第7話 決死戦 ⑧

「今度こそ、泰輝に門を呼んでもらってフーリガンが秘薬を取りに行く、っていうのを決行したほうがいいんじゃないのか?」

 蒼依の右に座るアリスは、隼人に尋ねたのだろう。

「今のおれには、異次元空間を移動するほどの体力がない」

 アリスと背中合わせに座っている隼人が、そう答えた。

「泰輝くんに引いてもらっては?」

 意見したのは、蒼依の左で北に向かって腰を下ろしているロックだ。

「泰輝がいない間、ここにいるみんなを無貌教のタイキが襲う可能性がある」

 隼人はすぐに返した。

 南向きに座っている榎本は、胸の内でその意見に同意していた。

「八方塞がりのようだが、やはりフーリガンの判断に委ねるべきだろうな。塩沢さんも意見していたが、今でも異次元空間の移動中に攻撃される可能性は残っているし」

 榎本のそんな意見に蒼依が「そうですね」と理解を示してくれた。

 一方、榎本の右に座る泰輝は、ただ遠くを見つめているだけだ。しかし今は、彼が最も頼れる存在だろう。泰輝の本当の能力をまだ目にしていない榎本だが、隼人や蒼依の様子からしても、期待してよいはずだ。

 六人は進行方向に対して右の雑木林の手前に陣取っていた。ここならば午後の日差しを避けることができる。

 榎本はあの強烈な悪臭からまだ逃れられないでいた。草地に腰を下ろしてすぐに、同様の状態をアリスが訴えたが、泰輝以外は皆、自分も同じ目に遭っている旨を口にした。もっとも、あの臭気が実際に残っているのではなさそうだ。塩沢の体を通過して顕現した触手のせいなのか、あの幻覚のせいなのか、原因は判然としないが、隼人によればげんきゅうという症状らしい。

 いずれにせよ、泰輝以外の六人は精神的にも肉体的にも疲弊しきっていた。戦闘どころか歩行もままならないのだ。敵が何を企てていようと、動けないものは動けないのである。

 万が一の事態に対処できるよう、榎本はボディバッグを背中に配置したままだった。蒼依も同じ考えなのか、リュックを背負ったままである。

 誰かの腹が鳴った。子犬が甘えるかのような音だ。

 見れば、蒼依が顔を赤くしてうつむいている。

 泰輝はまったく気にしていない様子だ。

 さすがに、榎本も素知らぬふりをした。

「腹が減ったのか?」尋ねた隼人が、蒼依を横目で見た。「悪いが、もう何もないんだ。ここを脱出するまで、辛抱してくれ」

 アリスが座ったまま隼人を睨んだ。

「おい、フーリガン。おまえはデリカシーっていうものを知らねーのか? いくら自分の妹だからって、あんまりだろう」

 榎本だけでなく、泰輝も隼人もロックも、アリスと蒼依に視線を向けた。

「アリス……かえって恥ずかしいです」

 うつむいたままの蒼依が、上目遣いにアリスを見た。

「あ、ああ……悪かった」

 そう詫びて、アリスもうつむいた。

「蒼依もアリスも、すまなかった」

 正面を向いたままだが、隼人も詫びを告げた。

 追い詰められた状況下ゆえか、各自の気持ちが乖離し始めている、と榎本には思えた。

 ――まずいな。

 無貌教がこのままこちらを見逃すはずがない。それがわかるからこそ、窮地に立たされた自分たちは一つにならなければ、助かる望みなど失われてしまうのだ。

「無事に脱出できたら、この六人で飲み会なんてしてみたいな」

 ふと浮かんだ思いを、榎本は口にした。

「悪くはないが……なあ、フーリガン、おれたちはまずくないか?」

 ロックが尋ねた。

「どうだろうな」隼人は返す。「この部隊が今後、どんな扱いを受けるかに左右されるだろうけど、おれも、その催し自体は悪くないと思う」

「あたしも賛成だけど、泰輝は未成年だろう?」

 乗り気らしく、アリスが口調を和らげた。

「たいくんは牛乳があれば大丈夫です」

 蒼依の言葉を聞いて、榎本は問う。

「それ以外は口にしないのか?」

 しかし直後に、榎本は自信の軽率さに気づいた。泰輝は純血の幼生なのだ。幼生ならば人肉を食らう、というイメージが浮かぶが、泰輝の場合はどうなのか――。

「野山を駆け巡って小動物などを……」

 蒼依は言葉を濁した。

「蛇とか蛙とかカラスとかイタチとかが多いよ」

 極自然な調子で、泰輝は付け加えた。

 人が対象ではなかったという安堵を、榎本は得た。しかし同時に、胃の辺りにむかつきを覚える。

「蛇とか蛙なら、あたしらも訓練で食べることがあるな」

 アリスはその場を繕う様子で口にした。

「えっ……」と蒼依が声を漏らした。

「当然、さばいて調理して、そのうえで食べるんだよ。サバイバルだよ、サバイバル」

 焦燥を呈しつつ、アリスは説いた。

「ぼくは生きたまま頭から食べるよ」

 泰輝は得意げだが、吐き気を伴う情景が脳裏に浮かび、榎本は困惑した。

「バーベキューとか、屋外でのパーティーは避けたほうがよさそうだ」

 ロックの提案に泰輝以外の四人が何度も頷くが、当の泰輝は理解できなかったのか、反応を示さなかった。

「そのときは、瑠奈も誘いたいです」

 蒼依が訴えた。

「いいね。ならば楽しみは倍増だな」

 当然とばかりに、アリスが歓喜した。

 不意に冷気を感じた。

 榎本が周囲を見回す前に、アリスが「マジかよ」と吐き捨てた。

 一行が腰を下ろしている一角から東へおよそ二十メートルほどの位置に、直径三メートル前後の門があった。地面からわずかに浮いているそれの手前に、瑠奈が立っている。瑠奈も門も日差しの中だが、瑠奈はともかく、門は夏の太陽光線を浴びているはずなのに、光を反射していなかった。全面が影であるかのごとくだが、虹色のマーブルがうごめく様によって、表面が曲面であるとわかるのだった。

 全員が立ち上がった。泰輝以外は、けだるそうな所作である。それでも榎本を始め、隼人とロック、アリスはそれぞれの武器を携えた。

「わたしを何に誘うのかしら?」

 こちらを見つめる瑠奈が、口を開いた。

「瑠奈はみんなと一緒にこの演習場から出て、みんなと一緒に飲み会に参加するんだよ」

 蒼依が力を込めて訴えるが、瑠奈はすぐに失笑した。

「どうしてわたしがあなたたちと飲み会なんてやらなきゃいけないの?」

「どうして……って、だって、瑠奈はあたしの友達でしょう」

瑠奈の反応が悲しかったに違いない。蒼依は動揺を呈していた。

 笑みを消した瑠奈が、首を傾げる。

「あなたは誰だっけ?」

「あたしを知らないだなんて、うそでしょう?」

 蒼依は今にも泣きそうだった。

「ああ……空閑蒼依さんだ。わたしの友達だった人ね」

「……だった? あたしは今でも瑠奈の友達なんだよ」

「あなたはもう、わたしの友達じゃないよ」

「そんな……」

 愕然とした趣で、蒼依は瑠奈を見つめていた。

「蒼依」アリスだった。「あの子は山野辺士郎の催眠術にかかっているんだ。今の言葉を鵜吞みにするな」

「はい……」

 悄然としたまま、蒼依は答えた。

 瑠奈が目を細める。

「山野辺士郎……そう、士郎様はあなたたち全員の死を望んでいらっしゃるの。だから、ここでみんな、死んでね」

「だめだよ瑠奈、そんなことを口にしては」蒼依は言った。「ここには……ほら、あたしのお兄ちゃんがいるんだよ。瑠奈があんなに会いたがっていた空閑隼人だよ」

 空閑隼人と神宮司瑠奈との関係を榎本は把握していないが、察するに、恋人同士かそれ未満、という状況らしい。

「空閑隼人……空閑蒼依の兄……」

 そうつぶやいて、瑠奈は眉を寄せた。

「あ……」

 蒼依が声を漏らしたのと隼人がライフルの銃口を瑠奈に向けたのは、同時だった。

「おい!」

 榎本は止めようとするが、体が思うように動かなかった。

 三発の弾丸が連射された。

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