第5話 探索 ②
アリスを先頭とする一行は雑木林に向かって進んでいた。少なくとも悪臭からは解放されている。
「仲間との連絡は取れないのか? 無線機とか、ないのか?」
歩きながら榎本が問いを漏らした。アリスへ向けたものだろう。
「無線機はあるにはあるが、この空間では使えないみたいだな。スマホもだめだった」
アリスの答えを聞いて、蒼依も言う。
「スマホはあたしも試してみましたが、同じく……」
「基地局を介する通信が使えないのはわかるが、無線機もだめだとはな」
榎本が声を落とした。
「この空間では」アリスが言った。「そういった電波自体が使えないんだろうよ。それが関連しているのかどうか……センサーグラスの感度が鈍っているようだ。さっきの戦いで気づいた」
特機隊専用センサーグラスの機能を思い出し、蒼依は問う。
「そのセンサーグラスはインカムとかいうやつとしても使えるんですか?」
「そのとおりだよ。これのテンプルはスピーカーになっていて、襟の裏につけてある小型マイク兼用の送受信機と併用すれば、インカムとして使えるのさ。ここではそのインカムも使えないがな。……それにしても、蒼依は詳しいな。このセンサーグラスも特機隊のもの同じはずだけど、蒼依は特機隊に友達でもいるのか? それとも隊員そのものだったりしてな」
特機隊との関係についての詳細を口にするのははばかれた。ほのめかす程度が無難だろう。
「多少は関係している、っていう感じです」蒼依は尋ねたいことを口にする。「ていうか、陸自の特殊部隊って、どうして特機隊とほぼ同じの装備なんですか?」
「ああ……それは聞かないほうがいいと思うぞ」
輝世会がかかわっている、と思われた。蒼依は不本意ながら承知の意を呈する。
「わかりました」
特機隊や輝世会、アリスが所属する特務連隊、それらの背後には権力という黒幕が居座っている。それはすでにわかりきっているが、蒼依が憂慮しているのは、自分と瑠奈がそれらの中に将来を託している、という事実だ。もっとも、この世界から脱出できなければ、その憂慮さえ現実のものにはなりえないのだが。
雑木林の手前で、アリスが立ち止まった。続く者たちも足を止める。
腕時計を見ると午前八時十五分だった。
「感度が鈍っているから当てになるかどうかわからないが、センサーに反応はない。蒼依は感じるか?」
振り向かずにアリスは尋ねた。
「あたしは何も感じません」そして蒼依は、少女を背負う泰輝に並んだ。「たいくんは、どう? 何か感じる?」
泰輝が蒼依に顔を向ける。
「なーんにも感じない」
すまし顔で彼は答えた。ふざけているようだが、これでも真面目に応答しているのだ。
蒼依は泰輝の背中の少女を覗いた。寝ているのか、目を閉じているが、涙は流れたままだ。瑠奈に似ているからではなく、純粋に不憫に思えた。何ゆえに瑠奈に似ているのか、どこでどんな暮らしをしていたのか、それらがどうしても気になってしまうが、今はとにかく、前に進むことを優先しなければならない。
「なら、行こう」
そう告げて、アリスが歩き出した。泰輝が歩き出し、蒼依が彼のあとに続くと、榎本が最後尾についた。
雑木林の陰りに入ると、下生えがまばらに広がっていた。草地ほどではないものの、歩行にはそれなりに支障があった。
蒼依は下生えや木々に目を配った。草地の草もそうだったが、雑木林の中の植物も、どれもが現実世界のものと何ら変わらないように見える。木々の香りもあった。
一方で、一行の足音以外の音がまったく聞こえなかった。現実世界でのFA0833内やその周辺も静けさに包まれていたが、こちらはそれよりも無音の質が濃いように思えた。カイトの話によればこの世界に自然の動物はいないらしいが、ならば虫の鳴き声が聞こえないのは当然である。そよ風さえないのも、この世界の
道らしき道はないが、アリスは迷う様子もなく淡々と歩いていた。
上り傾斜になったとき、蒼依は不安を覚えた。それを払拭すべく、尋ねてみる。
「アリス。この女の子が飛び出してきた位置よりも百メートル以上は離れたところから林に入ったけど、方角はこのままでいいんですか?」
「それは心配しなくていい」アリスは歩きながら答えた。「この林を抜けると真っ平らな土地に出るんだが、その先に、何棟かの建物があるんだ。そこが無貌教のアジトだ」
「敵陣に向かっているのかよ?」
蒼依の後ろを歩く榎本が、信じられないといった様子で声を上げた。
「無貌教のやつらはそこで現実世界との往来をしているんだ。次元を越える出入り口があるらしいな」
アリスの言葉を聞いて、蒼依は思わず口を開く。
「それって、門じゃないんですか?」
「蒼依の言う、門、というのを知ってはいるけど、無貌教のアジトにあるのがそれかどうかは、まだわからない」
アリスは答えた。
「門?」
問い返したのは榎本だった。
蒼依は答える。
「空間に浮かぶ球体で、同時に二カ所に出現させるんです。一方から入ってもう一方から出る……移動距離を短縮できるんですよ。あたしの知る限りでは、入り口の門も出口の門も現実世界のみに設定されていましたが、おそらく、現実世界とこっちの世界との間も、門を使えば行き来できるんだと思います。どちらの門も、たいくんなら呼び出すことができるんですが……」
「だったら」榎本は蒼依の言葉を待たなかった。「今すぐにでもそれを使ったほうがいいじゃないか?」
「だめなんです」
振り向かずに、蒼依は否定した。
「なぜだ? 泰輝くんが本調子ではないからか?」
榎本は食い下がった。
「たいくんの問題もありますが、それだけじゃないんです……えっと……」
蒼依はその理屈を頭の中で整理した。
「門と門との間には異次元空間がある」蒼依に代わってアリスが答えた。「そこは宇宙空間と似ていて、真空で重力はなく、絶対零度の世界なんだ。普通の人間なら、入り口の門を通過した瞬間に死ぬ。自在に出入りできるのは、魔道士や幼生、一部の限られた人間だけだ」
「知っていたんですか?」
蒼依が問うと、アリスは歩きながら頷いた。
「無貌教が使う道具、として把握している」
「そんなんじゃ、道具として使えないだろう」
榎本はそう吐き捨てた。
「あたしたちみたいな常人は」蒼依は言う。「特種な薬品を服用すれば、門を通過しても死にません。ですが、意識を失った状態になるので、魔道士や幼生に運んでもらうことになります」
「やっぱり、使えないということじゃないか」
榎本の落胆は蒼依にも理解できた。無貌教のアジトへ着いたところで、門は使えないのである。しかも、問題はそれだけではない。蒼依はアリスに問う。
「門は呪文によって出現します。その次元を越える出入り口って、無貌教のアジトに常にあるわけではないんでしょう?」
「いや」アリスは言った。「一棟の建物の中に固定されているらしい。もしそれが門だとすれば、現実世界のどこかに対となる門が固定されているんだ」
門であるとすれば、どういった手法による固定なのか――蒼依は訝るが、それよりももう一つの問題が重要だった。
「門だとして、門の先の異次元空間を移動する手段はあるんですか?」
「門を呼び出す呪文を体得していないがその異次元空間を移動することはできる、という人物がいる」
「そんな人がどこにいるっていうんです? 無貌教ですか?」
蒼依はやけ気味だった。自分たちが無駄な行動を強いられているような気がしたのである。
「特殊潜行第三小隊の副隊長だよ」
「なんで――」
次の言葉を見失いつつも、蒼依はかろうじて立ち止まらなかった。
「できるんだからしょうがない……というか、経験があるらしい。今のあたしたち……これだけの人数ともなると、副隊長には何往復かしてもらうようになるが。もちろん、次元の出入り口が門だったら、という前提での話だ」
アリスは背中で告げた。
「あと、もう一つ」
門を通過する条件の二つはそろっていることがわかったが、三つ目の条件が整っていることを、蒼依は確認しなければならなかった。
「秘薬はあるんですか?」
「副隊長は少しだけ持っているが、この人数はまかなえない。無貌教からいただくことになるだろうな。門を使う連中だったら、それも持っているはずだ」
「いただく……つまり、奪う、ということですよね? 暴力沙汰にするんですか? アジトということは、幼生だけじゃなく、無貌教の信者だっているわけでしょう」
「安心しろ。戦うのはあたしら特殊部隊の三人だ」
「そういう問題じゃないです」
蒼依が言うと、アリスが立ち止まり、振り向いた。
後続の三人も足を止める。
アリスが蒼依に顔を向けた。センサーグラスの裏にある表情は、窺えない。
「よく聞け、蒼依。敵は敵なんだ。仮にあたしらの代わりに特機隊がいたとしても、彼らだって同じ行動を取るはずだ」
それが特機隊という組織なのだ。自分もその一員となれば任務遂行のために無謀教信者と戦わなくてはならない――蒼依はそれを痛感する。
「それに」アリスは続けた。「副隊長の判断によるが、神宮司瑠奈を救出するとなれば、その際にも戦闘は避けられないだろうよ」
ぐうの音も出なかった。蒼依は口を結ぶ。
「ぶっ飛んだ話が続くが」榎本だった。「この移動には意味がある、というわけだな?」
「そうだ。だから、幼生と戦ってでも前進しているんだよ」
そう告げたアリスが、背中を向けて歩き出した。
少女を背負う泰輝も歩き出す。
榎本が蒼依の右に立ち、「アリスの言っていることは間違っていない」と訴えた。
「ですね」
本心を抑えて答えた。そうでもしなければ先へは進めない。
蒼依は榎本の前に立って歩き出した。
「泰輝が本調子だったら、門は使えるわけか……」
歩きながら、アリスが背中でつぶやいた。
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