第5話 探索 ⑦
対象の山を迂回して雑木林の端に至った。隼人が「ここからは声を立てるな」と全員に指示し、ロックを偵察に向かわせた。
皆とともに茂みの陰にしゃがんだ蒼依は、雑木林の外に広がる草地の様子を窺った。
ライフルを構えたまま腰をかがめて走っていくロックの前方に、いくつかの建造物が密集していた。平屋や二階建てなどが混在しているが、民家の風情ではない。どの建物も研究所か町工場という外観である。塀やフェンスの類いはなかった。蒼依たちの位置から建物の一番近い位置までは、五十メートル程度だ。
左のほうに目をやると、雑木林の外に岩山の裾が見えた。平地に近い部分はなだらかだが、標高が増すごとに傾斜がきつくなっている。
一番手前にある二階建ての壁際にたどり着いたロックが、壁沿いにゆっくりと左手に回り、その角から建物と建物との間――幅が五、六メートルの路地に入った。そしてすぐに、彼の姿は見えなくなった。
誰もが息を殺してその様子を窺っていた。泰輝さえもが、建物の群れをじっと見据えている。見える範疇では、どの建物にも窓が少なく、壁はコンクリート製なのか灰色だ。
幼生の気配はなかった。隼人も泰輝も感じていないようだ。
無音に近かった。聞こえるとすれば、自分の呼吸音と、わずかな衣擦れ、枝葉にふれた際の小さなかすれた音、それくらいだ。聴覚を刺激する要因はないに等しく、嗅覚への刺激は塩沢の体臭だけである。
身をかがめつつ、蒼依は隼人を横目で見た。死んだ、と思われた兄と再会できたにもかかわらず、蒼依は素直に喜べなかった。
四年前――高三土山の頂上にて、隼人は蒼依の目の前で蕃神の触手によって背中から串刺しにされ、星空へと連れ去られた。その隼人が、今、陸上自衛隊特殊部隊の副隊長となってここにいる。生きているだけで奇跡だが、彼がいかにして助かったのか、いかにして自衛隊に入隊したのか、蒼依がそれらのいきさつを気にするのは当然だ。そして、特殊部隊の副隊長ならばそれなりの期間を自衛隊隊員として働いているはずだが、隼人はその期間に蒼依に連絡の一つもくれなかったということになる。加えて、瑠奈のクローンである少女が惨殺されたにもかかわらず、隼人は顔色を変えなかった。瑠奈が隼人に思いを寄せているのは既知の事実だが、隼人が同じく瑠奈に心を寄せていたことも、当時の蒼依は気づいていた。なのに隼人は、瑠奈とうり二つの少女――瑠奈と同じ遺伝子を持つ少女の死に動揺のかけらも見せなかったではないか。それが蒼依の悲しみといら立ちを募らせているのだ。
三分ほどして、同じ路地からロックが姿を現した。建物の角で腰を低くした彼がこちらに顔を向け、掲げた左手で、来い、と合図する。
隼人が塩沢に向かって右手の人差し指と中指を立てた。そして、泰輝に向かって人差し指と中指と薬指、蒼依には人差し指と中指と薬指、榎本には五本の指、アリスには親指と小指――というように、順次、番号を割り当てる。移動する順番らしい。すなわち、元の隊列で縦に一列で進む、ということだ。
「たいくん、さっきと同じ順番で行くんだよ」
蒼依は泰輝に小声で伝えた。
「うん」
泰輝の答えも小声だった。
ライフルを両手で携えた隼人が真っ先に草地へと出た。そして走りながら振り向き、ボールを地面に突くような仕草を左手で示す。背を低くしろ、という意味らしい。
塩沢が二番手につき、泰輝、蒼依、榎本、アリスと続いた。全員が腰をかがめて小走りで進む。
天空は雲一つない青空だった。この世界では当たり前の空だが、蒼依が暮らしている現実世界の空――地球の大気であるあの空とは根本的に違う。現実世界からすれば偽りにすぎないのだ。
冷気を感じた。
蒼依は周囲を見渡した。
移動している六人のみならず、先で皆を待っているロックまでもが、視線を走らせている。
「止まったほうが……」
「いや、みんな、そのまま走るんだ」隼人が蒼依の言葉を否認した。「アリスはおれとともにここで待機してくれ」
そして隼人は列から逸れて立ち止まり、即座にライフルの銃口を空に向けた。
隼人に並んだアリスが、鞘から伸びる柄を右手で握りつつ、周囲を警戒する。
片膝を突くロックが、蒼依たちに左手で、急げ、と合図した。
塩沢がロックの背後で立ち止まった。蒼依も泰輝や榎本とともにそれに倣う。
一帯は、路地も建物の周囲も土が剝き出しの地面だった。見える範囲にアスファルトで舗装された箇所はない。
アリスが空を仰ぎつつあやかし切丸を抜刀した。そしてアリスは、こちらを一瞥もせずに、鞘をこちらへとほうり投げる。それがロックの手前に落ちると、ロックは左手を伸ばしてそれを拾い、やはり振り向きもせず、肩越しに蒼依に差し出した。蒼依がロックから鞘を受け取るや否や、ロックはライフルを両手で構えて周囲を警戒した。
見上げれば、隼人とアリスの頭上、およそ十メートルの高さに、直径が二、三メートルはありそうな門が浮かんでいた。
「塩沢さんと榎本さんは、後ろを見張っていてくれ」
ロックがそう言うまでもなく、榎本と塩沢は路地の奥に目を光らせていた。榎本に至っては、ハイレディポジションを取っている。
「蒼依さんと泰輝くんは壁際に寄って頭を低くしていろ」
ロックのそんな指示を受けた蒼依は、「たいくん、しゃがんで」と言いつつ、路地に面した壁を背にして片膝を突いた。泰輝も蒼依の右で片膝を突く。
気配を感じた直後に、糞尿のにおいが鼻腔を襲った。
「来たぞ!」
榎本が叫ぶと同時に、何発もの銃声が連続した。
頭を抑えながら、蒼依は横目で見た。
蒼依とは反対側の壁に身を寄せて片膝を突く榎本が、路地の奥に向かって拳銃を撃っていた。そして塩沢が路地の奥に向かって飛び跳ねるように走り出すなり、榎本は射撃を中断してハイレディポジションを取る。
路地の奥から数人が走ってくるところだった。全員がライフルを手にしている。よく見れば、榎本の射撃を受けたのか、一人がすでに倒れていた。
敵がライフルを撃ち始めた。蒼依はさらに頭を低くする。
「蒼依さんと泰輝くんは、身を低くしたまま、こっちへ来るんだ」
建物の草地に向いた側を顎で指しつつ、ロックが言った。
返事する余裕もなく、蒼依は「行くよ」と泰輝に声をかけた。そして左手に鞘を持ったまま四つん這いでロックの背後を抜け、建物の角を曲がり、草地に面した側の壁を背にしてへたり込んだ。
泰輝が隣で同じように腰を落とすと、蒼依は顔を上げて正面を見た。
それと同時に、隼人が空に向かってライフルを撃った。
門から真下に飛び出した人間大の幼生が、四散して草地に落下した。ほんのつかの間だったため、蒼依はその幼生の姿を把握できなかった。
隼人の頭上の門が、中心に向かって瞬時に縮小し、消滅した。
幼生のにおいは残っているが、冷気は去った。
腰を上げたロックが、ライフルを構えたまま路地のほうへと走った。
隼人とアリスが周囲を警戒しながらこちらへと走ってくる。
次に起こすべき行動が思い当たらず、蒼依はそのままへたり込んでいた。
「けがは?」
蒼依の正面で片膝を突いたアリスが、そう尋ねた。
立ったままの隼人は、ライフルの構えを維持して周囲を警戒している。
「大丈夫です」
答えた蒼依に向かって、アリスはセンサーグラスを右手でわずかに持ち上げて両目を見せると、ほほえんだ。
「悪いが、もうしばらくその鞘を持っていてくれ」
アリスはそう言うと、センサーグラスをかけ直して立ち上がった。
「はい」
頷いた蒼依は、泰輝を促し、彼とともに立ち上がった。
路地に倒れていたのは六人の男だった。もっとも、容貌がわかるのは最初に倒れた一人だけであり、あとの五人は顔面の損壊が激しいというありさまだった。顔を引き裂かれた四人と、首から上をつぶされた一人は、塩沢の手によって葬られたのだと推測できた。
顔がわかる男は三十代とおぼしかった。Tシャツにカーゴパンツという姿だ。とはいえ顔に傷はないが、対幼生弾丸に撃ち抜かれた胸は千切れかかっている状態である。ほかの五人もその男と似たような出で立ちであり、おそらくは同年代である、と思われた。
いずれにせよ、蒼依はその惨状を直視できず、顔を背けてしまった。どの死体も先の少女の死を彷彿とさせるのだ。
路地の奥をロックが、手前を隼人が警戒する中、アリスと榎本と塩沢が手分けして、死体を調べた。門を通過するための秘薬を所持していれば、それを奪取するという。
アリスはあやかし切丸を左手に持ったまま、右手だけで作業した。しかも、センサーグラスも装着したままだ。蒼依が、その剣を鞘に収めたうえで自分が持つ、と申し出たが、敵の奇襲を警戒してか、アリスはそれを断った。
しばらくしてアリスが立ち上がった。
「どの死体にも秘薬はないな」アリスは隼人に言った。「めぼしいものといえば、AK47くらいだ」
AK47というのがライフルであることは、蒼依にも容易に理解できた。
「秘薬がなければ門は通過できないんだな」
榎本は自分に言い聞かせているらしい。
「こいつらが持っていなくても、ほかにあるかもしれない」アリスが言った。「それに、次元を越える出入り口が門である、とは限らない」
「まあ……そうだな」
得心のいかない様子で榎本は頷いた。
「奥に進もう。隊列を戻すぞ」
隼人は告げると、死体を避けつつ、路地の奥に向かった。
入れ替わりにやってきたロックが、「みんな、元の順でフーリガンに続け」と声をかけた。
塩沢が隼人のあとにつくと、蒼依が促すまでもなく、泰輝がそれに続いた。蒼依は左手に鞘を持ったままその泰輝に続く。
「敵はこれだけなのか?」
蒼依の後ろで榎本の声がした。
「そんなわけないだろう。すぐに次のが来るぞ」
アリスがそう答えた。
「来た!」
矢継ぎ早にロックが声を上げた。
冗談かと思い、死体を避けつつ、蒼依は歩きながら振り向いた。
草地のほうからこの路地に向かって、一人の人間が走ってくる――否、足は動かしていない。滑っているようにも見えるが、二本の足は地面から二、三十センチほど浮いていた。
「メイスン!」
アリスが叫ぶと同時に、ロックのライフルが火を噴いた。
路地に入る直前で、その男――カイトが跳躍した。その跳躍は、ロックやアリスどころか、蒼依や塩沢の頭上をも越えてしまう。
「塩沢ああああ!」
怒号を放ったカイトが、振り向いた塩沢の正面に舞い降りると同時に、右手の短剣を横に振った。
飛び退いて間合いを取った塩沢だが、剝き出しの胸に横一文字の傷を負う。
「汚い胃液なんてかけやがって、よくもおれの顔をこんなんにしてくれたな!」
怒りの形相をよく見れば、眉がわずかに消えていた。
「普通なら顔に大やけど、といったところだが、魔術で酸の濃度を薄めたな? 瞬時の判断でなそれをなすとは、さすがだ」
傷の痛みなどどこ吹く風なのか、塩沢は声を上げた。
「みんな下がれ!」
隼人が怒鳴りつつ、路地の奥へと後退した。
一方で、蒼依は泰輝の左腕を引いて草地側へと後ずさった。それと同時に、榎本とアリス、ロックら三人が、蒼依と泰輝の前に出ておのおのの武器を構える。
「銃はだめだ!」
隼人の指示が飛んだ。こんな狭い路地で銃を撃てば仲間に当たる危険性があるのは、さすがの蒼依にも理解できた。しかし、榎本の拳銃とロックのライフルは、どちらも銃口をカイトに定めたままだ。
カイトの短剣が素早く突き出された。
それを躱そうと横に体をひねった塩沢だが、腹部に次なる傷をつけられてしまう。
塩沢が片膝を突いたとき、隼人がライフルを足元に置き、右手で左胸のシースからナイフを引き抜いた。
「誰も近づくな!」
隼人の動きに気づいたらしく、塩沢が声を上げた。
ナイフを右手に構えたまま、隼人は固まった。
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