第7話 決死戦 ⑤

 息を凝らし、榎本はその光景を見守った。神宮司瑠奈を救出するための通過儀礼の一つではあるが、見ているだけで背筋が凍りそうだった。

 隼人が近づいたのは、仰向けでもがいている一体の首なしだった。その異形の横で腰をかがめた隼人が、右手を伸ばし、異形の左腕をつかむ。とたんに、首なしが右手で隼人の右腕をつかんだ。

「ひっ」と蒼依が声を上げた。

 しかし隼人は、臆する様子も見せずにそのまま首なしを引き起こした。

 首なしは全身を震わせて隼人に寄りつこうとするが、隼人はそれに合わせて後退しつつ、左手に持つ古き印を異形の胸に押しつけた。

 不意に、首なしは隼人の左腕を解放すると、胸に押しつけられている古き印をその右手で持った。

 首なしの左腕を離した隼人が、横にのいた。

 全身を震わせる首なしが、古き印を持つ右手に左手を添えた。彼は右に向くと、そちらへと歩み出す。

 隼人が自分のライフルを拾い、蒼依はあやかし切丸の鞘を拾った。

「蒼依ちゃん。それ、ぼくが持つよ」

 泰輝が蒼依に左手を差し出した。

 重いというわけではないが、煩わしさは否めない。蒼依は素直に鞘を泰輝に渡した。

「たいくん、ありがとう」

「えへへへ」

 純血の幼生がはにかみを見せた。ハイブリッド幼生よりも高等な存在――というよりも人として育てられたからか、もしくは蕃神に近い存在ゆえか、いずれにせよ、泰輝はこういった表情をすることがある。

「行くぞ」隼人が首なしの後ろに続いて歩き出した。「蒼依はおれの後ろ、泰輝はその後ろ、榎本さんは蒼依の右についてくれ。塩沢さんは最後尾、ロック、アリスは……」

 歩きつつ、隼人は左手でハンドサインを出した。

 蒼依が隼人の後ろにつくと、その後ろに泰輝が続いた。榎本はハイレディポジションを維持して蒼依の右につく。アリスは蒼依の左、ロックは蒼依のすぐ後ろ、塩沢は最後尾だ。

 残った四体の首なしが気になり、榎本は振り向いた。

 四体は未だに倒れたままもがいていた。しかし、それらとは別の一体が霧の奥からこちらへと歩いてくる様子が、目に入ってしまう。

「フーリガン、一体がこっちへ来るぞ」

 念のため、榎本は隼人に伝えた。

 歩きながら後方を確認した隼人が、すぐに正面に向き直った。

「気にするな」隼人は背中で言った。「万が一のときは塩沢さんとロックに対処してもらう。ほかにも来るかもしれないが、そのつど対処する。榎本さんに近づいてくる首なしがいたら、とりあえず足を狙って打ってくれ。歩けなくすればそれでいい」

「そうか」と返したものの、狙った箇所に命中させる自信などなかった。無貌教の信者の胸を撃ち抜いたのは、あくまでもまぐれだ。それでも、やらなければならない。ただの足手まといでいるのは、もう終わりにしたかった。


 集落の家々が見えなくなり、茫漠とした霧の中を案内人に続いて皆は歩いた。

 蒼依の位置は隊列のほぼ中央だ。自分の右につく榎本は戦闘のプロではないが、彼でさえ拳銃を任されている。言わば、蒼依は守られているのだ。そんな何もできない自分に対する歯がゆさを、どうしても禁じえない。

 できる限り、蒼依は案内人を視野に入れないように務めた。浅黄色のその服に血痕があるのを何度か目にしたが、それも含めて、首なしたちの存在は、現実なのだ。不用意に近づけば血のにおいを感じるのも、意欲を減退させる。

 靴底に感じる地面の感触が変わった。

 見下ろせば、背の低い雑草が繁茂していた。

「出たようだな」

 隼人が言った。

 周囲に目を走らせた蒼依は、霧が薄らいでいるのを知った。振り返れば、後方の霧も消えつつある。

 広々とした草地の中だった。遠くに雑木林とその向こうには山並み――といった景色に囲繞されている。

 青空が広がっていた。

 太陽がまぶしい。

 夏の暑さが戻った。

 既視感に誘発されて「ここは……」と蒼依はつぶやいた。

「前に霧から出た場所だ」

 周囲を見渡しながら榎本が訴えた。

「だいぶ逆戻りしたわけだ」

 アリスがそう繫いだ。そのアリスと初めて会ったのも、ここである。

 案内人に続く隼人が、空を仰いでから腕時計を見た。

「しかも南に向かっているようだな。時計の時刻と実際の時刻が合っていればだが」

「時間がずれることがある、ということ?」

 歩調を維持しながら、蒼依は尋ねた。

「SFではありそうな話だ」隼人は答えた。「でも、今回の赤首の集落でもその前の不連続時空間でも、おそらく時間のずれはなかっただろうな。少なくとも、不連続時空間の時間はこちらと平行していると思う。でなければ無貌教にとって不都合となるはずだ。玄関を通って行き来するたびに時間がずれるのでは、おれだったら嫌になる」

「それより、このまま南へ行くのかよ?」

 アリスが隼人を横目で見た。

「ここからならゲートより南のフェンスのほうが近いが、蒼依たちはそっちのほうから来たんじゃないのか?」

 問いを振られて、蒼依は答える。

「そうだよ」

「どうやって入った?」

「フェンスに大きな裂け目があったの。そこから入った。塩沢さんが作った裂け目らしいけど」

「蒼依さんの言うとおりだ。人が一人は抜けられる裂け目だ」

 塩沢がだみ声で補足した。

「よくもまあ、堂々と自衛隊の設備を」

 呆れたようにアリスが肩をすくめた。

「ちょうどいいじゃないか」隼人はそう返した。「このままそこへ向かおう」

「やっぱり無貌教の施設には直行しないのか? 榎本と蒼依を、演習場から帰すのか?」

 アリスは問い詰めた。

「霧から出た場所がおれたちにとって意表を突く位置だったが、これは敵にとっても予想外な結果かもしれない。だったら、可能なら一度、全員で外へ出たほうがいい。特務連隊本部に連絡をつけることができれば、応援をよこしてもらえるかもしれないしな」

「しかし、上層部は信用ならないんだろう?」

 アリスの問いが続いた。

「だから上層部は通さない。横の繫がりを当てにする」

「そういうことか……なら、蒼依たちはどうなるんだ?」

 それは蒼依自身が訪ねたい疑問だった。

「蒼依は榎本さんの車で来たんだよな?」

 無難な憶測なのだろうが、隼人はそう尋ねた。

「そうだよ」

 率直に答えた。

「なら」隼人は言った。「榎本さんと蒼依、泰輝はそれで帰ってもらおう。そして可能な限り早く、特機隊に連絡を入れるんだ」

「たいくんも連れていっていいの?」

 連れていくべきか残すべきか、蒼依には判断できなかった。

「いれば戦力にはなるだろうが、援軍が来ればややこしくなるはずだ。それは塩沢さんにも言えることだな」

「おれにも、帰れ、と?」

 隊列の後方でだみ声が質問した。

「その姿で榎本さんの車に乗るのは無理だろう。いくら車の中でも、ほかの目を引く。帰れ、とは言わないが、どこかで待機してもらったほうがいいな」

 隼人はそう言うが、姿だけでなく、体臭の問題もある。

「だったら、おれはやつらのアジトへ引き返すが」

 塩沢は即答した。

「一人でやつらの施設に向かうんですか?」

 訊いたのは榎本だ。

「確かに援軍が来れば、おれは拘束されるか殺されるかだ。動けるうちにメイスンだけはこの手で葬りたい」

「まあ待ってくれ」隼人は言った。「どうしてもと言うのなら、おれが援軍の隊長にかけ合ってみる。おれの直訴で動いてくれるくらいなら、ある程度は事情を理解してくれるはずだ」

「ある程度、だろう?」

 塩沢に譲るつもりはないらしい。

 このままなら塩沢は一人で敵陣に行ってしまうだろう。さすがにそれは、蒼依としてもこらえてほしかった。加えて、蒼依には気になる現状があるのだが、誰もそれに気づいていないらしい。

「あの……」と言いかけて、蒼依は言葉を吞んだ。案内人をどうするのか――蒼依はそれを確認したかったのだが、その案内人が右へ左へと蛇行し始めたのだ。

「止まれ」

 静かな声で隼人が皆を制した。

 隼人以下七人が立ち止まるが、古き印を両手で掲げる首なしは、蛇行しつつ前進していた。その蛇行が次第に大きくなり、ついには同じ箇所を周回するに至った。

「どうしたっていうんだ?」

 榎本は圧倒されているようだが、蒼依もあれだけ忌避していた首なしから、目が離せなかった。

 直径五メートルほどの範囲を七、八周したところで、不意に首なしの足が止まった。そしてその異形は両膝を地面に突き、古き印を両手で天に掲げた。まるで神に祈りを捧げるかのごとくだった。

 次の瞬間――。

 目もくらむほどの閃光が走った。

 蒼依は目を逸らすが、すぐに視線を戻した。

 掲げられた古き印が、すさまじい炎をその全方向に噴き出していた。やがてその炎は首なしの両腕にも伝わり、彼の全身へと広がる。ものの数秒で炎は消えるが、首なしの体は膝立ちの状態で黒焦げと化しており、天に突き上げられたままの両手には、古き印のかけららしきいくつかの石くずが残っていた。

 誰もが無言だった。

 このまま時間が止まってしまうのではないか――蒼依がそう思ったとき、黒焦げとなった体が地面にうつ伏せに倒れた。

 正面の雑木林まであと五十メートル、という位置だった。

「こいつも自由になれたのか?」

 榎本が声を落とした。

「でも首はないままだ」

 塩沢が意見した。

「前進する」

 二人のやりとりを無視する形で、隼人が采配を振った。

「では、おれはここであんたらと別れる」

 だみ声は淡々とした調子だった。

 たまらずに、蒼依は振り向く。

「塩沢さん、行かないでください」

 そして、泰輝を含む六人も振り向いた。

「おれは無理には止めないが」隼人が口を開いた。「あんた一人では、勝てないぞ」

「山野辺士郎やあのチビには歯が立たないだろうが、メイスンだけなら、なんとかなりそうだ。仮にやられたとしても、悔いはない」

「わかった……止めないよ。でも、あんたには感謝している。これまで力を貸してくれて、ありがとう」

「こっちこそ、世話になった」

 塩沢はそう返して背中を向けた。

「塩沢さん、生きて帰ってほしい」

 榎本が訴えると、塩沢は振り向かずに右手を軽く振り、大きく跳躍した。

 自分も何か言わなければ――蒼依が焦りつつそう考えたとき、無数の気配が脳に割り込んできた。雄と雌とが混在し、それらのいずれもが、こちらに対する敵愾心を剝き出している。

「囲まれたぞ!」

 同じくそれらの気配を感じたらしい隼人が、声を上げた。

 二度目の跳躍で十メートルほど進んだ塩沢が、前進を止めて周囲を見渡した。

 隼人とロックがライフルをい構え、アリスはあやかし切丸を、榎本は拳銃を構えた。

 左手に鞘を持つ泰輝も、一帯に目を走らせている。

「感動の別れに水を差しやがって」

 アリスが吐き捨てた。

 はたして蒼依は、ただ立ち尽くすだけだった。泰輝もいざとなれば戦えるだろう――だが、蒼依には何もできないのだ。

 自分はやはり足手まといである――それを蒼依は意識した。

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