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 ざっざ、ざざらざ、ざざざざっざ、ざららざら。波の音がする。ゴムボートピープルも楽じゃない。僕の視界には一本のラインしかない。水と空とを分けているそれだけだ。足の下ではどれだけになるのかわからない、とにかく大量の水がたぷたぷとゆれている。表面からのぞいてみても底を見通すことはできない。ひょっとすれば地球すらもう水に溶けてしまっているのかもしれない。僕にはそれを調べる術はないけれど、そうであったとしたらいったい僕はどこにいるというのだろう。広い宇宙の中で水の塊だけがぽっかりと浮かんでいる、まさしく水の惑星?

 ぐるぐると世界は渦を巻く。あるいはぐるぐると僕は視界を回す。つまらない。何故僕だけ溶けずに残っているのだろう? 貴方――そう貴方だ。貴方は考えているかもしれない。僕が生き残った理由を。それはあいつの推測をもとにするなら、僕が観察されつづけているからだ。ほかならぬ貴方によって。だとすれば語りの終結とともに僕は溶けることになる。それだけは決して誰にも語られないし、誰にも受け取ることはできない。ただそれは誰によるのかわからないこの語りに、なんらかの真実が残っていればという、ほとんどありえないような前提を構えた上で。さらにあいつというよくわからないヤツを信じるとして。

 この夏はいつまでつづくのか? それにこの語りの意味はなんだ? 現代人の不安な自我とかそんなところか? それとも語り手個人の分裂気質か? あるいはある種の犯罪告白にでもなっているのか? エンターテイメントか、もしくは――限りない無意味と混乱した語りの中に、多重化された恨みが織り込まれる。これはまさしく現代社会に向けられた弱者たちの怨念の集合である。溶けていくのは排斥された自殺者の群れであり、生き残る『僕』は最終的な次世代への挑戦を示している。我々はこの小説の意味を深く受け止めるべきだろう。

 まったくもってこんなものは小説ではありません。それどころか文章ですらありえないでしょう。文体というものが必要なのです。貴方はそれをもっていますか? 文体です! 偉大なる文豪たちはみな独自のそれをたずさえていました。それになんです? ここにあるのはすべてどこからかの寄せ集めでしょう? ならびたてられるのは愚痴の連鎖! 害毒です。いえ害毒にすらなりえません! いったいぜんたい作者は何をいいたいというのでしょう? 内部に自己批判じみたものをくみこんで何をごまかすつもりですか? いえ、ごまかしにもなっていません! いますぐ即刻打ち切ってしまいなさい!

 混乱する。あらゆるものが水となって押し寄せてくる。僕を埋め尽くそうとしている。全力で泳ぎきろうとするもどうにもなりそうにない。人間とはただの生物。世界とはただの場所。どう生きるかは個人が考えることだ。確定はゆがみを蓄積させ、結果として一度栓をゆるめてやる必要が生じてくる。貴方であり私であり僕であり君でありが、溶けない人生に不愉快を覚えているといっても過言ではない。これはもうめったくそにうさんくさい話だ。

 疑問というものが僕の存在をおしとどめる。疑問、解決、そしてその否定。繰り返されるプロセスにおいて磨耗されながらも、僕は液体としてでなく固体として存続する。水の上に僕は浮かぶ。このままでは決してまじりあうことはできない。生きているとは外部と内部とを区別しているということだ。その差によって生命は成立している。故に生きていることそれ自体が他者を拒否している、完全な――愛? それこそまったく信頼できない言葉だ。とにかく、相互に何の齟齬もなしに理解しあうことはありえない。ゴムボートが流れる先に、神とかいう名前のバカがいるならとりあえず殴ってやろう。

 僕の両腕は溶けてなくなる。

 ざっざざらざざ、ざっぷんぱらぱら、しゅしゅーるしゅしゅーる、ふぁさーふぁさー、にゅーるにゅーる、くのくのばっさん、ぎょろろろろぎょろろろ、ぎゅりんぎゅりん、じゃばぬじゃばぬ、ぬすぬすぬすぬすすすすす、ぴゃひゃーぴゃひゃー、ぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅ、どどどどどど、どっどどどどど、どどぅんどどどぅん、だばりやだばりや、どべんつどべんつ、ぎゃぼーぎゃぼー、ぬすーぬすー、ひゃひゃらひゃひゃら、しゅぶずーしゅぶずー、じゃっばんじゃばらじゃ。

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