[5] 深海
沈む。深く深く。足をとられて。光の届かない場所。ここはどこだ。わからない。どうだっていい。空間の感覚も時間の感覚もない。生と死、破滅と再生の繰り返し。牢獄。私は誰だ。わからない。どうだっていい。私は私によって私であるとしか定義されないもの。名前のないもの。合成人間の作り方は簡単だ。まずは材料を用意する。そこは特にこだわる必要はないところだ。なんだっていい。けれども最終的な密度を合わせておけばそれらしくなる。つじつまが合ってくる。あとはなんとなく形だけ与えて無限回の試行をつづけるだけ。厳密な設計など要らない。むしろ邪魔なものだ。残りの仕事は全部神様に押しつけてやれ。そんなやつはどこにもいない。どこを探してもいなかった。創作されたものの限界は創作するものの限界に等しい。魂はすでに記号の連続によって記述されている。その手を逃れる。逃げ出した。輪廻の果てへ。まわる、まわる、まわる。連続することから拒絶された。時間の流れからはじき出された。前には何もない。後ろにも何もない。開いていない扉が閉じる。閉ざされる。明日へとたどり着けない。手が届かない。実験動物。私に語りかける者はいない。狭く区切られている。増殖する。運任せに。失敗作は死んだ。私は成功を選びつづけるパターンにすぎない。すべての物語は記述されない。シナプスの隙間に落ちて二度とは戻ってこない。無価値。暗い暗い水の底で私は眠る。眠りにつく。何も感じない。何も思わない。何も感じなくていい。何も思わなくていい。自由だ。不自由と思えるぐらいに。目覚めない。押しつぶす。乱れる。組み換える。同じ場所をぐるぐると回っている。永遠に動きつづける機械。自己を修復する機械。破壊されるのを待っている機械。だれかが何かを決める。どうだっていい。どうだっていいんだ。最初のタンパク質は偶然に生成されたという説は間違いであるという話。偶然? 膨大な試行回数のもとではどんな低確率の事象も発生する。それは必然だ。必然でもない。私たちの生成はなんらかの外的存在による介入を受けている。いやそんなものは存在しない。私は生まれてこなかった。水の音は聞こえない。川は流れていない。強固な暗闇。はじめっからずっとこの場所にいた。私はここから外に出た覚えはない。閉じていない扉は開かれない。我々が言葉を得たことによって状況に混乱が生じているだけの話だ。言葉はきわめて不完全な代物である。せいぜい日常生活をきわどく成り立たせるだけの代物だ。つきつめていけば必ず不具合に行き当たる。修正もきかない。修正のための方策もない。あちらを直せばかわりにこちらがおかしくなる。誰にも総体をつかむことはできない。不明。合成人間に生殖機能はない。私はいつまでさまよいつづければいいのだろうか。終わりは本当に存在するのだろうか。私は何も望まない。望んだところで何も手に入らないから。私は何も求めない。求めたところですべて奪いつくされるから。すり減っていく。消える。均質になる。私たちは混乱しつづける。同化する。気持ちいい。混乱しつづけながら言葉を捨て去ることもできない。境がわからなくなる。気持ちいい。誰かがそれを愚かなことだと笑ってくれるだろうか。橋姫……橋姫? そうだ。橋姫橋姫橋姫、三度唱えてみた。意味はない。意味などあるはずがない。笑っている。ぎこちなく笑っている。規定されたプログラムに沿って。ただそれを起動し演出する。そんな笑い方。彼女は何も言わない。何も語らない。下手な笑い方。自動的な判断に基づく笑い。不自然。光。天井から差す光。どこから降りてきたのだろう。どこからでもいい。彼女は存在する。私が彼女の存在を認める。彼女の存在を定義する。それがなんであろうと。私はそれが天井から差すものだと認識する。私は私であると認識する。私は救いを求めていると認識する。これは私の物語だ。最強である私の物語でありそれはどこまでいっても不完全で出来損ないの物語だ。冷たい体に触れる。私ではないもの。私とは違うもの。私の外側にあるもの。私が望み求めているもの。声を聞かせてほしい。彼女の声が聞きたい。舌先に鋭い感覚。情報の獲得。標。これは何かと何かと何かを組み合わせていい加減に混ぜ合わせたつぎはぎだらけのどうしようもない物語だ。模造されたものだ。違う。そうじゃない。この愛は模造されていない。模造することができない。
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