第5話 探索 ④
すぐ近くに男が立っていた。特殊潜行第三小隊隊員、とわかる出で立ちだ。ロックの背にあるのと同じ一丁のライフルを、右手に提げている。センサーグラスに加えて黒いマスクをかけているため、顔はわからない。声がくぐもっているのはこのマスクのためらしい。
「フーリガン、いつの間に戻ったんだ?」
アリスが訊いた。
「おまえがここに着くのと、ほぼ一緒だよ」
その男――フーリガンは言った。
「戻ってきてからずっとそこに立っていたのか?」
アリスの問いにフーリガンは「この茂みの陰で休んでいた」と草むらを顎で指した。
「忍者かよ……というか、性格が悪いな」アリスは顔をしかめた。「で、様子はどうだった?」
「動きはない。見た限りでは、信者の姿も確認できないな」
「でもさ、最低でも七人はいたんじゃなかったっけ?」
「確認できないだけだ。建物の中にいるか、現実世界へ行っているのか、それはわからないが」
「了解した」と頷いたアリスに、榎本が顔を向ける。
「もしかして、この人が副隊長なのか?」
「ああそうだ」アリスは首肯した。「コードネームはフーリガン……ごろつきとか暴れ者という意味だよ。念のために言っておくと、フーリガンもロックもあたしのコードネームも、本人がつけたわけじゃない」
「ごろつきか……」榎本は訝しげにフーリガンを見た。「熱狂して乱闘騒ぎを起こすスポーツファンのこともフーリガンと言うんだったな。勇ましそうなコードネームだ。それにしても、副隊長にしては若そうに見える」
その見解には蒼依も同感だった。センサーグラスとマスクで顔を覆っているが、フーリガンは二十代のように窺える。
「やられてしまったほかの仲間も含めて、うちらの小隊ではフーリガンが一番若い。しかも一番生意気だ。でも、一番につかえるやつだ」
言ってアリスは、フーリガンを横目で睨んだ。
「若くて生意気でも一番につかえるから副隊長、なのか……」
感心しているのか呆れているのか、榎本は神妙な趣で口をつぐんでしまった。
フーリガンは仮にも副隊長であり、その彼をアリスは「やつ」呼ばわりしたのだ。蒼依はまたしても榎本の言葉に同調してしまう。
「塩沢さんが言ったことにヒントがある、というのはどういうことなんだ?」
ロックがフーリガンに尋ねた。
「幼生の育成だよ」フーリガンは答えた。「その少女は巫女として生み出された。ならば、巫女として純血の幼生を代理出産し、その幼生を育てなければならない。そして成長した純血の幼生に指示するのも、巫女の役目だ。しかし、その少女は産むことはできても、育てたり指示したりは無理そうだ。だから、純血の幼生を産んだだけではなく、育てて指示する、といった経験のある神宮司瑠奈が必要になったんだ。しかも、その少女が神宮司瑠奈のクローンなら、神宮司瑠奈はこの少女と同じ遺伝子を持っていることになり、育成すべき純血の幼生は神宮司瑠奈に懐く。……とおれは睨んだわけだ」
瑠奈の事情も筒抜けらしい。アリスも「空閑と神宮司」という姓に反応を示していたのだから、特殊潜行第三小隊隊員の全員が把握していた可能性はあるだろう。
――それにしても、この声は。
くぐもっているため明確ではないが、フーリガンの声は、よく知る人物の声、のように思えた。また、イントネーションもしかりだ。もっとも、現実性に欠ける憶測にすぎず、蒼依はそれを口にするのを差し控えた。
アリスがフーリガンに顔を向けた。
「で……神宮司瑠奈っていう子を、どうするんだ? 救い出すのか? 見捨てるのか?」
「神宮司瑠奈を救えば無貌教の企てを阻止することになる。そういうことだ」
理由は気に入らないが、瑠奈を救い出すことには違いない。
「あたしも手伝います」
蒼依はすぐに訴えた。
「足手まといになるだけだ」フーリガンは蒼依に顔を向けた。「と言いたいところだが、神宮司瑠奈を救出したら、すぐに次元の出入り口を使ってこの世界を脱出する。そのためにも、危険ではあるが、全員に同行してもらいたい」
またしても気に障るもの言いだった。とはいえ、ここで反発するわけにもいかず、蒼依は「わかりました」と答えた。
榎本と塩沢も頷いた。
泰輝は、じっとフーリガンを見つめている。
「たいくん、もうちょっとだから頑張ろうね」
声をかけた蒼依に、泰輝は顔を向けた。
「うん……わかった」
物憂げに頷いた泰輝に、蒼依は問う。
「どうしたの?」
「そのお兄ちゃん……」
言いよどんだ泰輝は、再度、フーリガンに顔を向けた。門を使える者、ということで泰輝はそれに反応したのかもしれない。門を使えるということは、魔道士なのだろうか。もしくは、瑠奈のように蕃神の寵愛を受けた者なのだろうか。
「作戦は?」
ロックがフーリガンに尋ねた。
「ここから直線的にやつらのアジトへ向かうのは、よそう。これだけの人数であの平地を移動すれば、早々に気づかれてしまう。……アジトの反対側に、林が迫っている。この林と繫がっていそうだから、遠回りになるが、林の中を移動する。いくつかの山を迂回するために、四、五キロは歩くことになるけどな」
言ってフーリガンは、蒼依から見ての右のほうに顔を向けた。
「オーケー」と口にしてロックが立ち上がった。
「こちらの戦力は三、だけど、どうにかしよう」
言いながら、アリスも立ち上がった。
「おれもそれなりの戦力になるはずだ」
塩沢がそう告げて、おもむろに立ち上がった。
蒼依は少女の肩に左手を回した。そして、脱力したままの彼女とともに、立ち上がる。
榎本と泰輝も立ち上がった。
「おれは……フーリガンの言うとおり、足手まといかな?」
肩をすくめた榎本が、蒼依に向かって苦笑した。
「これを使ってくれ」
フーリガンは言うと、右腰のホルスターから拳銃を抜き、グリップを榎本に向けた。受け取れ、という所作らしい。
「おれに銃を使えと?」
受け取りを拒否するかのごとく、榎本は一歩、あとずさった。
「護身用だ。戦闘に突入すれば、おれたちはあんたらにかまっていられなくなるかもしれない。弾は十五発、入っている。幼生の体も打ち抜ける弾だ」
「銃の使い方なんてわからないぞ」
「歩きながら教える」
「……わかったよ」
不承不承といった呈で、榎本は拳銃を受け取った。
少女の肩を支えたままそのやりとりを呆然とみていた蒼依は、ふと我に返り、泰輝に顔を向けた。
「たいくん、この子のこと、またお願いするね」
「うん」
答えた泰輝に、蒼依は少女を背負わせた。
「準備はいいな?」
フーリガンが一同に目を走らせた。
「いいんだけど」アリスが言った。「女子があたしを含めて三人いるんだ。どこかでトイレ休憩を入れてほしい」
蒼依ならば男どもの前ではとても口にできそうもない要望だった。
「善処する」
フーリガンが了承すると、次にロックが右手を肩の高さに挙げた。
「なんだ?」とフーリガンはロックを促した。
「おれのセンサーグラスは使い物にならない」ロックは訴えながら右手を下ろした。「アリスのはいまいちだがまだ使えるらしい。フーリガンのは、どうだ?」
「おそらくアリスのと同じレベルだろうな。この林に入ってからノイズが出始めたが、まだ使える」
フーリガンはそう言うと、自分のセンサーグラスを外し、それをロックに差し出した。
「これを使え。おれは自分の目が利くからかまわない」
そんな裸眼のフーリガンの目を見て、蒼依は息を吞んだ。目が利く、というのが何を意味するのかよりも衝撃的な事態だ。確信はないが、あまりにも似ている。
「了解した」とフーリガンに答えたロックが、受け取ったセンサーグラスをさっそく装着した。
「一列で行く」フーリガンは続けた。「先頭はおれだ。塩沢さんは二番手についてくれ」
「わかった」
塩沢が頷いた。
「三番手は泰輝くん、四番手は空閑蒼依さん、五番手は榎本さん、六番手はアリス、最後尾はロックだ」
隊列を指示したフーリガンは、一同に目を配ると「行くぞ」と号令をかけ、左手をライフルのハンドガードに添えた。ロックもライフルを同じように構える。
声をかけようにも機会を逃してしまった。
矢も盾もたまらないが、蒼依は歩き出すしかなかった。
腕時計を見て午前八時三十八分であるのを確認した。
道なき道を十分ほど歩いた頃に、周囲の様子を確認したフーリガンがトイレ休憩を宣言した。適当な大きさの茂みがいくつかあった。女たちを考慮した判断らしい。
男たちは交代で近くの茂みの陰に入り、蒼依とアリス、少女を背負った泰輝らは、それとは距離を置いた茂みに連れ立った。「あたしが見張る」と申し出たアリスが、少女を降ろした泰輝とともにその近くに立ってくれたが、誰から見張るのか、それは訊かずにおいた。
少女を連れて茂みの陰に入った蒼依は、かまわずに少女の前で小用を足した。それで理解したのか、少女は蒼依が立ち上がるのを見るなり、しゃがんで用を済ませた。
蒼依らと入れ替えにアリスが茂みの陰に入ったが、泰輝は立ったままだった。泰輝の排泄は特殊である。気化した不要物を獣の姿に変身した際に全身から放出する、というものだ。しかも、一週間に一度の割合である。加えてこの数日間は何も食べていないとのことであり、しばらくはトイレの必要はなさそうだ。ほかの幼生も純血とハイブリッドを問わず同様の排泄方法だが、彼らの多くが強烈な悪臭のガスを放出するのに対し、泰輝が放出するガスはバニラの香りだ。
泰輝以外の全員がトイレを済ませると、一行は元の隊列を組んで行進を再開した。
少女を背負って歩く泰輝のあとにつきながら、蒼依はフーリガンに話しかける機会を窺っていた。
「左に山がある。岩山だ」
フーリガンの言葉を耳にして、蒼依は左に顔を向けた。木々に遮られて見づらいが、目を凝らしているうちに、林の外に岩ばかりの斜面があることを知った。
「アジトから見てその陰に回り込んだところで、次の休憩だ。軽い食事も取ろう」
フーリガンはそう告げた。
「食べものなんて持っているのか?」
榎本の質問が聞こえた。
「携帯食だよ」アリスが答えた。「あとはスポーツ飲料だ。それぞれ全員のぶんはまかなえそうだけど、各自、少量だぞ」
「そういうことだ」フーリガンが言った。「お楽しみのその休憩まで、とにかく歩くことに専念してくれ。それまで、無駄な会話は禁止だ」
「あら残念……了解」
アリスはおどけたように告げた。
無駄な会話が禁止されたのでは、やはりフーリガンに声をかけられない。蒼依は消沈した。
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