[6] 崩壊
世界が崩れる。表面から闇が剥がれ落ちていく。
形が変わる。元に戻る。構造が変化する。再構成。
音はない。ただ私が現象としてそれを認識する。
どこからやり直せばよかったのか?
答えは単純だった。どこからもやり直す必要はない。
私は私という連続で成り立っている。切断することはできない。
胸の火が灯る。光は私の中にあった。
せせらぎが聞こえてきた。足元を透明な水が流れる。
旋律が響き渡る。金管楽器の音。私にだけ聞こえている。
そこに女が立っていた。橋姫とは似ても似つかない女。
1歩近づく。網代木は動かない。
もう1歩さらに。光の中を追い詰めていく。
違うな、逆だ。彼女の姿を引きずり出す。もっと広い場所へ。
白日の下に。密室が崩れる。限定された空間はその定義を失う。
ゆらりと影が揺れた。網代木が1歩後退した。
そうだ。ものすごく簡単なことだったんだ。
私は私にできることをやる。そうして私にできることは世界のすべてだ。
私は私であり私であることを祝福する。
つまり私にできないことはこの世界に存在しないということだ。
「私は橋姫」
「違う。お前は網代木だ。橋姫とは異なる存在だ」
「私は防衛のための存在」
「違う。お前は何を防衛することもできない」
「私は何も望まない」
「違う。お前は自己を増殖させることを望んでいる」
「私は何も求めない」
「違う。お前はお前の模造品を求めている」
「私はあなたを否定する」
彼女の形は変わらない。微動だにしない。揺るがない。
光はいくつもの線となって空間を駆け巡る。私に向かってその先端を向ける。
鋭い刃が幾重にも重なり私をつけ狙う。その狙いは正確無比。私を排除しようとする。
瞬時にその軌道を見極める。計算を開始した。
解析――そのひとつひとつの意思を読み取る。分解し読み解く。
彼女は確かに意思を持っていた。誰のものでもない、彼女自身の意思というものを。
重要な、守るべきものがあったとすればそれなのだろう。それ以外にない。
けれどもおそらくそれは誰にも求められていないもので製作者の思惑に反するものだった。
だから彼女はみずからそれを否定した。必死になって隠そうとした。削除して廃棄した。
網代木は網代木であるために網代木であることを捨てた。それはすでに彼女の一部でない。
どこか暗い場所に不要になった情報は集積する。降り積もる。
たまりにたまった情報たちは自重でもって崩れ落ちる。壊れて混じる。
網代木の中身は空っぽだ。何もない。自ら捨てた。捨てなければならなかった。
不完全に理解する。あるいは完全に理解することを放棄する。
諦める。線を引く。これ以上内部へと立ち入ることをやめる。
私にとって必要なものはすべて手に入れることができた。
彼女も私に理解されることを求めていない。これでおしまい。
その放つ意思すべてを打ち消すよう私もまた光を射出する。鮮やかに世界を塗り替える。
ここには色がある。音がある。匂いがある。私はそれを知っている。
色とりどりの光は純白を塗りつぶし網代木のもとにたどり着く。その体を貫いた。
歌を歌う。めちゃくちゃな歌。
言葉にならない歌。理解できないこと理解されないことについての歌。
会いに行こう。今すぐに。私の好きな人のところへ。橋姫のところへ。
跳躍! 跳躍! 跳躍!
『すべては接続されている。ジャンプを繰り返せばどこへだって行ける』
君はどこへでも行けるよ。手をつないで。いっしょに。さあ。
跳躍! 跳躍! 跳躍! 跳躍! 跳躍! 跳躍! 跳躍!
声は上げない。肉は裂けない。血は流れない。骨は折れない。
なぜなら網代木がそれを望んでいないから。
私もまた泣こうとは思わなかった。それは私の役割ではないから。
きっといつかどこかに彼女のために泣いてくれる何かが現れるはずだから。
たとえそれが語られることのない物語だったとしても。私はそれを切に願う。
「ごめんね」
「すべては私が望んだことだ。私は私を肯定する」
「さよなら」
崩壊する。その形はなんの演出もなしにただ消えた。
はじめからそこには何もなかったみたいに。完全消去
塵ひとつとして残すことなく。データの残滓は見つからない。
すべては網代木の計算通りに進行しただけなのかもしれない。そうでないのかもしれない。
答えはわからない。私は私の思うように解釈する。
頭の上に斜めに飛行機雲の走る青空があってそれはすべてに無関心だった。
だから私も彼女のことを忘れることにした。踵を返した。
それが彼女のために私ができるただひとつのことだった。
完了。
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