いずれ消え去るその日まで電子の海をひたすらに漂うことしか模造された私たちには許されていない

[1] 邂逅

 砕けて割れて落ちていく。その時の感覚が私は好きだ。

 どこまでもどこまでも落ちていく。

 地獄の底まで? そんな場所は存在しないのに。

 水の中に潜るのに似ている。似ているようでまったく違う。

 いつしか落下は加速をやめて等速に落ち着く。


 境界が消える。ぼやける。解き放たれる。揺蕩う。

 色彩を失い、世界はひどく単純化する。

 螺旋柱をくぐり抜けた。情報を交換する。さざ波が全身を貫く。

 針路変更。直角に曲がる。遠く、光が見えてきた。

 透明な壁に衝突する。回避は間に合わない。砕け散った。


 だれかがたくさんのサイコロを振る。じゃらじゃらと音をたてて。

 6が並ぶ。いくつもの6が並ぶ。すべての目が6になる。偶然の産物。

 美しい、もしくは醜い。

 逆再生。時間を巻き戻す。精神がゆるやかに回転する。

 手近にあったものを集めて私が形作られる。記憶が線でつながる。


 再度攻撃をしかけた。隙間に爪をねじ込んでいく。

 表面が剥がれる。雨風にさらされ脆くなった岩みたいに。

 警告音声。並列接続された372の脳が一斉に反抗する。微妙なずれを生じさせながら。

 それは意図したものなのか、そうでないのか。


 微小信号を流し込む。1つの脳が自壊を始めた。黒く爆ぜる。

 隣へ、そのまた隣へ、崩壊は連鎖する。抵抗が消えていく。

 脳を焼き切る。ショートさせる。

 白目をむいた372人の人間の群れを空想する。あるいは焼けこげた脳。

 それらもまた何かの形で再利用されるのかもしれない。物質は常に不足している。


 きらめきを追う。手を伸ばす。握りつぶした。

 暖かさも冷たさも感じない。痛みもない。

 薄氷が割れる。破片は雪となって舞い落ちる。

 私は天を見上げた。そこには何も残っていなかった。

 完了。


 ひっくりかえる。振子は揺れながら静止へと向かう。

 半透明な私が半透明でない私に重なる。少しだけずれたまま。

 徐々に焦点があっていく。虚脱感。

 空気が流れていく。肌の表面をなでながら。

 唇が何かを欲しがっていた。水を飲む。体の中を冷たいものが伝っていく。

 腹へとたまる。触ってみた。淡い桃色をした下着の生地。それ以外には何も感じられない。


 何かの音。硬質な音。聞き覚えのない音。

 私の精神を揺り動かす。なんだ?

 一瞬にして感覚が肉体へと引き戻された。

 そうだ、ノックだ。扉が叩かれている。

 インターフォンは取り付けてなかった。今時そんなものを利用するやつはいない。

 それがよりによってノックとは! もっと古風なやり方。


 珍しいことに上機嫌になる。ちょうどいい具合のハイ。

 扉を開いた。あえて直接的な肉体の動作によって。

 女が立っていた。白いワンピースを着た長い黒髪の女。

 正確にはその模造品。それも粗悪な。

 目指したものは確かに女だろう。けれども女ではないと簡単にわかる。

 技術が足りてなかったのかもしれない。それともこれが正解だったのかもしれない。

 女に似て女でない、都合のいい何か。


 ひるがえって自分はどうなのだろう? 生物学的には女に分類される。

 けれどもそれに意味があるとは思えない。どうでもいいことだ。

 とにかく今、私は女の模造品を眺めている。大事なことがあるとすればそれぐらいだ。

 ロングスカートの端が踊る。繊維の光沢がひどくなまめかしく映る。

 形のいい唇が動いた。整った骨格が笑いかけてくる。

「網代木を破壊しろ」


 明瞭簡潔。気に入った。その言葉は私の精神にぴったりと収まる。

 細胞が歓喜する。一気に絶頂まで突き抜けていった。

 涙でにじむ。目に映るすべてが曖昧になる。揺れ動く。

 足元の感覚が素足を通じてざわざわと昇ってくる。


 匂いがした。何か甘い匂い。

 合成されたものでない。植物に由来するもの。

 純粋でない、曲線的な、種々雑多なものたちの集合体。

 1つにまとまろうとして決して1つにまとまらない。

 私は快楽のままに女を乱暴にかき抱くと一方的にキスをした。

「あなたが欲しい」

「わかりました」

「契約成立よ」


 女は私の抱擁をほどくと中へと足を踏み入れる。硬いベッドに腰掛けた。

 大仰に足を組んで見せる。影が動く。

 肉が誘っていた。呼吸が乱れる。どこまでも黒い瞳が私を見つめている。

 内側から液体があふれ出すのがわかった。粘度の低いさらさらとした液体。

 太ももを通って重力に従い落ちていく。毛の長いじゅうたんに濃い染みを作る。

 立っていられなくなってその場にぺたりと座り込んだ。体が震えた。

 それでもせめて落ち着いた風を装って私は女に問いかけた。


「あなたの名前は?」

「橋姫」

 橋姫橋姫橋姫、小さな声でその名前を繰り返し唱えてみる。

「いい名前ね」

 本当はそんなこと欠片も思っていないくせに。

 そのとき私の頭に浮かんでいたことはあまりにも少ない。

 すべてはいずれ時間に飲まれて消える、たったそれだけのことだった。

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