正義のモテ男作り

@wizard-T

正義のモテ男作り

「ちょっと部長、まだ仕事してるんですか?」

「私はお金が必要なんです!」

 彼女は今日も、オフィスに張り付いていました。

 9時から5時までのホワイトぶりを無視し、8時に来て0時に帰っているのです。

「全ては家族のためです、家族のために……!」


 四十二歳と言う年齢にしては荒れた肌、薄い髪の毛、目立つ皺……。

 それらすべてを気にする事なく、文字通り身を粉にして働いているのです。


「って言うかもう退社時間」

「じゃあ給料上げてください!」

 金のためと言う言葉を隠しもせず、ロボットが嘆くほどに。

 社畜と言うより、社獣ですね。

 社内に残っている仕事と言う仕事を食い尽くすように、彼女は働くのです。

 そんな彼女のある日の三食は、おにぎり、おにぎり、おにぎり。

 冗談抜きで、そんな日もざらだったとの事。

 中には弁当箱に山とおかずを詰めていると思ったら、全部もやしだったとか……。

 冗談抜きでもやし体形になっていた彼女を心配する人間はいたのですが、その度に金寄越せを始めとしたクレクレ集りと鋭い目つきによる睨み付けで皆離れて行ったのです。

「部長……」

「まだいたのあんた」

「だって課長が帰らないから」

「違うわよ、あんたはとっとと帰れって言ってるの!耳どこについてるわけ!」

 実際人の三倍以上の仕事ができるから会社も彼女を出世させお金を出したのですが、日に日にヒステリックになって行く彼女に部下は手を焼いていました。

 一部の新入社員などはパワハラとまではいかないにせよ邪険にされ続け、何人も異動願いを突き付けてくる有様です。

 やがて社の方も彼女の傾向がわかってから彼女の好まざる社員を遠ざけていたのですが、それでも否応なく目に入ってきてしまうたびにますます不機嫌になっていたのです。

「ったく最近の若い子は…!」

 目を炯々と光らせ、肩こりも頭痛も目の疲れも追放する……もはや、彼女はお局様でも重役でも何でもなかったのです。




※※※※※※※※※




「不用品買い取ります」


 すべては私の仲間が投函したこのチラシから始まったのです。


 そのチラシを手に取った彼女は適当な物体を一つ手に取りながら、夫がいない間に私の所に電話をかけて来たのです。

 今よりだいたい十五キロほど体重が重く、大卒から十年間の就労期間を経て結婚し、おだやかな専業主婦だった時分の頃だそうで。


「いらっしゃいませ」

 物腰の柔らかく応対した私に向かって、彼女はその物体を見せました。

「これは……」

「うちの夫の趣味です。私には意味が分からないんですがね」

 何十年前に流行った、ロボットの人形。

 彼女にはまるで意味が分からない代物だが、旦那様には出会った時から、いや子どもの頃から後生大事にしていたそうです。

「それなら20000円ですね」

「20000……!」

「いえ、あなたが払うんですよ」

 一瞬20000円と言われてしめたとなりましたがねえ、当方は不用品回収業者ですよ。

「それは…」

 まあ一応頭を冷やしたようですが、だとしても手のひらに乗りそうな人形が二万円と言うのはあまりにも高いって顔ですね。

「とりあえずこちらを」 

 私はスマホを取り出し、ネットオークションのサイトを見せました。

「2000円じゃないの!」

 その商品の本来の値段は、2000円。

「ええ、そうですよ、ただし、わだかまりも何もなく処分するためには必要なんです」

「わだかまり?」

「はいそうです、何せこの手の代物にはねえ……」

 

 その手の話を、ご存じなはずでしょう。


 鉄道模型により全てを失った奥様のお話を……。


 その事により夫に去られ、暮らしを失うなど馬鹿馬鹿しいじゃありませんか。


 でも奥様曰く、釣った魚に餌をやり続ける代わりのように日々自分のセンスを失っていく夫を見ていると耐えられなかったそうです。


「そして、その少ない金の行き所がこれだと思うとなおさら……」

「ふむふむなるほど……」

「しかし20000円……!」

「実際それで別れられるのですから」

「うーん……!」

 確かに、夫の鎖を断ち切れると思うと気分はいいかもしれません。

「ですが一個消えた所で効果は知れていますよ」

「そうですね……」

「とりあえず……」

 奥様は旦那様の部屋を私に見せた下さいました。

 私は右手でスマホを動かしながら部屋中に並ぶ代物を見定め、左手で電卓を叩きます。

 確かに見る人が見れば宝の山、何も知らねばゴミの山ですねえ。

「この部屋全部ですか」

「はい」

「全部となると、500万円になりますね」

「50万円もするの……?」

「いえ、5000万円払ってください」


 500万円。

 全て合わせて、500万円。

 紛れもなく、500万円なのです。


「そんな……」

「見積もりはただですからご心配なく。しかし5000万円ともなりますと」

「わかりました、少し考えさせてください、どうもありがとうございました……」


 彼女は結局、その場での決断をあきらめました。


 ですが、代物を元の場所に戻すと、部屋がどうにも汚らしく、嫌らしく、キモく見えて来てしまったのでしょう。


 愛する旦那様、好きで結婚した人間の部屋だと、思いたくなかったのでしょう。


 彼女は、決意したのです。




※※※※※※※※※




 すべては夫のため。


 世間が許す立派な人間にするため。


 自分の全てをかけて。


 ここ三ヶ月は極限まで金を抑えるために職場から徒歩十二分、風呂なし三畳間のアパートに入り、食費も何もかも削って、夫のために戦っていたのです。


 あんなオタク男ではなく、自慢できる男の子どもにするため、子どもも作っていなかったとか。別居状態だろうか何だろうが、それでも良かったようで……。




 そして。

「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……」

 ついに5000万円を稼いだ彼女は、糸が切れたように眠り込んだそうです。



 自分は勝ったのだ。あの、忌まわしき人形たちに。

 あとはずっと握りしめて来た、あの業者に5000万円を払い、全てを片付けて……



「ただいまー!」


 鍵を開け、三ヶ月ぶり、と言うか十年ぶりに帰って来た我が家。

 細腕を必死に動かし、軽やかに走ったのです。


 だが、その家はやけに暗かったのです。

 まだ午後七時なのにとか思っていますと、テーブルに異彩を放つ一枚の紙が横たわっていました。



「離婚届」



 あわてて愛すべき旦那様の部屋を見ると、何もありませんでした。


 あの仇敵たちもさっぱりと消えていたのです、1円も払わないのに。



「お前とはもう夫婦で居られない。お前が稼いだ額は全部お前の資産にしていいから、そうお前の親御さんたちとの話し合いでまとまったんでお前も別の人生を歩め」



 そう書かれたメモを彼女は握りつぶし、そのまま泣きました。

 目がなくなるほどに泣き、テーブルを派手に湿気させたのです。




「何あれ……」

「シッ!見ちゃいけません!」


 そして泣きはらして出て来たご立派な主婦様に向けられる視線は、恐ろしく冷たかったです。

 ガリガリにやせ細り、皺は多く、髪の毛は白髪が目立ち、肌荒れもひどく、それでいて眼光ばかりむやみに輝き、それでいて凄まじいまでの殺気を漂わせた女。


 これほど教育に悪そうな存在もそうそうおりません。


 まあ一般論として、自己満足のために他者の所有物を捨てるために5000万円と言う名の怨念を十年かけてためるような人間より、何もしないで存在しているだけの彼ら・彼女らはずっと無害です。


 それがわからない存在がいるからこそ、私たちは飢えずに済んでいるのですがね。

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