく。

 それだけ。

 ただそれだけ。


 少しずつ足は重くなっていくけれど、心はどんどん軽くなる、晴れてゆく。


 ああ。

 いい、

 これがい


「──────っ、あ」


 呼吸がずれる。

 足音も、ずれる。


 バランスが崩壊した原因は──


「──っ、美波さん!!」

 

 前のめりに身体を投げ出してしまう美波さん──の、前に俺はスライディングして受け止める。


「ぅく──っ」


 痛む尻。

 俺の身体前面を包む柔らかい感触、甘く優しい香り。


 どれも衝撃的だけど、何よりも純粋に、


「はぁっ、は……っ、けが、怪我はないか? 大事になったら大変だ。危険なことに付き合わせてしまって……ごめん」


 衝動的に口に出たのは、美波さんと──美波さんの競技人生の心配だった。


 変態的なまでにまじまじと美波さんの身体を観察して、綺麗な肌に傷ひとつないことを確信する。

 ダメージを負ったのは俺の尻だけだ。


「っし。良かったぁ」


 安堵して俺はそのまま歩道の固いコンクリートに寝転がる。

 まじで良かった、ほんとに。


「……」


 ──で。

 

 一難去ってまた一難。

 はて、今どんな状況だ?


 この前よりも遥かに刺激的で、初心者ルーキーにはかなり……。


「………………むりぃ」

「?」


 俺の上で馬乗りになった美波さんが、盛大に顔を赤くしてブンブンと首を振っている。


「むりむりむりむりむりむりむりむりぃいいいいいい!!!!!!」


 そして胸の上にポカポカと降り注ぐ拳の嵐。

 俺はなすすべもなく受け入れ、(おそらく)達観した表情で美波さんの目を見つめる。


「──っし。いけるな」

「ふぇ?」


 現状、俺の心は凪いでいる。

 最強だ。

 無敵なのだ。


 走っている俺ならば。

 心を無にできる俺ならば。


 美波さんの超火力に情けなく大敗することもない。


「……いや、なんでもない。さ、続きいこうか」

「あ、は……ぃ。あっ、いや」

「うん?」

「……っ、いえ、忘れてください。代わりに……競争でもしませんか?」


 人差し指を合わせてイジイジモジモジしながら美波さんは提案する。

 代わりがなんなのか分からないけど……。


 競争か。

 もちろん。


「臨むところだ。負けた方ジュース奢りな」

「えっ、そんなの! じ、じゃあ、お先に行きますよ!!」


 上になっている美波さんの方が早く駆け出した。

 死に物狂いで走る彼女の背中を見ながら俺はゆっくりと立ち上がり、深く息を吐き捨てた。


「絶対負けねえ」


 10分後、俺は一番高い缶ジュースを奢ることになったが、爽やかに汗を流す美波さんが屈託の無い笑顔を見せてくれたので──まあ、いいかと深くながらに思ってしまったのだった。

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