第7話 決死戦 ②

 雑木林を抜けるのは容易だった。とはいえ、開けたその先には腰ほどの高さがある雑草が群がっており、歩きにくさは雑木林の比ではなかった。そんな雑草の群れもすぐに途切れ、背の低い雑草ばかりの平地となった。四方を見渡せば、遠くに雑木林があり、その外周に山並みが横たわっている。

 歩きながら背中のボディバッグを前に回した榎本は、スマートフォンを取り出して確認した。予想はしていたが、インターネットに接続不可能という状態のままだった。

 スマートフォンを入れたボディバッグを背中に戻した榎本は、周囲を見渡し、既視感を覚える。

「なあ、フーリガン。ここは赤首の集落が現れたところに似ていないか?」

「たぶん、榎本さんが思っている場所だよ」

 振り向きもせずに隼人は答えた。

「マジかよ」榎本は顔をしかめた。「でも、不連続時空間は消えてしまったから、あの集落が現れることはないよな? 現れても、もうあの不連続時空間に迷い込んだりしないはずだ」

「消えてしまった不連続時空間に迷い込むことはないだろうけど、あの集落が霧とともに現れる、という現象は、ずっと前からあるんだ。無貌教の施設が作られる前からね」

「じゃあ、またあの首なしどもと遭遇する可能性があるのか?」

 もう訊くまでもないだろう。隼人は「そうだ」と答えたが、榎本はその前に肩を落としていた。

「この先の雑木林に、あたしたちが乗り捨てた車両があるはずだ」

 アリスが言った。

「そのままあればいいけどな」

 続けたのはロックだ。

「特殊潜行第三小隊が移動に使っていたのなら、何台もありそうだが」

 榎本が口にすると、アリスが「トラックが二台に、小型装甲車も二台だ」と答えた。

「予備の武器も載せておいたが……」

 ロックが言いよどんだ。

「車両ごと奪われたかもしれないし、すべて破壊されたかもしれない」アリスは背中で返した。「四台とも草や枝で覆い隠しておいたけど、どうなっていることやら。それに、不連続時空間でやられてしまった多くの仲間……そのみんなが所持していた武器だって、奪われた可能性がある」

「最初から車も予備の武器も当てにしていないさ。奪われたものはほうっておく」

 言って隼人は、左手でウエストポーチから何かを取り出した。耳に当てたそれを、すぐにウエストポーチに戻す。どうやら無線機だったらしい。

「だめか?」

 隼人の背中にアリスが尋ねた。

「ああ」正面を向いたまま、隼人は頷いた。「センサーグラスを試してみろ」

 言われたアリスは、左胸のポケットからセンサーグラスを取り出して装着するが、やはりすぐに外してしまった。

「だめだ」

 アリスが首を横に振ると、「こっちも、二つともだめだ」と背後でロックが吐き捨てた。

「特異点の影響は、おそらくこの演習場内のほとんどに行き渡っているんだろうな」

 歯牙にもかけない様子の隼人は、振り向きもせずに歩調を維持していた。

「この演習場に最初に入ったときは、機器類は正常だった」アリスは言った。「特異点の影響とやらが強くなっている、ということになる」

「そういうことだ」

 隼人は背中でそう返した。

 外での移動を開始してからずっとうつむいている蒼依は、まったく会話に加わらなかった。無論、加わる必要など皆無なのだが、強制的にこの演習場から出されるために――瑠奈を救出する計画を断念せねばならないために、気持ちが萎えてしまったらしい。

 しかし、素人が太刀打ちできない相手であるのは、榎本自身も実際にその目で見て理解できた。蒼依においては、以前から承知していたはずなのだ。要は、頼みの綱の泰輝が力を発揮できなかった、ということだ。

 特殊潜行第三小隊の三人に任せるべき、という旨を今さら伝えても意味がない。かえって蒼依の感情を刺激するだけだ。ゆえに榎本は、蒼依に声をかけることができなかった。

「おれたちは真北に向かっているのか?」

 誰に対しての問いなのか、榎本は自分でもわからなかった。ただの気分転換である。

「真北というより、北北東だな」

 隼人が答えた。

「そうか」

 それ以上の言葉は思いつかなかった。

 右手の拳銃を見下ろした。

 これが自分の手によってまた火を噴くことがあるのだろうか。

 榎本のほうこそ萎えかかっていた。


 左右に延びる砂利道を横断して、一行はその雑木林へと足を踏み入れた。そして、下生えをかき分けて五十メートルほどの位置で隼人が足を止めるが、樹木と雑草以外に目につくものはなかった。

 蒼依は腕時計を見た。午後一時三十六分だった。

「予想どおり……か」とつぶやいて、アリスがため息を落とした。

「やつらの戦力が上がったことになるわけだ」

 榎本が言うと、隼人が肩をすくめた。

「むしろ、おれたちに使わせないために奪取した、のかもしれない」

「そっちの理由が大きいだろうな」

 ロックが追従した。

 それにしても――と蒼依は思う。雑木林の中というだけでなく、砂利道から五十メートルほども外れた位置なのだ。おまけに草や枝で覆い隠しておいたのだから、それを奪うとは、敵の抜け目のなさは驚嘆に値するだろう。

「まさか」榎本が隼人を見た。「ドアロックを怠っていたんじゃないんだろう? というより、自衛隊の車両はドアロックがないんだっけ?」

 苦笑した隼人に変わり、アリスが「ドアロックはついているし、ちゃんとロックしたよ。ドアロックがついていないのは、戦車とかな」と返した。

「やつらなら、ドアのロックなんてどんな手を使ってでも解除するだろう」

 隼人が続けた。

「そうか」

 得心がいった様子の榎本が、小さく頷いた。

「とにかくここは、ゲートへと向かう通過点にすぎない。先へ進むぞ」

 言って隼人は、雑木林の奥へと歩み出した。あやかし切丸の切っ先を下に向けるアリスがそれに続き、蒼依はうつむき加減のままそのアリスのあとにつく。振り向くまでもなく、二人分の足音が蒼依の背後にあった。

「そう落ち込むなよ」

 アリスが背中で言った。

 誰に対しての言葉なのか判然とせず、蒼依は歩きながらとりあえず顔を上げた。

「神宮司瑠奈はあたしたちで助け出すさ」

 それが蒼依に向けられた励ましであるのはもはや考えるまでもない。しかし蒼依は、返す言葉を用意していなかった。

「は、はい」

 稚拙な返事となってしまったが、同時に、冷静さを取り戻しつつある自分に気づく。魔道士や幼生らを相手に素人の自分に何もできないのは、至極当然なのだ。本当に瑠奈を救いたいのなら、特殊部隊の三人に任せるべきだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る