第4話 霧を越えて ⑤
座り込む四人が沈黙して、五分ほどが過ぎた。
「あ……」と泰輝が、首なしの残骸の先を指さした。
霧が広がっていた。その中に平屋の家屋がいくつも並んでいる。
「来たな」
榎本は告げると、おもむろに立ち上がった。
「消えないうちに、行きましょう」
そう返しつつ、蒼依は少女の右手を取って彼女とともに立ち上がった。
最後に立ち上がった泰輝が、「あそこに行くの?」と集落を見ながら尋ねた。
「そうだよ。あそこを通って帰るんだよ」
瑠奈を見捨てるのではない。瑠奈を救うために、急いで神宮司邸に戻り、特機隊に事実を伝えるのだ。
――たいくんは理解しているのかな?
行動の予定に再三の変更があったのだ。今の泰輝はそれを飲み込めていない可能性がある。
榎本が先陣を切った。泰輝がそれに続き、手を繫いだままの蒼依と少女が最後尾についた。
首なしの残骸を右に一瞥し、蒼依は言う。
「ここから進めば、あの広い通りに入れると思います」
「あの通りをまっすぐに進むだけだったな」榎本は答えた。「どこまでもまっすぐ歩くんだ。首なしゾンビが現れても、躱しながら行こう」
榎本の言葉に頷いた蒼依は、少女を泰輝に背負わせるのを忘れていた、と気づき、泰輝を呼び止めようとした。
そのとき――。
「行ってはだめだ」
女の声がした。
全員が足を止めた。少女は蒼依に合わせて立ち止まっただけだろう。泰輝に至っては榎本に合わせたらしい。
声がしたのは背後だった。蒼依よりも先に榎本と泰輝が振り向いた。遅れて、少女の右手を握ったままの蒼依も振り向く。
兵士のような出で立ちの若い女が一人、蒼依から五メートルほどの距離を置いて立っていた。ゴーグルタイプのサングラスをかけており、緑色を基調とした迷彩柄の上下は、肘や膝にプロテクターが装着されている。さらには、防弾ベスト、指ぬきグローブ、ブーツ、左胸のナイフシース、拳銃を収めた右腰のホルスター、左腰には大きめのウエストポーチ、という装備だ。左手に持つ長さが一メートルほどのものは、どうやら、鞘に収められた状態の日本刀らしい。太刀を手にしていることを省けば、蒼依が高三土山から救出されたときに恵美が身に着けていた装備――に似ている。
「特機隊の隊員ですか?」
蒼依がそう尋ねると、女は「やっぱり特機隊を知っているんだ」と独りごちた。蒼依は思わず疑心の目を向けてしまう。
「なるほど」女は得心したように頷いた。「特機隊強襲班の装備に見えたんだな」
女は右手でサングラスを外した。切れ長の目をしており、その白目がちの目で、蒼依を見つめる。
「違うんですか?」
再度、蒼依は尋ねた。
「違うよ。あたしは特機隊隊員じゃない」
女は答えた。しかし、特機隊強襲班を知っているのだ。ならばこの女は、無貌教信者という可能性がある。
蒼依は少女の手を引いてゆっくりとあとずさった。
「安心しろ。敵ではない。まあ、味方ということにしておいてくれ」
女はほほえみもせず告げた。
「だったら、誰なんだ?」
蒼依の右に並んだ榎本が、声を飛ばした。
「えーと」面倒そうに女は片眉を上げた。「陸自の特殊部隊隊員だ」
「陸自の?」と榎本が懐疑の声を漏らした。
女の表情が険しくなる。
「あたしのことなんてどうでもいいんだよ。とにかくあの集落に入るのはやめな。そして今すぐ、あたしについてくるんだ」
「どこへ行こうっていうんだ?」
榎本はたたみかけた。
「この世界の外に出たいんだろう?」
問い返しつつ、女は榎本を睨んだ。
榎本はさらに一歩、前に出る。
「そのためにあの集落を通り抜けようとしているんだ」
「通り抜けるだ?」女は嘲笑を呈した。「ばかを言うな。心得のないものは通り抜けられない。永遠に集落の中をさまようことになるぞ」
「でも、集落の中の通りをまっすぐに突き抜けてきたんですよ」
蒼依は榎本に加勢した。
すかさず、女の視線が蒼依に移る。
「それって、道案内がついていたんだろう?」
「そうですけど」
「あたしらも、それでここに導かれたんだ。道案内がいなければ、あの通りをどれだけ進んでも、集落の外には出られない」
「どうしてそれがわかるんです?」
「あたしらはあの集落の中を何十時間もさまよったんだ。首なしたちをやり過ごしながら、大通りも脇道も、縦横に歩きとおした。それでも、集落からは抜けられなかった。大通りでも脇道でも、どこまでも歩いていたら、元の位置に戻ってしまったりな。そうしたら、あのメイスンという男が道案内をよこした。その道案内についていったら、こっち側に出た、ということさ」
女の言葉に蒼依は愕然とした。横を見れば、榎本も失望を隠せないでいる。
「しかし、出入り口はあの集落だけじゃない」
女は言った。
「出入り口がほかにもあるんですか?」
蒼依が尋ねると、女は頷いた。
「あたしの仲間がメイスンと戦いながら、そこへ向かっている。あたしは指命を受けて、あんたらを呼びに来たんだ。間に合ってよかったよ」
よかった――と口にする割には、うれしそうな様子でもなかった。
「怒っているんですか?」
余計な一言にも思えたが、蒼依は確認したかった。
「当たり前だ」女はサングラスをかけた。「急いでいるんだから、ごたごた抜かさないでついてくればいいんだよ」
恫喝された気分だった。それでも希望が湧くのを実感し、蒼依は榎本に顔を向けた。
「この人に従おう」
榎本は言った。
「はい」と蒼依が答えると、女は「なら、行くぞ」と告げて背中を向けた。彼女の結った黒髪が軽く揺れる。
「あの、一つだけ」
蒼依は女を呼び止めた。
「なんだよ?」
歩き出そうとした女が、横顔を向けた。
「名前は?」
「アリス……と呼んでくれ。それがあたしのコードネームだ。敬称はつけるな。あたしもあんたらを呼び捨てで呼ばせてもらう。自己紹介はいらない。その着物の女の子以外は、三人とも名前を知っている。以上だ。行くぞ」
コードネームを使っているのが気になるが、なぜ自分たちの名前を知っているのか、蒼依はそれを憂慮した。
その女――アリスが歩き出した。
戸惑っている暇はない。蒼依は振り向いて泰輝を呼ぶと、彼に少女を背負わせた。
「たいくん、行こう」
蒼依に声をかけられて、少女を背負う泰輝はアリスのあとに続いた。
蒼依も歩き出す。
「信用しても、いいんですよね?」
左に並んだ榎本に、蒼依は小声で問うた。
「集落のこともしかり……信じておいたほうがよさそうだな」
自信はなさそうだった。
「さっきの化け物を撃ち殺したのはあたしの仲間だ。信じてもらわないと、この先、やりずらくなる」
アリスが背中で言った。聴覚が鋭敏らしい。
蒼依と榎本は口をつぐんだ。
歩きながら、アリスが横顔を向けた。
「なんで少年……泰輝が少女を背負っているんだ?」
「この女の子は足をけがしているんです」
蒼依は答えた。
「ふーん」アリスは鼻を鳴らした。「そうだとしたって、大人の男がいるのに、少年が背負わなければならないのか?」
その言葉を受けて榎本が小さなため息をついた。
「この男の子が、一番力持ちなんです」
蒼依は言い繕った。事実だが、苦し紛れにも聞こえそうだ。
「ふーん」とうなって、アリスは進行方向に顔を戻した。
首なしの残骸を尻目に、五人は草地を進んだ。
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