第5話 探索 ⑥
榎本は拳銃を右手に提げたまま、下生えを踏み締めて歩いた。武器を持っているにもかかわらず何もできなかった――という悔恨の念にさいなまれ、ため息が止まらない。
榎本の前を歩く蒼依は、移動が再開されてからもうつむいていた。殺害された少女は神宮司瑠奈とうり二つだったものの、蒼依はその少女を友人というよりも妹のように世話をしていたのだ。短い間だったが、互いに心をかよわせていたに違いない。
「しかし、敵にこっちの動きがばれてしまったが、大丈夫なのかよ?」
質問を飛ばしたのはアリスだった。
「今さら引き返すわけにはいかない」
先頭のフーリガンが背中でそう答えると、アリスは「だよね」とつぶやいた。
「ねえ、たいくん」
顔を上げた蒼依が、歩きながら泰輝に声をかけた。惨劇のあった現場を出発して五分と経っていない。
「なあに?」
あんなことがあってもなお、泰輝の様子に変化はなかった。
「さっきの男の子は、誰なの?」
「わかんない」
「わかんなくはないよね。たいくんとそっくりだったじゃない。小さいときのたいくんと同じ顔だった」
蒼依の言うように、あの男児の顔は泰輝を幼くした感じだった。榎本も気になっていたことだが、間違いなく、ほかの者も同じ心持ちだろう。それだけでなく、あの男児が言っていた「お母さん」とは、状況から判断するに着物の少女であるらしい。ならばあの男児は、神宮司瑠奈のクローンが代理出産した純血の幼生、ということになる。蒼依がそれを察しないわけがない。
「でも、わかんないんだもん」
泰輝は言った。
「ちょっと、たいくん」
背中のリュックを揺らせつつ速度を上げた蒼依が、後ろから泰輝の右腕をつかんだ。そして二人は立ち止まる。必然的に、二人の後続である榎本やアリス、ロックも足を止めることになった。もっとも、フーリガンと塩沢もすぐに立ち止まり、二人そろって正面を後続の者たちに向けた。
蒼依が強引に泰輝を振り向かせる。
「いつになったらシャキッとするのよ。あの女の子は殺されちゃったんだよ。それも、たいくんと同じ顔の男の子によって。どうしてあの男の子と戦わなかったの? これからあなたのお母さんを助けに行くんだからね。早く、強いたいくんに戻ってよ。強いたいくんなら門だって呼び出せるんだから」
フーリガンにしたのと同じくらいに激しく、蒼依は泰輝の右腕を揺さぶった。
「うーん……でも力が出ないんだ」
間延びしたような調子で、泰輝は答えた。
フーリガンが蒼依の元に移動した。ライフルを右手に提げる彼は、左手で蒼依の右腕をつかんで引き、泰輝の右腕を解放する。
「いい加減にしろ。みんなの命がかかっているんだ」
そうたしなめられた蒼依が、フーリガンの左手を振り払った。
「なんだよ空閑隼人!」
蒼依はフーリガンを――否、空閑隼人を睨んだ。
やはりそうなのだ。
先ほどの蒼依とフーリガンとのやりとりを聞いて、榎本は目星を立てていた。このフーリガンなる男が蒼依の身内である可能性がある、と。そこで真っ先に脳裏に浮かんだのが、四年前の春に失踪したという青年――蒼依の兄である空閑隼人だった。
蒼依が後続に顔を向けると、アリスとロックがそろって肩をすくめた。
「アリスとロックも、フーリガンが空閑隼人であることを知っていたんでしょう?」
「そうだ」センサーグラス越しに周囲を警戒しながら、アリスが答えた。「そいつは空閑隼人だよ。蒼依がそいつと同じ名字だから、二人の関係が気になってはいたんだ。珍しい名字だしな。空閑隼人に妹がいたことも知っていた。だから、空閑蒼依という名前を塩沢から聞いたとき、それは空閑隼人の妹なのでは、と予想したんだ。でも、それはあたしが話すことではない。フーリガン……空閑隼人に言ってもらわないとな」
唇を嚙み締め、蒼依は隼人に顔を向けた。
「だから、さっさとすっきりさせればよかったんだよ」
アリスのその言葉は、空閑隼人に向けられたものだろう。
「この子がたいくん……あの神宮司泰輝だ、って気づいていたの?」
蒼依は隼人に尋ねた。
「急成長したというのは状況からも容易に把握できるが、ある程度の情報は、ほかの隊員にはまだしも、亡き隊長とこのおれには届いている」
「そう……」
「とにかく」隼人は言った。「今の泰輝は力を失っていて門を呼び出せない、というのも、以前から把握している。だから蒼依は、できることを確実に実行してくれ。瑠奈ちゃんを救うためにもな」
それは、見鬼としての能力を活かしてもらう場合がある、という意味もあるのかもしれない。
「わかっている……わかっているけど、聞きたいことが山ほどある。元の世界に無事に戻ることができたら、そのときに訊くね。だからそのときは……ちゃんと答えてほしい」
「承知した」
そう告げて先頭に戻ろうとした隼人に、蒼依は「あの」と声をかけた。
隼人は立ち止まって振り向いた。
「さっきは殴ったりして、ごめん」
悄然とした声で蒼依は詫びた。
無表情のまま右手を軽く挙げた隼人が、先へと歩き出した。
「やっぱり隼人お兄ちゃんだったんだ」
泰輝がつぶやいた。彼も隼人を知る人物である、ということらしい。
「塩沢さん、行こう」
塩沢の横を過ぎるときに、隼人はそう声をかけた。そして隼人は、立ち止まらずに進む。
全体が動き出した。
「たいくんも、ごめんね」
泰輝の背中に、蒼依は歩きながら言った。
「大丈夫だよ。なんでぼくの元気がないのか、やっとわかったから」
泰輝は背中で言った。
「どういうこと?」
蒼依は問い返した。
「もうお母さんはぼくのそばにいられないんだよね?」
「そう……だね」蒼依は答えた。「今は大学だし、そのあとは医者としての仕事に就くから、あの家にはたまにしか顔を出せなくなるね」
無事に救出できたら、という前提ではあろう。
「だから」泰輝は言った。「ぼくはこんなふうになっているんだよ」
「お母さん……瑠奈がそばにいないから?」
「うん。……さっきの男の子も、自分のお母さんがそばにいないと力を出せないはず。でもあの男の子は、自分のお母さんを……自分を産んでくれたお母さんを、殺しちゃった」
「やっぱり、あの女の子があの男の子の母親だった……」
蒼依が独りごちると、泰輝は「きっとあの子は、ぼくのお母さんを自分のお母さんにするんだよ。あんなに強いんだから、もうそうしているのかもしれない」と繫げた。
「純血の幼生を代理出産した巫女は」蒼依は歩きながら声を落とした。「その幼生を育て、指示する……もしかして、代理出産で生まれた純血の幼生は、母親がいないと力を発揮できない?」
「ありうるだろうな」
告げたのは塩沢だった。
「でも、おとといはほんのちょっとですが、瑠奈とたいくんは顔を合わせているんですよ。それなのに、たいくんはずっとこんな感じだし」
「神宮司瑠奈さんの事情は知らないが、今までずっと一緒にいたのが、離れ離れになっているわけだ。言い方は悪いが、魔道士の使い魔が
確かに言い方は悪いが、榎本は腑に落ちた。
「そうかもしれませんが……」蒼依は得心のいかない様子だ。「九尾の狐や二口女も、代理出産で生まれた純血の幼生であるはずなのに、母親を必要とせずに力を発揮していましたよ」
またしても九尾の狐だ。しかも二口女とは、妖怪の一つではなかったか。掘り起こす気になれば、榎本の知りえない出来事がいくらでも出てきそうだ。
「泰輝くんは、母親を必要とするほどまだ幼い……ということでは?」
塩沢のその言葉を受けて、蒼依は「そうかもしれません」と首肯するが、すぐに「じゃあ、どうすれば……」と声を詰まらせた。
「だから、大丈夫だよ」
歩調を乱すことなく、泰輝は告げた。
「大丈夫……なの?」
憂いの声で蒼依は尋ねた。
「うん、大丈夫」と続ける割には、泰輝の語調に変化はなかった。
自分も詫びたい――と榎本は思った。蒼依に対してだ。少女を守れなかったことを、素直に謝りたいのだ。しかし、今はよすべきだろう。少女の死を持ち出せば、蒼依の心をさらに乱してしまうに違いない。
榎本は右手の拳銃を見下ろした。
泰輝は力が発揮できないとしても不死身であるらしい。ならば自分が守るべき対象は、蒼依だけだ。
――次こそは守る。
榎本は正面に顔を向けた。
七人は雑木林の中を行進し続けた。
腕時計を見ると午前九時三十五分だった。
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