私を再起動してください

[1]

 彼女が僕の元へとやってきたのは冬のひどく寒い日のことだった。

 ダンボールと発泡スチロールで厳重に梱包されていて、まだ当時幼かった僕がえらく難儀したのを覚えている。荷造り紐をほどき、ガムテープをはがしていった先に、ようやく彼女の姿が見つかった。

 薄く白い肌にはつややかな光沢が見える。瞼はしっかりと閉じられていてその向うにどんな瞳があるのだろうと興味をそそられる。黒い長髪は豊かに広がり、柔らかな質感を示す。

 思わず僕は指先で触れてしまう。しびれるような冷たい感覚が僕に現実を思い出させる。

 裏返した背部にそれは簡単に見つかった。小さな凹みに爪を入れ力を加えると、ゆっくりとハッチは開く。

 十センチ四方もない小さなディスプレイが目立つ。その下の辺りには目立つ赤い色をした、丸いスイッチが取り付けられている。

 ひとつ息を飲み込んだ。ためらっていはいない。ただ指先はこまかに震えているのがわかる。

 もう一度――僕は息を飲み込む。静かに伸ばした指先がつるつるとしたプラスチックの表面にあたる。

 衝動的に力を込めてしまいそうになるのを必死にとどめる。深呼吸する。そしてようやくスイッチを強く押し込んだ。

 そばにいて僕は内部でなにかのギミックが作動する音を聞く。歯車やピストンが動き出すのを僕は想像していたが、そんなものより複雑ではるかにわけのわからないものが詰め込まれているのを僕が知るのはずっともっとあとのことだ。

 小さなディスプレイは淡く輝きだす。急いで僕はハッチを閉じる。

 なんとなく少しだけ僕はその場を離れる。次に何が起こるのだろう? 胸を躍らせながら僕は一つも見逃すまいとじっと見つめる。

 一瞬――横たえられた体が震える。それにあわせて僕も体を揺らす。

 瞼が開かれる。そこには青く澄み渡る眼球がはめこまれている。束の間あたりを見渡すが、すぐに僕のほうに視線はとまる。焦点を補正しているのか、瞳の中の青が揺らいで映った。

 それから両腕を使いながらぎこちなく立ち上がると、どこか角ばった動作で彼女は僕に向けておじぎをする。下げられて上げられた顔には微笑が浮かぶ、見様によっては筋肉が痙攣しているようにも見えたが。

「はじめまして。これからよろしくお願いいたします」

 そのときになって僕はとうとつにも慌ててしまった。周りには誰もいないとわかっているのに、きょろきょろと首をめぐらした後、ようやく観念して自分に向けられた視線に応えることにした。

 精一杯息を吸い込んでから勢いに乗せて、やっとのことで僕はその短い言葉を言った。

「こちらこそ!」

 雪に閉ざされた屋敷で二人は出会う、そこには二人しかいない。

 今思い出してみると当時の僕というものは随分と面倒な状況に置かれていたものだと思う。何の前触れもなく父と母は死んでしまった。

 僕に残されたのは想像しきれないほどの巨大な遺産の山だけだった。多種多様な親族がより集まってとにかくまあ複雑な事態に陥っていた。

 各者の力量はほとんど均衡していたおかげで、僕はとりあえず山奥の大きな屋敷、冬になれば雪にすべてがうもれてしまうような北端の小さな街の外れに、押し込まれることとなった。

 そうして誰の善意か悪意か知らないけれど、世話役として送られてきたのが彼女だったのだ。

 いくつかの極めて限定的な条件が組み合わさって僕と彼女の関係ははじまった。

 もう少し僕が小さければ雪の館に幽閉されることはなかったろうし、もう少し僕が大きければ自分の置かれた状況をはっきりと理解していただろう。そうしていればなんらかの確執は生じたはずだ。

 実際のところ、僕が彼女に対してはじめに持ったのはよくできた人形へのそれと同じだった。

 憧憬であるのかもしれない。恐らくこれは僕という個体についてのみでなく、種全体についていえるのだろうが、完璧に構成された創造物に対して感じるものというのがある。

 それが個体あるいは種としての欠落によっているのか、それとも同じく完全なものにへの仲間意識がそうさせるのか、わからないし興味もない。ただ僕と彼女の間にはじめにあった感情がそれであったということは確かなことだ。

 起動したての頃、彼女の動作はまだぎこちなくて、給司としての仕事もはるかに僕のほうがうまくこなせた。当初なんの役にも立たないものだったし、それでも僕は彼女を眺めているだけで十分に満足していた。

 たどたどしく喋る彼女とはしゃぎながら喋っている僕を僕は覚えているし、手を引っ張って屋敷を案内したことも瞼の裏に浮かび上がる。

 だが、それはほんの短い時期でしかなかった。彼女の成長はすさまじく、ありていにいえば渇いた土に水がしみこんでゆくように、様々な知識をたくわえすぐになめらかな所作とともに僕の傍らにたたずむようになった。

 そのときからずっと結局のところ、僕の生活は彼女と二人だけに閉ざされてつづいていた。

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