第5話 探索 ③
緩い上りの斜面を五分ほど歩くと、唐突に下りとなった。その緩い下り斜面を五分ほど歩いて、地面はようやくほぼ水平となる。
前方を見れば、木々の密度が低くなっていた。間もなくこの雑木林を抜けられるだろう。
不意に「アリス」と声がした。
立ち止まったアリスが、顔を振り向かせ、広げた右手を耳の横に立てた。止まれという合図らしい。
後続の三人は立ち止まった。
背の高い下生えが右にあった。その手前で二人の男が身をかがめている。上半身が裸の男は塩沢だった。もう一人は陸自の特殊部隊隊員であるらしく、アリスと同じ出で立ちである。センサーグラスをかけているため目元は確認できない。アリスに声をかけたのは、この隊員らしい。
「あの二人の元へ行く」
アリスは告げると、下生えに向かって歩き出した。
少女を背負う泰輝がそれに続き、蒼依と榎本もそちらへと歩く。
塩沢の体臭が漂っていた。
二人の男の元で腰を下ろしたアリスに倣い、榎本が腰を下ろした。
蒼依は少女を泰輝の背中から降ろし、彼女とともに腰を下ろした。少女は目を覚ましていたが、自主的な行動は起こせないらしい。
「たいくんも座って」
言って蒼依は、自分の左肩に少女の頭をもたれさせた。
泰輝がその少女の左に腰を下ろし、これで全員が落ち着いた。
「メイスンは?」
アリスのその問いに隊員の男は「逃げられた」と答えた。
「そうか」
気落ちしたようにつぶやいたアリスだが、すぐに蒼依と榎本に視線を移す。
「こいつはロックだ」とアリスはその隊員を紹介した。
「聞いていたより、一人、多いな」
少女を見ながら言ったその男――ロックが、センサーグラスを外した。厳つい顔つきだった。三十代に見える。頭は角刈りであり、体格はやせぎすだ。右肩に通したベルトによって背中に固定しているのは、一丁のライフルだった。
「神宮司瑠奈に似た別人、ということだ」
アリスが説くと、ロックは眉を寄せた。
「神宮司瑠奈といえば、確か……
神宮司家は名が知られていて当然だが、この特殊潜行第三小隊隊員は、任務の特殊性のために把握しているのかもしれない。
「だから」じれったそうにアリスは言った。「その神宮司瑠奈のそっくりさんなんだよ。そんなことより……この子は憔悴しきっているし、そのせいなのか最初からなのか、口が利けない」
「事情はわからんが、聞いたことに関しては承知した」厳つい様相に反して口調は至って柔らかい。「ところで、センサーグラスの調子はどうだ?」
「少し前からまた反応が悪くなった。若干だけど、ノイズが入ったりな。霧の中の集落ではまったく使い物にならなかったから、それよりはマシだけどな。ロックのは?」
「おれのもだ。こっちはノイズがかなり多くて、目がちかちかしてかなわない。ただのサングラスなら邪魔なだけだし、しばらくは外しておく。幼生の警戒はおまえに任せた」
言ってロックは、センサーグラスをたたみ、それを防弾ベストの右胸ポケットに入れた。
「しょーがねーな。……ところで、フーリガンは?」
アリスは尋ねた。
フーリガン――の意味は「ならず者」だ。おそらくはアリスの仲間のコードネームだろうが、蒼依は警戒心を抱いてしまう。
「無貌教のアジトへ様子を見に行っている」
そう答えたロックが、雑木林の外のほうに視線を移した。
「またかよ。これで三度目だぞ」
「やつらの動きが、相当気になるんだろうな」
「ふーん」
得心のいかない様子のアリスも、雑木林の外のほうに顔を向けた。
木々が障害となっているため詳細は確認できないが、この先に広がっているのも草地らしい。
蒼依は塩沢に顔を向けた。
「塩沢さん、無事でよかったです」
蒼依が塩沢に贈った言葉は、本心だった。
塩沢も蒼依に顔を向ける。
「あんたらも無事で何よりだ。しかし、案内なしではあの集落に入っても外には出られないんだってな。すまなかった」
「謝ることはないです」榎本が言った。「塩沢さんは誠意を尽くしてくれたわけだし、おれたちもこうして無事だったんですから」
「でも一つだけ、塩沢さんに確認したいんです」
蒼依は続けた。
「ああ、かまわんよ」
塩沢が頷くのを見て、蒼依は口にする。
「塩沢さんがあたしたちのことを特殊部隊の人たちに教えてくれたおかげで、あたしたちは助かりました。その件については、お礼を述べたいと思います。本当にありがとうございました」
「あ、ああ……」
蒼依が口にした「確認したいこと」を塩沢は気にしているらしい。
「それで……確認したいことなんですが」蒼依は隣の少女を一瞥した。「どうしてこの子のことを特殊部隊の人たちに伝えなかったんですか? 塩沢さんと離ればなれになる直前に、あたしはこの子を、瑠奈、と呼びました。普通ならそれによって、この子は神宮司瑠奈なんだ、と思うはずです。でも塩沢さんは、この子のことを……この子があたしたちと一緒にいることを、特殊部隊の人たちには伝えませんでした」
「この子、と呼ぶということは、その少女は神宮司瑠奈さんではない、と蒼依さんは思ったわけだ」
表情の窺えない顔でそう切り替えさ、蒼依は頷く。
「そういうことです。でも、塩沢さんも知っていたんでしょう? この子が瑠奈ではない、って」
「そのとおりだ」
塩沢も頷いた。
気づけば、泰輝と少女を除く三人が、蒼依と塩沢に注目していた。もっとも、そんな状況に臆するつもりはなく、蒼依は「どうして知っているのか、そしてどうしてそれを言わなかったのか、教えてください」と塩沢に答えを求めた。
「まず」塩沢は言った。「瑠奈さんにそっくりな人間がいるかもしれない、ということは、前もって知っていた。おれが蒼依さんに言わなかったのは、それが重要な内容であると同時に、事実であるという確信がなかったからだ。しかしさっき、その少女の顔を見た瞬間に、情報は事実だった、と確信はしたよ。なぜなら、何度か瑠奈さんの写真を見たことがあるが、それよりも若く見えたからだ」
ナリカケの一味は以前にも瑠奈や蒼依を監視していた。ならば塩沢が瑠奈の顔を知っていて当然である。しかし蒼依が驚嘆せざるをえないのは、蒼依がすぐには気づけなかったことを塩沢は短時間のうちに悟ってしまった、という事実だ。
「特殊部隊の三人に伝えなかったのは」塩沢は続けた。「陸自の特殊部隊がその少女の命を狙っているかもしれない、と思ったからだ」
「なんであたしたちがその子の命を狙わなければならないんだよ?」
問いただしたアリスが、口を引きつらせた。
「それは、おれがその少女が神宮司瑠奈さんではないことをどうして知っているのか、その答えの中に入っている」
言って塩沢は、口をつぐんだ。伝えるのをためらっているというよりは、言葉を選んでいるらしい。
蒼依は黙して塩沢の言葉を待つ。
「おれたちの仲間も無貌教の動向を探っていたんだ」塩沢は言った。「そんな中で、仲間の一人が無貌教に関するある情報を入手した。突拍子もない話だった。四年前に無貌教が瑠奈さんと接触したときに、瑠奈さんの皮膚の一部……それも、本人も気づかない程度の極少量を採取していたらしく、それで彼女のクローンを作った……とね」
「クローン?」と懐疑の声を漏らしたのは、榎本だった。
蒼依は目を丸くするだけで、一言さえ出せない。
瑠奈が無貌教と接触したとすれば、山野辺士郎による高三土山頂上での儀式の際か、九尾の狐に襲われたときか、そのいずれかだろう。
「無貌教の中にクローンを研究する部門があるらしい、というのは聞いていたが……でもまたなんで神宮司瑠奈のクローンなんて?」
アリスは問いつつ、蒼依の横に座る少女に目を向けた。
その少女は、蒼依の左肩に頭をもたれさせたまま、じっとしている。
「純血の幼生を代理出産させるためだ」塩沢は言った。「泰輝くんのような純血の幼生を手に入れる、ということだよ。……クローン元が見鬼ならクローンも見鬼になる可能性はあるからな」
「それで塩沢さんは、おれたちがその少女の命を奪うかもしれない、と思ったのか?」
ロックは横目で塩沢を見ながら尋ねた。彼はアリスとは異なり、他人に敬称をつけるらしい。
「そうだ」塩沢は頷いた。「この子が幼生を代理出産するのを阻止する……もしくはすでに代理出産しているのならその幼生の育成を阻止する……そのためにこの子を殺害するかもしれない、とね。さすがにそれは忍びない」
「というより、自分たちがその子を利用したかったんじゃないか? 純血の幼生を手に入れるためにさ」
罵るかのごとく、アリスが吐いた。
「おれたちはな、純血の幼生と戦うことはありうるが、その純血の幼生を利用するわけにはいかないんだ。我が
塩沢が説くと、アリスは面倒そうに右手を軽く横に振った。
「わかったわかった」
「ですが」蒼依はようやく口を開いた。「この女の子は少なくとも中学生くらいに成長しています。だって、瑠奈の細胞が採取されたのは、四年前なんでしょう? つじつまが合いません」
「成長促進剤を使った、という情報もある」
塩沢は答えた。
「無茶ですよ」蒼依は食い下がった。「家畜の成長促進を目的とする肥育ホルモン剤、というのは聞いたことがありますが、人を急成長させる成長促進剤なんて……」
「無貌教はそれさえも開発していた、ということだろうな」
そう言って塩沢は、小さなため息を落とした。
ふと、不可解な事実に気づき、蒼依はそれを口にする。
「この子が代理出産のために作られたクローンだとすると、どうして瑠奈はさらわれてしまったのか……理由がわかりません」
「この子がアジトから逃げ出したから、急遽、本人をさらったんじゃないのか?」
アリスがそう返した。
「逃げ出したとしても、この世界から出られるわけではないですよ。無貌教がそれを知らないはずがありません」
思うままを、蒼依は言った。
「瑠奈さんは門を使える、というという情報があるが?」
塩沢に尋ねられ、蒼依は「そうです」と答えた。
「なら」塩沢は続ける。「このクローンの子も門を使えるの可能性があるな。この子がこの世界から逃げ出すかもしれない、と危惧した無貌教は、この子を捜し出すことよりも瑠奈さんをさらうほうを選んだ」
「しかし、この子は口が利けない」アリスが反論した。「門って、呼び出すのに呪文が必要なはずだ。この子が門を使うのは無理だと思うな」
それを聞いて蒼依は頷く。
「あたしもそう思います。それに、この子が林から飛び出してきたとき、メイスンは、イレギュラーだ、と言っていました。おそらくそれまでは、この子はアジトにいたんじゃないんでしょうか。アジトから逃げ出したばかり、ということです」
「そういうことか」
得心したらしく、アリスは言った。
「瑠奈さんがさらわれた理由はほかにある、というわけだな」
榎本が考え込むようにつぶやいた。
「塩沢さんがさっき言ったことにヒントがあるじゃないか」
男の声だった。ややくぐもった声である。榎本でも塩沢でもロックでもない。言うまでもなく、泰輝の声でもなかった。
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