[2]

 強調しておくことがあるとすれば一つ、僕は彼女を人間として思った事はなかった。僕と彼女は人間と機械というその距離を保ったまま時をすごしてきた。

 いや、もしかするとそんな関係性にはまるで留意していなかったのかもしれない。他者の干渉は存在しなかったしそれを想定することすらしていなかったのだから。

 二者の関係において自分と相手が異なるものであるというその一点だけを気にしていればいいというのは、別段特殊なことではない。 冬が過ぎ春が来て夏になり秋が訪れる。くるくると季節はまわる。月日の慌しさとかけはなれて僕はゆるやかに静かに暮らす。

 カーテンの隙間から差し込む朝日で目覚める。すぐに香ばしい匂いがあたりにただよい、コーヒーを携えて彼女が現れる。

 一日の予定もなく気ままに本を読んだり庭を歩き回ったりする。勿論、彼女はずっと僕のそばにいてくれた。

 言葉を交わすこともあればじっと二人して黙りこくっていることもあった。どちらになんの意味があり価値があるかなど、考えもしなかったし考える必要があるとも思わなかった。

「つばめが……」

 彼女の声は柔らかくて機械的に数値によって組み合わされたものとはとても思えなかった。

 春の晴れた日、丁度よい日差しが差し込んでくる、彼女のかすかな呟きにつられて僕は庭へと飛び出した。ぽかぽかと暖かい空気に包まれてひどくふんわりとした気分になる。

 物置小屋のひさしの下、なにか土が集中的に付着しているのが見える。耳を澄ませばひゅーひゅーと小鳥の鳴く声が聞こえる。

 低く僕の傍を飛びぬけて、一羽のつばめが軒下の巣へと帰る。親鳥は小鳥たちに口伝いにえさを与えている。

 彼女は庭掃除の途中なのだろう、竹箒を手に握ったままぼうっとそのさまを眺めていた。

 機械に親子という概念はあるのだろうか? 設計者、技術者、製造者、彼女を作る際に関わった人々を親と呼ぶのは間違いだろう。

 彼らは彼女の創造者ですらなく、今の彼女というものが形成されるのに意図的に関わったというのに過ぎない。神からもほど遠ければ親にもとても届きはしないのだ。

 並列的には兄弟姉妹という感覚でつながるものなら、彼女はそれを多くもっていることかと思う。けれども、まったく保護者という存在が欠落しているのだ。

 不意にこの世界に存在することを許される、それはいったいどういうものなのだろう? 推し量ることは到底不可能なことのように思われた。

「次の春もその次の春も、つばめはここに帰ってくるのかな?」

「そうでしょうね……」

 機能的なことをいえば彼女に感傷するだとかそういった動作はありえない。

 停止していることがあるとすれば動く必要がまったくないと判断しているのか、それとも処理にとまどっているか、そういった状態しかありえない。そして、極めて情報量の限られたこの屋敷で後者の事態に陥ることはほとんど考えられなかった。

「ヒノ?」

 名前を呼ぶ。すぐに振り返ってくれるはずだった。

 けれども、確かに僕はそのとき若干の間を感じ取ってしまったのだ。

 はい、と短く答えながら、彼女は僕のほうにその顔を向けてくれた。そのとき僕が胸騒ぎを覚えなかったといえば嘘になる。

「なんでもないんだよ……なんでも……」

 僕は無理矢理に色々な感情を押し殺すことにした。状況というのは所詮個人の意志によらず手前勝手に変化してゆくもので、人間にはどうにもままならないものなのだと知っていれば少しは今の感情もやわらいだのだろうか?

 いやたとえそうであったとしても何ほどの意味があるのだろう。とてつもなく巨大な感情のうちほんの少しが欠けたところで。

 結局のところ僕がこぼしているのは時間に対する愚痴なのだ。自らが三次元的存在であることを悔やんでいる。

 それこそ本当に意味のないことだとは自覚しながら。馬鹿げた回想であると自嘲しながら。なにより自分というものを圧倒的に否定しながら。

「ふざけるな!」

 激昂する。だが心は冷め切っている。

 受話器の向こう側でひたすらに謝罪を繰り返す声が聞こえる。同じラインを伝って僕をせせら笑う声も。

 いったい何のために彼らは存在しているというのだろう? そういう場合は画面に出る指示に従って操作してください――。それがどれだけ無情だと彼らは少しでも理解しているのだろうか?

 いや少しもわかってはいないのだ。わかろうともしてはくれないのだ。

 そんなことは前もって知っていた。それでも僕はどこか彼ら――彼女の製作者たちに期待していた。

 僕の手にしていない可能性を与えてくれることを期待していた。だが同時に到底そんなことはありえないと思ってもいた。

「私を再起動してください」

 いつもと変わらぬ声で――また、彼女は繰り返した。

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