第3話 FA0833 ⑤

「この大宇宙の至る箇所……どこかの惑星やこの地球のいずこかに、ばんしんと呼称される邪神が複数存在します。長い眠りについているものや、活動しているものなど、たくさんいて、あたしには把握しきれませんが」

 歩きながら、蒼依は言った。

 先を行く榎本は黙している。

「それら蕃神の子たちが幼生であり」蒼依は続けた。「人為的に人との混血として産み落とされたハイブリッド幼生が魔道士たちのしもべとなっています。ハイブリッド幼生は純血の幼生には及ばないものの、曲がりなりにも神の子ですから、昨日の事件のようにはとてつもない力を発揮します。人間の体を引き裂いて食べたり、並の銃弾を打ち込まれた程度では傷つかなかったり、自分の体を透明にしたり、翼がなくても空を飛べたり……」

「まあ、泰輝くんも飛べるしな」

 榎本は得心したように首肯するが、同時に、驚愕の様子を背中で表していた。

「あの……たいくんは人を食べたりしませんよ」

 念のために付け加えた。

「それは、わかるさ」

 その苦笑を耳にして、付け加えて正解だった、と蒼依は安堵した。

「続けます」蒼依は言った。「蕃神と交わってハイブリッド幼生を産むのは、巫女と呼ばれる女性ですが、その巫女が見鬼なんです。見る鬼、と書いて、見鬼です」

 加えて、ハイブリッド幼生が生み出される儀式の内容や、古代に編み出されたその儀式を無貌教だけでなく特機隊や真紀も把握していること、なども伝えた。

「そんな儀式があるのか……」

 榎本はつぶやいた。

「それだけじゃなく、おぞましいその儀式が、やがては純血の幼生を手に入れる儀式へと発展したんです。ハイブリッド幼生を凌駕する純血の幼生を配下にするために、蕃神同士の交配によってできた種を巫女に代理出産させる、という術です」

「代理出産、というのも意表を突くやり方だが、見鬼とは、ハイブリッド幼生や純血の幼生を産むためだけ、の存在なのか?」

 振り向かずに榎本は尋ねた。

「いいえ」蒼依は答える。「見鬼にはそれ以外の能力があります。それに男性も女性も存在します。あたしの兄……空閑隼人も見鬼でした」

「君の兄さんも……」

 背中で問う榎本には、もはや蒼依を疑う様子はない。だが、事態を受け止めたからこそなのだろう――なおも驚愕を呈していた。

「兄は見鬼の資質を有していたものの、覚醒はせずに……見鬼なんていうものを知らないまま、普通の人として暮らしてきたんです。ですが山野辺士郎の声が届いて、見鬼として目覚めてしまった」

「じゃあ、君がさっき言っていたあれは……山野辺士郎からの贈り物っていうのは?」

「まだ自覚できていませんが、見鬼として覚醒したのかもしれません」

「君も見鬼?」

 榎本は足を止め、振り向いた。やはり困惑の表情だった。

 蒼依も足を止め、泰輝もそんな彼女に倣う。

「父や一部の人たちは、兄やあたしに見鬼の資質があることを、すでに知っていました。父たちがどうやって知ったかは省きますが、とにかく、あたしも兄と同様に、見鬼という存在さえ知らず、覚醒もしていませんでした。……そういうことなんです」

 蒼依は言うと、砂利道の先に目をやった。先を急ごうとの意思表示だ。

「ああ、行くよ」

 おずおずと口にした榎本は、背中を向けて歩き出した。

 泰輝とともに歩き出した蒼依は、榎本の背中に言う。

「見鬼は幼生や幼生の親である蕃神……それらの気配を察知したり、不可視状態のそれらの姿を認識したり、幼生の雌雄を判別したりできるんです。あたしの兄のようにそれらすべての能力を持つ見鬼がいれば、それらの一部だけを使える見鬼がいたり、覚醒していない見鬼もいます」

「山野辺直子の特異な資質、というのは見鬼のことだったのか」

 先を歩く榎本は、背中でそう告げた。

 蒼依は黙して頷く。

「もしかして」榎本は歩きながら口にした。「たくさんの幼生たちを斃した実績があるという泰輝くんは、その純血の幼生なんじゃないのか?」

 彼は振り向かないが、その声には、真相を突いたような意気込みがあった。ジャーナリストならではの察しのよさなのか――むしろ、察して当然なのかもしれない。

「そのとおりです。たいくんは純血の幼生です」

「なら、泰輝くんからも幼生の気配が感じられるのでは?」

「確かに、何かを感じます。今までは感じられなかった、違和感です」

 ここまでは伝えられたが、この先を口にできるか否かは、自信がない。

「そうか」榎本がわずかに顔を向けた。「蕃神同士の交配によってできた種を巫女に代理出産させる、と君は説いていたが、ならば、泰輝くんを産んだのは?」

 榎本の問いに蒼依は口ごもった。

 そのとき――。

「ぼくのお母さんは神宮司瑠奈だよ」

 答えたのは泰輝だった。

 今度ばかりは蒼依が立ち止まった。

 泰輝と榎本も足を止める。

 振り向いた榎本が、蒼依を見た。

「何を聞いても驚かない、と決めたばかりだが、じゃあ、瑠奈さんは小学生の頃に泰輝くんを産んだ……というか代理出産した、っていうことなのか?」

「えーと」

 蒼依はうつむいた。やはり言葉にならない。

「お母さんはじぇーけーのときにぼくを産んだんだ」

 その場の空気などお構いなしに、泰輝は言った。

「じぇーけー……女子高生のときにか?」

 榎本は泰輝に問うた。

「そうだよ」

 当然とばかりに、泰輝は頷いた。

「しかしどう見ても、泰輝くんは中学生くらいだが」

「たいくんは二回、急成長しているんです」

 代わって蒼依が説いた。

「急成長?」榎本は蒼依に視線を移した。「幼生だから、そういうのができるのか?」

「そうです。しかも人の姿は、仮の姿です。本当の姿は……」

 さすがにそれを口にするのははばかれたが、泰輝が「怪獣だよ」と繫いでしまった。

「ああ……そうなんだ」

 困惑というより、悲しんでいるようにも窺えた。そんな榎本に蒼依は問う。

「あたしたちを連れてきたこと、後悔していませんか?」

「それはないよ。でも、頭の中が混乱している。……ところで、蒼依さんは見鬼として覚醒した、と解釈していいのかな?」

「わかりません。たいくんの違和感以外は、まだ何も感じていないんです。でも、ほかに気配がないか、歩きながら集中してみます」

「そうか、頼むよ」

 簡素な反応を示した榎本が、背中を向けた。そして、うつむき加減に歩き出す。

 蒼依が目配せすると、泰輝も歩き出した。

 伝えるべきことは、概ねだが伝えたはずだ。しばらくは話すこともないだろう。

 泰輝の左に並んだ蒼依は、泰輝の違和感以外になんらかの気配はないか――と神経を集中させた。

 しかし、常軌を逸するような気配は微塵も感じられなかった。


 大学生時代に同期の女と関係があったきりで、その後の十年間はひたすらこの稼業に精力と時間をつぎ込んだ。しかし、左右の足首を持っただけでもさすがに意識してしまうものだ。この泰輝という少年もどきがいなければ、何をしていたかわからない。

 榎本はかぶりを振った。妄想を膨らませている場合ではない。自分は今、化け物を戦力とする勢力の縄張りに足を踏み入れているのだ。

 沈黙が続いているが、二人がすぐ後ろについているのは、砂利を踏み締める音でわかった。泰輝は別としても、蒼依は緊張しているに違いない。見鬼の能力――とやらを発揮しようとしているのだから、邪魔はしないほうがよいだろう。

 進行を再開して五分ほど経つと、またしても杉林が途切れた。背の低い藪が広がる左右に傾斜はなく、それぞれの奥に雑木林が見える。はるか前方に見えるのも雑木林だ。

 榎本は歩きながら振り向いた。周囲に目を配りしつつ歩く蒼依は、精神を集中しているのだろう。泰輝は相変わらずうつむいて歩いている。

 背後の杉林とそれ以外の三方を囲む雑木林は、どれもが山の麓だった。こんな景色の中を歩くのは、何年ぶりだろうか。

 正面に藪があり、砂利道は右にカーブしていた。砂利が敷かれてあるのはそのカーブの途中までであり、そこから先は完全な未舗装だった。

 道なりに曲がって進路は北に変わったようだが、目に入る風景に大きな変化はない。とはいえ、右の奥に見える山はほかよりも高いような気がした。

「あれが黒田山かな?」

 榎本が独りごちると、蒼依が「え?」と反応した。

 邪魔をしたかもしれない。榎本は一言、詫びを入れる。

「なんでもない。すまなかった」

「いえ、大丈夫です」

 蒼依はそう答えるが、おそらく集中を乱してしまっただろう。

 口を閉ざした榎本は、右の山並みを前方――北へと目で追った。右の奥が黒田山だとすれば、その北に高三土山があるはずだ。しかし手前の山並みが遮っているため、それを確認することはかなわなかった。

 榎本が正面に目を向けたそのとき――。

「なんかいるよ」

 泰輝の声だ。

 足を止めて、榎本は振り向いた。

 立ち止まっている泰輝が、進行方向に対して左の藪に顔を向けていた。

 泰輝の隣に立つ蒼依に、榎本は尋ねてみる。

「幼生である泰輝くんも、幼生の気配を感じることができるのか?」

「そうです。何か感じたんでしょう。あたしには何も感じられなかったけど」

 答えた蒼依は、どこか無念そうだった。自分の能力が活かせなかったからか、覚醒していない可能性が出たからか、いずれにしても、なんと慰めればよいのか、榎本にはわからなかった。

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