第5話 探索 ⑤

 最初の休憩から一時間ほど雑木林の中を歩いて、二度目の休憩となった。午前九時四分だった。

 三人の特殊部隊隊員はそれぞれ、左腰のポーチにブロックタイプの携帯食とスポーツ飲料のソフトパウチを何組か入れていた。それぞれが一人に一組づつ配られた。

 泰輝にその一組を渡そうとしたアリスに、彼がそれを必要としないことを、蒼依は手短に伝えた。

「なるほどね」と返したアリスを尻目に、泰輝は草の上に座ると、呆然と木々を見上げた。

 蒼依は自分の左に座らせた少女に、身振り手振りでそれらの飲食の仕方を教えた。少女はすぐに覚え、携帯食とスポーツ飲料を口にした。

 塩沢の体臭はもう気にならなかった。少なくとも蒼依は、このにおいの中で携帯食とスポーツ飲料を喉に通すことができた。

 特殊部隊の三人は、ロック、アリス、フーリガン、という順で見張りに立った。アリスとロックは、休憩の最中もセンサーグラスを外さない。

 フーリガンが見張りに立ってしばらくしたところで、蒼依はスポーツ飲料を一気に飲み干して立ち上がった。

「フーリガンさん」

 蒼依は声をかけてからフーリガンに近づいた。

「コードネームに敬称はいらない」

 蒼依に顔を向けることなく、フーリガンは言った。彼はライフルの銃口を下にして周囲を警戒している。

「えっと、あの……じゃあ、フーリガン」

「なんだ?」

 やはりフーリガンは、周囲に目を配りながら対応した。

「センサーグラスがなくても目が利く、というのは、不可視状態の幼生が見えるということですよね?」

 そう尋ねた蒼依を、フーリガンは横目で見た。

「だったら?」

「つまり、見鬼なんでしょう?」

 蒼依は質問を重ねた。

「君に関係があるのか?」

「関係も何も……」押されそうになるものの、蒼依は意を決した。「ある、と思うから訊いているんです。あなたの本名を教えてください」

「特殊部隊の隊員で、しかもコードネームで呼び合っているんだ。一般市民に本名を教えることはできないし、そのつもりもない」

「フーリガン、見張りの交代だ」

 いつの間にか、アリスが蒼依の横に立っていた。彼女の左手には、あやかし切丸を納めた鞘がある。

「今はおれの番だ。アリスは休んでいろ」

「あたしは十分に休んだ。というか、聞いていられないんだよ。空閑蒼依、という名前を塩沢が口にしたときから、ずっと気になっていたんだ。蒼依を突っぱねるのもいい加減にしろよ」

「意味がわからないな」

 フーリガンは蒼依とアリスから目を逸らした。

「全員の士気にかかわる」

 座ったままうつむいているロックが、静かに言った。

 榎本と塩沢がこちらを見ていた。もっともその二人には、この会話が何を意味しているのか、理解できていないに違いない。

 泰輝は木々を見上げており、食事を終えたらしい少女は、手にするソフトパウチを興味深そうに見ている。

「そのマスクを取ってください」

 可能な限り、感情を抑えた。

「おい、ロック」フーリガンがロックに顔を向けた。「携帯食の包装とスポーツ飲料の容器を回収してくれ」

「了解」

 そう答えたロックが、やおら立ち上がった。

「この期に及んでゴミの回収とは、律儀というか」

 座ったまま言った榎本が、丸めた包装とからのソフトパウチをロックに渡した。

「自分たちがここで何をしていたか、わざわざ痕跡を残す必要はないわけだ」

 そう返したロックが、受け取ったゴミを自分のポーチに入れた。

「それを」と言って、アリスが蒼依から包装とソフトパウチを受け取った。そしてアリスは、フーリガンの前に立つ。

「おまえが指示した休憩時間は、あと五分だ。有効に使え」

「おれに指示するのか?」

 フーリガンがアリスを睨んだ。

「部下が反乱を起こす前に、すっきりさせるんだな」

 そう切り返したアリスも、センサーグラス越しではわからないがフーリガンを睨んでいるらしい。

 ふと、冷気が漂った。加えて、強い殺気がほとばしる。泰輝の気配にも似ているが、それには悪意があった。

 表情を変えたフーリガンが「話はあとだ」と言い捨て、ライフルを構えた。

 事態を悟ったらしいアリスが、鞘からあやかし切丸を抜きつつ、周囲を警戒した。ほかの者も周囲に目を配る。気配はどうであれ、少なくともこの冷気は、見鬼以外でも感じるはずだ。

「アリス、その鞘、あたしが持ちます」

 蒼依の申し出にアリスは「助かる」と答え、すぐにそれを差し出した。

 鞘を受け取った蒼依は、少女の元に戻った。

 全員のゴミを回収したロックも、ライフルを構えた。

 榎本と塩沢も立ち上がった。

 榎本はフーリガンの拳銃を右手に持っていた。すでにレクチャーは受けているが、本人は使いたくなさそうな趣だ。

「たいくん、お願い」

 蒼依は泰輝を立たせ、彼に少女を背負わせた。

「蒼依ちゃん、変なのが来たよ」

 少女を背負う泰輝が、雑木林の一角を見つめながら言った。

「変なの?」

 それがすでに来ている、ということなのだろう。

 蒼依は泰輝の視線を追った。

 地表から五十センチほど浮いた状態で、直径二メートル前後の球体が浮いていた。表面には虹色のマーブルがうごめいている。周囲の何本もの枝がその球体にのめり込んでいた。

「門だ!」

 叫んだのはアリスだ。

「構え」

 フーリガンの号令で、武装した三人が、門を正面にしてほかの五人の前に出た。

「みーつけた」

 子供の声がした。

 よく見ると、門の手前に一人の子供が立っていた。男児だ。四、五歳程度だろう。Tシャツに五分丈ジーンズという出で立ちだ。こんな子供がこの世界にいるというだけで不自然だが、それ以上に驚愕すべきは、その容姿だった。

「たいくん……」

 まさしく、四カ月前までの泰輝――その姿だった。

「そいつは幼生だ。撃て!」

 フーリガンが声を上げた瞬間に、門から何かが飛び出した。巨大なミミズ、そんな姿の化け物が、のたくりながら宙を飛んでくるのだ。

 瑠奈をさらった幼生だ――と蒼依が気づいたときには、その巨大ミミズが、武装した三人の目の前まで迫っていた。

 銃声がけたたましく連続した。特機隊の火器とは異なり、減音はされていないようだ。

 空中でもんどり打つ巨大ミミズが、とてつもない悪臭を放った。その頭部――と思われる先端部を、アリスの剣が切断する。頭部も長い胴体も、同時に下生えに落下した。

 悪意のある殺気が、接近していた。

 武装した三人の頭上を、小さな姿が飛び越えた。男児がトレッキングシューズを履いているのを、蒼依は見た。

 フーリガンたちは振り向くが、それより早く、小さな姿が泰輝の正面に降り立った。

 日焼けした肌だった。蒼依にはそう思えた。泰輝とうり二つのその男児は、肌が黒いだけでなく、泰輝が浮かべたことのない不敵な笑みをたたえていた。

 フーリガンとロックがライフルを構えた。

「ライフルはだめだ!」

 叫びつつ、アリスが走った。

 榎本の持つ拳銃は、照準が定まっていない。

 黒い泰輝の右手が泰輝の髪をつかんだ。

 男児の片手だけで泰輝は地面に突っ伏し、目を剝いた少女はへたり込んでしまう。

 アリスがそこへ着く前に、少女を左腕で軽々と抱え上げた男児が、枝葉の生い茂る頭上へと大きく跳躍した。

「くっ」と声を立てて、アリスが立ち止まった。

 倒れたまま動かない泰輝以外の全員が、同時に見上げた。

 木々の枝葉が揺れるが、蒼依には男児と少女が確認できない。

「ぼっくのお母さんはー……とーってもだめなお母さん」

 それは調子外れの歌だった。

 枝葉の揺れは、見上げる一同を中心として周回していた。

「その子を返しなさい!」

 蒼依は叫んだ。

「いいよー」

 男児の声が返ってきた。

 枝葉の揺れが鎮まった。

 特殊部隊の三人でさえ、その位置を突き止めかねているらしい。

 そして、蒼依の足元にサッカーボール大の何かが落ちた。

 長い黒髪を有するそれがなんであるのか、蒼依が理解する前に、着物をまとった首なしの体が榎本の足元に落ちた。双方の切断面にちぎれたような跡があるのを、蒼依は見てしまった。

「また遊ぼーねー」

 声が小さくなった。

 冷気と殺気が引いていく。

 見れば、門が消滅していた。それが浮かんでいた辺りの枝葉も、球体の表面があったとおぼしき位置で消え失せていた。門は発生点へと縮小して消えるが、なんらかの事情により唐突に消えたとすれば、重なっていた物質のその部分も同時に消失する場合がある。門が生物に重なった場合であればその生物の重なっている部分を欠損する事故も起こりうる、ということだ。いずれにせよ、今回の門は唐突に消えたに違いない。追っ手を遮るために瞬時に消滅させた、とも考えられるだろう。

 一方で悪臭は残っており、幼生の死骸が湯気を立てていた。

 全身から力が抜けた蒼依は、両膝を地面に突くと、鞘を傍らに置き、足元に落ちているサッカーボール大のものに両手を伸ばした。せめて拾ってあげなくては――そう思った。

「やめな」

 背後から右肩に手を置かれた。

 振り向けば、アリスが立っていた。センサーグラスの内側の目がどのような色を浮かべているのかわからないが、少なくとも、口元の表情は無念そうである。そして彼女は、鞘を拾ってあやかし切丸の刃をそれに差し入れた。

「こちらの状況を把握されたようだ」フーリガンが言った。「移動を再開する。各自、急いで元の位置についてくれ」

 榎本が泰輝を立ち上がらせた。当然だが、泰輝にはけがをした様子がない。

 おもむろに立ち上がった蒼依は、こみ上げてくるものに扇動され、ついに走り出した。「待ってよ!」

 怒鳴りつつ、蒼依はフーリガンの胸ぐらを両手で締め上げた。

「あの女の子は、どうするの?」

 蒼依はフーリガンを揺さぶった。

「そのままにする。急いだほうがいい」

 抵抗もせず、フーリガンは答えた。

「そのままにする? ふざけんな……」

 そして蒼依は、左手でフーリガンのマスクを剝ぎ取った。

 そこにあった顔を確認したうえで、蒼依は尋ねる。

「あんたはクローンなの? 本物なの? どっち?」

「本物だ」

「だったら、あたしは我慢しない。……いつからそんな薄情な男になったんだ!」

 蒼依は右のこぶしでフーリガンの左頬を殴った。手加減はしなかった。そして、マスクをフーリガンに突き出す。

 マスクを受け取ったフーリガンが、それを防弾ベストの右胸ポケットに押し入れた。

「アレルギー性鼻炎……」

 アリスだった。

「あれは口実だ。マスクは、もう必要ない」

「そういうこと……か」

 言ってアリスは、ため息をついた。

「さっきの子供が現れる前に、その気配に気づいていたな?」

 フーリガンが蒼依に問うた。

 隠す必要はない。蒼依は無言で頷いた。

 その男――空閑隼人は、口から流れる一筋の血を左手の甲でぬぐうと、蒼依に背中を向けた。

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