第6話 シンギュラー・ポイント ⑥

 瑠奈の様子がおかしいのは榎本にもわかった。しかし彼女にどんな異変があろうと、連れ戻さなくてはならない。榎本は右手でハイレディポジションを維持しつつ、状況を見守った。

「ねえカイト」タイキがカイトを見た。「こいつら、みんな食べちゃっていい?」

 子供の姿をしているとはいえ、純血の幼生なのだ。まして、自分を代理出産したはずの少女を惨殺したのである。この化け物ならやりかねない――榎本は固唾を吞んだ。

「タイキの新しい母さんはなんて言っている?」

 横目でタイキを見ながら、カイトは訊いた。

「えーと」タイキは瑠奈に顔を向けた。「お母さん、どうする?」

 どこか遠くを見る瑠奈は、タイキには目もくれず、けだるそうに口を開く。

「だめ。士郎様もそう望んでいる」

 瑠奈は士郎の言いなりなのだろう。タイキは瑠奈を介して士郎の指示に従っているのだ。

「なーんだ、つまんねーの」

 タイキは不服そうに舌を鳴らした。

「それに、そっちの泰輝を食うのは無理だぜ。何せ、同じ純血なんだからな」

 そんなカイトの言葉に「そっちの泰輝は食えねーやつ」とタイキは顔をしかめた。

「タイキは相変わらず口が悪ね」

 肩を揺らして、士郎は失笑した。

「今まではおれが世話役でしたからね」カイトも笑った。「でもこれからは瑠奈ちゃんが母さんだから、少しは上品になるでしょう」

「期待しているよ」

 上半身をロープで巻かれてままであるが、士郎は高揚しているらしい。

「こんな茶番、いい加減にしろ!」

 アリスが怒りもあらわに吐き捨てた。

「落ち着け」

 やはり隼人は冷静だった。

「じゃあ、こいつらの言いなりになれってか?」

 それには答えず、隼人はただ正面を向いていた。

「空閑隼人くん」カイトが隼人を見た。「おれを失望させるような行動はよしてくれよ。こっちのタイキは一瞬にして、そっちの泰輝以外のおまえたち全員をぶち殺せるんだからな。とにかくこっちの言いなりになれば、命だけは助かるんだ。まずはおまえたちの武器を手放してもらおう。ライフルも拳銃も、シースのナイフも、その日本刀もだ。全部、床に置け」

「言われたとおりにしろ」

 隼人は告げると、あやかし切丸とナイフを足元に置いた。

 寸刻の迷いの末、榎本も拳銃を足元に置いた。

 ロックとアリスも無言でライフルと拳銃、ナイフを床に置く。

 続いて、蒼依があやかし切丸の鞘を静かに足元に置いた。

「全員、両手を後頭部で組むんだ。当然だが、空閑隼人くん、士郎様を離すんだぞ」

 目を配りながら、カイトは命じた。

 真っ先に隼人が両手を後頭部で組む。必然的に、士郎を離すことになった。

「たいくんも、こうして」

 同じように両手を後頭部で組んだ蒼依が、泰輝に声をかけた。

「わかった」と答えた泰輝も、同じ姿勢を取る。

 榎本はロックやアリスとほぼ同時に、両手を後頭部に回した。

 全員がそうした――と思いきや、榎本の背後に視線を投げたカイトが、眉をつり上げた。

「おいおい」榎本の背後に視線を投げたカイトが、眉をつり上げた。「塩沢さんよ、さすがにそんな体型になると手が後頭部には回らないのかい?」

「そうだな。物理的に無理だ」

 だみ声がそう訴えた。

 振り向けば、半魚人は両腕を上げただけの体勢だった。

「それとも」だみ声が続いた。「おれがこうしているのが、怖いのか?」

「ふざけろ!」

 声を上げるなり、カイトは背中に左手を回した。前に戻したその手には、例の短剣が握られている。

「こんな屈辱を受けても」カイトは自分の右腕を一顧した。「おれは穏便に済ませようとしていたんだ。そんなに死にたければ、タイキに任せるまでもなく、おれが今から始末してやる」

「やめたまえ」と士郎が制した。

「しかし……」

 苦々しい表情のカイトが、短剣を震わせた。

「行ってもいいかな?」

 士郎は横目で隼人を見た。

「好きにしろ」

 単調な答えを受けて、士郎は上半身を拘束されたまま仲間の元へと歩き出した。しかもあろうことか、彼の上半身に巻きついていたロープがするするとほどけてしまう。

「なんだよあれ」アリスが声を漏らした。「とらえられていたふりをしていただけかよ」

「しかし、ぼくをとらえたつもりでいた間は、優越感に浸れただろう?」

 背中で返されたアリスが「ちくしょう」と小さくこぼした。

 仲間の元へとたどり着いた士郎がこちらに正面を向けた。

「さて、まずは武器の回収だね」言って士郎は、隣の瑠奈を見る。「瑠奈ちゃん、タイキに頼んでもらえないかな?」

「はい」答えた瑠奈がタイキの左肩に自分の右手を置いた。「命令だよ、タイキ。あそこに置いてある刀とか銃とかを、全部持ってきて」

「うん、わかった」

 笑顔で答えたタイキが、七人のほうへと駆けてきた。そして一同の前で立ち止まり、面々をまじまじと眺める。

「へえー、ばか面ばっかり」

 毒舌を吐くこの存在は、幼い子供ではなく純血の幼生とやらなのだ。これまで目にしてきたハイブリッド幼生とは格が違うのは、もう疑う気もない。無視するためにも、榎本はタイキと目を合わせないように努めた。

 しかし、その光景が目の端に映り、思わず見てしまう。

 タイキの両耳の先端が触手のごとく伸び始めていた。

 化け物――と声に出しそうになり、榎本は慌てて口を結んだ。

 五メートル以上に伸びた両耳のうち、まずは右の耳があやかし切丸の柄に巻きつき、その先端がさらに伸びてロックのライフルやアリスのライフルにも巻きついた。そしてその右耳は三つの武器を数珠繫ぎに持ち上げる。一振りの日本刀と二丁のライフル――これだけでも相当な重量であるはずだが、触手のような耳はこれらを高く掲げていた。続いて左耳が三丁の拳銃と三本のナイフを、同じように取り上げた。

「新しいお母さんができて、うれしいかい?」

 きびすを返そうとしたタイキに、こちらの泰輝が尋ねた。

「おまえ、ぼくにお母さんを取られて、悔しいんだな?」

 泰輝に面と向かったタイキが、戦利品を両耳に掲げながら不敵な笑みを浮かべた。

 大きな泰輝と小さなタイキとが対峙していた。どちらも純血の幼生なのだ。これから何が起こるのか、榎本には予想がつかない。

 泰輝は首を傾げて「うーん、悔しくはないかなあ」と口にした。

「うそだね」

 タイキは眉を寄せた。

「うそじゃないよ。だってぼくは、もうお母さんがそばにいなくても平気なんだもん」

「なんだよ、それ」

「それにぼくは、もうこの地球から離れたいんだ」

「何を言っているんだよ?」

「ぼくは、本当の居場所へ帰るんだ」

「本当の居場所ってどこなんだよ?」

 タイキの顔に焦燥が表れていた。

「本当のお父さんと本当のお母さんがいるところだよ」

「本当のお母さん……」言いよどんで、タイキは彼の仲間たちのほうを振り向いた。「ぼくのお母さんは……」

 おそらく、その視線の先には瑠奈がいるのだろう。榎本はそう感じた。

「タイキ、惑わされてはいけない」

 割って入ったのは士郎の声だ。

 タイキは泰輝に向き直った。

「ぼくのお母さんは……」

 その先を口に出せず、タイキは体をわずかに震わせた。


 タイキの震えは恐怖ではないはずだ。ならばそれは、焦りか、もしくは怒りだろう。

 蒼依はそれを察し、危惧を覚えた。タイキは純血の幼生なのだ。しかも敵である。

「みんな」隼人が二人の少年から目を離さずに声を落とした。「下がれ」

 黙して小さく頷いた蒼依は、榎本と目配せを交わし、彼とともにゆっくりとあとずさった。隼人やロック、アリスも静かにあとずさる。

「タイキ、早くこっちに戻るんだ」

 士郎の口調は、やや強かった。

 瑠奈の表情に変化はないが、カイトは焦りの色を呈していた。

「おまえはぼくにお母さんを取られて悔しいんだ。だからでたらめを言っているんだ」

 口を引きつらせて、タイキは泰輝を睨んだ。

「でたらめなんかじゃないよ。それに悔しくなんかもないし。ぼくのお母さんは山野辺士郎の催眠術に操られているだけだからね。君は山野辺士郎の召使いなんだよ」

 淡々とした調子で泰輝は訴えた。

「違う!」タイキが声を上げると同時に、彼の背後に門が表れた。「ぼくの新しいお母さんは、ぼくのことが大好きなんだ! おまえなんかやっつけてやる! ぼくと一緒に外へ出ろ!」

 虹色のマーブルが表面にうごめくそれは、直径が三メートルほどで、床からわずかに浮いていた。

 冷気が漂った。

「みんな、もっと下がれ!」

 だみ声だった。

 蒼依が振り向くと、塩沢が大きな跳躍をしたところだった。彼は泰輝とタイキとの間に着地し、迷わずに右手でタイキを突き飛ばした。突き飛ばされた小さな体は門へと吸い込まれ、触手状の二本の耳は、戦利品のすべてを床にぶちまけてしまう。

「塩沢あああ!」

 叫んだカイトがこちらに向かって床を滑った。

「カイト、やめろ!」

 士郎が制した直後、門の外に伸び出ていた両耳も、その中へと吸い込まれた。

 滑りながら門を迂回したカイトが、左手の短剣を塩沢に突き出した。それを躱した塩沢が、正面から両腕でカイトに組みつく。

「武器を拾え!」

 そんな隼人の声にロックとアリスがすぐに反応した。

 不意に、門からタイキの耳と思われる二本の触手が伸び出た。うち一本は、組み合ったままの塩沢とカイトを、もう一本は、立ち尽くしていた泰輝を、それぞれ瞬時に巻き取った。

「たいくん!」

 蒼依が声を上げる間もなく、泰輝も塩沢もカイトも、門へと引き込まれてしまった。

 門が急速に縮小し、そして消失した。

 隼人があやかし切丸を拾い、ロックとアリスがそれぞれのライフルを拾ったのは、その直後だった。

 見れば士郎と瑠奈の姿がなく、代わりにもう一つの門がそこにあった。先の門とほぼ同じ大きさのそれは、蒼依が気づいたそばから消えてしまう。

「すぐに移動する」

 言いながら、隼人はナイフの一本を拾い、それをシースに差し入れた。ロックとアリスもそれぞれ拳銃とナイフを拾う。榎本も拳銃を拾った。

 蒼依は鞘を拾うと、隼人の前に立った。

「瑠奈とたいくんと塩沢さんは、どうするの?」

「あの三人がどこにいるのか、蒼依にはわかるのか?」

 詰問されたが、泰輝の気配もタイキの気配もなかった。ほかの幼生の気配もない。

「まずはこの施設から出て、体制を整える」

 隼人はそう告げると、あやかし切丸の柄をアリスに向けた。

「ライフルと交換だ」

「どさくさに紛れてフーリガンに横取りされた、かと思ったよ」

 緊張の色を維持しつつ諧謔を口にしたアリスが、隼人にライフルを渡し、あやかし切丸を受け取った。

「ドアは四つだ。どれを行く?」

 ロックが隼人に尋ねた。

「一つ一つ確かめるしかない。まずは……」

 隼人が顔を向けたのは、士郎が立っていたドアを正面にして、右のドアだった。

「反時計回りに確認しよう」

「了解」

 答えたロックはライフルを構え、巨大空間内を警戒した。

「基本的には、さっきまでの隊列だ。欠けた位置はそのままだ」

 隼人の「欠けた」という部分が気に入らず、蒼依は口を引きつらせた。

 隼人、アリス、蒼依、榎本、ロックという順にそのドアへと向かって歩いた。歩きながらも、隼人とアリスは周囲を警戒していた。

「蒼依さん」

 蒼依の背後で榎本が声をかけた。小声だった。

「え……」と蒼依は歩きながら振り向いた。榎本の後ろを歩くロックも隼人らと同様、前後左右を警戒している。

「瑠奈さんも泰輝くんも塩沢さんも、きっと無事だよ。それに塩沢さんが言っていたじゃないか……成長した深きものどもは秘薬を服用せずとも門の先の異次元空間で平気でいられる、って」

 榎本はそう告げた。

「はい」

 答えた蒼依は正面に向き直った。気休めとわかっていても、興奮はわずかに抑えられた。

 目的のドアの前に着くと、隼人がドアの横でライフルを構えた。アリスがドアノブに手をかける。蒼依にもおなじみとなった一連の手順だ。

 頷いた隼人に合わせて、アリスがドアを開いた。

 戸口の先を覗くと、やはり通路がまっすぐに続いていた。しかしこちらの通路は、十メートルほどで突き当たりとなっている。その突き当たりにドアがあった。

「おれとアリス以外は、ここで待機」

 指示を出した隼人が、通路へと足を踏み出した。アリスがそれに続く。

 二人を見送った蒼依は、自分のいるこの巨大空間に目を走らせた。

 今のところ、変わった様子はない。先ほどの修羅場がうそのようだ。もっとも、何かあればロックが対応するだろう。蒼依にできることといえば、幼生の気配があればすぐに報告する――それだけだ。

 二分ほどが経過し、アリスだけが戻ってきた。

「小部屋が一つあった」アリスは言った。「ほかへの通路とか出口はない。今、フーリガンが調べているが……」

 アリスは言葉を選んでいるようだ。

「どうした?」

 周囲を警戒しつつ、ロックが促した。

「一人ぶんの死体があった」

「一人……ぶん?」

 尋ねたのは榎本だ。

「頭部と四肢が切断されている。男ではあるらしい。死後二、三時間が経過している」

 その様子が頭に浮かびかかるが、蒼依はあえて想像するのをやめた。

「生け贄か?」

 警戒しつつも、ロックは眉を寄せて声を低くした。

「それはわからないが、さっきのスナイパーらと同じ服装だった」

「仲間割れ?」

 榎本も声を低くした。

「あの状態からすると、裏切ったとか、そんな感じだろう。見せしめ、かもしれない」

 そう返して、アリスはため息をついた。

 蕃神を崇拝する無貌教ならありうるだろう。社会を変える、などと放言しても、しょせんは邪教集団なのだ。

「この混乱の中で、統制が乱れているのかもしれない」榎本が言った。「瑠奈さんをあんな目に遭わせたのを悔いている者だっていてもおかしくはない。殺されたのはスナイパーらしいが、戦いのプロでさえ反旗を翻したくなるような組織、ということだろうな」

「はい」

 蒼依は頷いた。十分に承知していることだが、改めて、榎本の言葉を嚙み締める。

 一同は沈黙し、さらに二分ほどが経過した。

 隼人が戻ってきた。彼はドアを閉じると、皆を前にした。

「手がかりが見つかった」

 言って隼人は、左手で一枚の紙を掲げた。

 A4サイズほどの紙であり、折り目からすると八つ折りにされていたらしい。なんらかの図が描かれている。

「コピーしたものだな」隼人は言った。「おそらく、この施設の見取り図だ」

 とたんに皆が色めき立った。

「出口がわかるのか?」

 榎本の問いに隼人は頷いた。

「出入り口はいくつかある。そしてここは地下一階だ。かなり複雑な施設みたいだが、これまでの通路や部屋がこの見取り図のどこに当てはまるのかがわかるから、出入り口にたどり着けるはずだ。……この図には階段やエレベーターがいくつも描かれている。とりあえず、ここから一番近い階段を使って一番近い出入り口へ向かう。その階段よりも近くにエレベーターがあるが、言うまでもなく、それは使わない」

 うまくエレベーターに乗れたとしても、出口で待ち伏せされる懸念があれば、閉じ込められる可能性もある。蒼依にもそれは想像できた。

「その見取り図は、あの死体が持っていたのか?」

 尋ねたのはアリスだ。

「そうだ。複雑な施設ゆえ、全員に……もしくは何人かに配布されたんじゃないかな。だからコピーなんだよ」

 隼人の答えに、榎本が得心したように頷いた。

「まずは」隼人は、最初に入ってきたドアに顔を向けた。「あのドアからだ」

「来た道を戻るわけか」

 アリスが独りごちた。

「そして、途中にあった十字路を右に行く。急ぐぞ」

 指示が下された。

 一行は小走りに進みながら元の隊列を組んだ。

 無論、そのドアを開ける手順は、これまでと同様だった。

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