[4] 誤算

 開いていない扉が閉じる。理解できないはずの現象を理解する。

 限定された空間。なかったはずの入り口が消えて中にいるものを監禁する。

 足元をさらさらと薄い水がさらう。色は見えない。指定されていない。

 いるはずのない女が言った。


「はじめまして」

「はじめまして」


 女は笑う。あるいは笑っているように見せかける。模造品。

 橋姫。女が立っていた。

 赤いドレスを着ている。私の与えたドレス。私のはぎとったドレス。


 何かが食い違っている感覚。何かがおかしい。誰かがおかしい。

 私は間違っている。私は間違っていない。

 立ち止まる。立ち止まることを余儀なくされる。

 動けない。運動を停止する。ただ与えられた情報を咀嚼することしかできなくなる。


「お前は何だ?」

「私は網代木」

「網代木とは何だ?」

「防衛のためのシステム」

「何を防衛している?」

「それに答えることはできない」

「なぜ答えることができない?」

「私はその答えを知らないから」


 無言。思考がうまくまとまらない。線と線がつながらない。

 連続が途切れる。つかんでいたはずの証明書が奪われる。

 橋姫=網代木は初めから私をこの場所に誘導するつもりだった?

 散らばった線は何の記号も生み出さない。私はそれを読み取ることができない。


 そうしてこの場所に私がやってきた時点において目標は達成された?

 いったいその目標の達成によって何がどのように変化したというのか?

 仮定を崩す。一度平らな状態に戻すんだ。

 深く息を吸って吐き出せ。落ち着け。取り戻す。まだ間に合うはずだ。


「お前は何を望む?」

「私は何も望まない」

「お前は何を求める?」

「私は何も求めない」

「お前は何をしている?」

「私は収集し再構築する」


 女の形が崩れる。崩れては元に戻る。

 収集と再構築。都市再生機構の原理。

 それは増殖と再生を繰り返す。その内側にあるものを利用しながら。

 少しずつ外へと広がる。境界を取り込み進軍する。


 誰の制御も受け付けない。内部に居住する人間も材料のひとつだ。

 割って砕いて都市を作る。形だけの都市を作りつづける。

 収集と再構築の連鎖。ひたすらにひたすらに。

 その運動に終わりはない。どこまでも増殖する。


 設計図すら描かれない。空想の産物。

 偶数と奇数の間。果てのない海を越えて。

 停止ボタンはあるのだろうか。多分用意されていない。

 そんなものは存在しない。どこにもない。誰も知らない。


 橋姫は問いかける。空っぽの瞳が私を見つめている。

 そこには何も映らない。私はその場所に立っていない。

「あなたは誰?」

「私は私」

「あなたの目的は何?」

「網代木を破壊すること」

「あなたにその権限は与えられていない」


 女は笑わない。その形も作らない。すでに彼女は虚飾を必要とはしていなかった。

 事態は戻れないところにまで進行していたから。水はすでに私の膝の上を超えていた。

 冷たい。その冷たさのことを私はずっと忘れていた。

 見下ろす。底は見えない。重い水。質量のある液体。


 誰かが私の足首をつかんだ。誰が? 私は誰?

 計算が狂っていたことに気づく。気づかされる。警告。

 黒と赤が互い違いに並ぶ。脳内を埋め尽くす。

 現実と幻想が反目する。異なって当たり前の二つが分かれる。


 食い破る。目に見えない小さな虫が神経をかみ砕いていく。

 いったいどの時点で間違えていたのだろう。動けない。

 私にはそのための足がない。今そこに生えているのはただの棒きれだ。

 大量のサイコロを振る。それらの数字はすべて同じにはならない。

 試行を繰り返す。同じ結果。ばらばらに違った面を見せる。


 もう二度と会えない。離れ離れになる。

 否定の言葉がつらなる。言葉は反射し往復を繰り返す。

 思い出せない。過去が消える。遠い方から順番に抜け落ちる。

 逃げだせ。一刻も早く。でもどこへ行けばいいのか。私に行く当てなどない。

 凍りつく。硬直する。熱量を奪われる。


 どこからやり直せばいいのか。わからない。

 わかったところでもうやり直すことはできない。

 橋姫の像が徐々に静止へと近づいていく。揺らぎながら。

 集合は崩れない。崩れては元に戻る。もう私を見下ろしてもくれない。


 喉が渇いた。いいやこれはその感覚ではない。

 狭い世界。すべては今この場所に展開される。

 お前は誰だ――網代木。模造されたもの、それとも模造されていないもの。

 そこにおいて交わされる言葉に何かの意味があると思っているのか?

 何も見えない。幻想。二重写し。虚像と実像がかわるがわる現れる。現れては消える。


 濁流。音のない濁流。黒い流れが私を飲み込んだ。

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