第3話 FA0833 ①

「どういうことなんです?」

 管制室に飛び込んできた真紀が、興奮気味に声を上げた。ブラウスにスカートというおなじみのスタイルだ。左手に持つスマートフォンは、彼女を呼び出すために小野田が電話した発信先となった端末だろう。

「落ち着いてください。こちらへ」

 佐川の隣に座っていた小野田は立ち上がり、その椅子に真紀を促した。

「蒼依ちゃんと泰輝がいなくなったなんて」

 依然として動揺を呈している真紀だが、小野田に進められるまま、椅子に腰を下ろした。

 佐川の後ろには三上と池田が立っていた。佐川の向かいの席には恵美が腰を下ろしている。

 小野田は管制室のドアを閉じ、真紀に正面を向けた。

「泰輝くんと蒼依ちゃんが塀を跳び越えて出ていきました。厳密に言えば、泰輝くんが蒼依ちゃんを抱き上げた状態で塀を跳び越えてしまったんです」

「まさか、蒼依ちゃんが泰輝をそそのかしたとか……」

 そんな真紀に、佐川が顔を向ける。

「会長、録画した動画を再生します」

「お願いします」

 真紀はモニターに顔を向けた。

「見ていただければ、わかると思います」

 そう告げた小野田だが、何度も見たその動画には目を向けない。

 再生された動画を確認した真紀が、椅子にかけたまま小野田を見る。

「これを見る限りでは、蒼依ちゃんは監視カメラに撮られていることを承知のうえで、泰輝とともに出ていったようですね」

「はい」

「では、どこに向かったのか……」真紀は続けた。「まさか、榎本さんという人が関係しているとか?」

「自分もそう考えています」

 小野田が答えると、真紀はすぐに眉を寄せた。

「なら、瑠奈を救い出そうとしているとしか考えられない」言ってうなだれかかった真紀が、ふと、顔を上げた。「蒼依ちゃんのスマホのGPSは?」

「蒼依ちゃんのスマホのGPSは受信できない状態です」答えたのは佐川だった。「試しに電話をかけてみましたが、通じませんでした。電源が切られているようです」

「なら……榎本さんに連絡を取ってみては?」

 真紀は続けて訴えるが、小野田は首を横に振った。

「彼のスマホも、GPSから通話まで、反応なしです」

「そういえば」真紀は思い出したように言った。「榎本さんの自宅の捜索をするということでしたが」

「第一小隊が都内の彼のマンションを捜索したのですが、もぬけの殻だったということです。必要なものは、仲間に預けた可能性がありますね。ただ、仲間とやらがどこの誰なのか、またその規模がどの程度なのか、まったくつかめていない状況です」

「そうですか。……わたしとしては乗り気ではないのですが、特機隊は彼の実家の捜索も検討していたとか。そちらは?」

「千葉の実家には榎本の両親と榎本の兄夫婦……それから兄夫婦の二人の息子が住んでいますが、榎本はこの十年、実家には顔を見せておらず、連絡もしていないようです。今回も実家の誰とも接触していないということです。結果、榎本に関しては手がかりはありません」

「困ったわね」

 そうこぼして、真紀はうなだれた。

「もっとも、榎本が一緒だとすれば、蒼依ちゃんと泰輝くんの行き先は――」

「FA0833」真紀は小野田の言葉にかぶせると、顔を上げた。「もしそこへ入ってしまったら、特機隊は手を出せません」

 真紀は困惑の表情を小野田に向けていた。

「瑠奈ちゃんも蒼依ちゃんも、われわれの手では救い出せない、ということになります。そこで会長にお願いなのですが……」

 言いさして、小野田は真紀から視線を落とす。

 無貌教との戦いにおいて、空閑行人とその長男である隼人らが亡き人となった。彼らを守れなかったことを、真紀は今でも悔やんでいる。蒼依を孤独な身にさせてしまった、と真紀は負い目を抱いているのだ。それを承知しているからこそ、小野田は真紀の力を借りる所存なのだ。

「わかりました。わたしが陸上幕僚長と話します。とりあえず、警察庁長官にお膳立てを頼んでみましょう。前例はないですが、やるしかないですね」

 当然だが、大臣や政務官に気づかれてはならない。特機隊も陸上自衛隊の特殊部隊も、それぞれを管轄する行政機関には認知されているが、その任務についてはねつ造された情報のみが上げられ、本来の運用形態は伏せられている。

「よろしくお願いします」

 小野田は背筋を伸ばし、頭を下げた。それは自分を恥じ入る表しでもあった。真紀は自分の家族――瑠奈や泰輝までが危機にさらされており、小野田はそれを担保として利用したにすぎないのだ。加えて、真紀に頼るのも陸上自衛隊に頼るのも、自分たちの無能さを証明するようでいたたまれない。

 三上も佐川も池田も、うつむいて黙していた。小野田の顔を見ている恵美だけが、いつもの表情だ。この四人はすでに小野田の意向を知らされていた。小野田がそれを打ち明けたとき、四人は反対しなかった。

「ではさっそく、警察庁長官に連絡します」

 真紀は言うと、その場でスマートフォンの画面を操作した。


 国道461号を西へと向かうコンパクトカーは、かみぬきダムのダム湖沿いを過ぎ、登坂車線のある上り坂に至った。急勾配の長い直線であり、コンパクトカーはその登坂車線を制限速度で走った。発進してからこれまでの間に何台かの車とすれ違ったが、先行車や後続車など、同方向へ向かう車は、今のところ見当たらない。

「ところで……その子、泰輝くん、だっけ?」

 榎本の不意打ちのような問いはこの自分に向けてのものだ、と受け取った蒼依は、すぐに「はい」と答えた。

「気になることがあってね」

 進行方向に顔を向けたまま、榎本はそう口にした。

「質問をどうぞ」

 蒼依は促した。

「失礼な質問だが、昨日の化け物らと泰輝くんとは、何かかかわりがあるのかい?」

 それは気になって当然だろう。うつむいたままの泰輝を一瞥して、蒼依は運転席に目を向ける。

「記事にするんですか?」

 泰輝の力を認めてもらうためには、それを話しておいたほうがよいかもしれない。しかし、その事実を巷に広めるわけにはいかないのだ。

「場合によってはね」

 正直な答えなのだろう。

「だったら、言えません」

「だろうな。でも今は、記事にするために訊きたかったわけじゃない。危険な状態で行動をともにするからだよ」

「記事にしないと約束してくれるのなら、言いますが」

「約束したところで、おれを信じてくれるのか?」

「さあ」蒼依は勝負に出る。「ただ、禁断の区域から無事に帰還できたとして、榎本さんがそれを記事にしたり吹聴したりすれば、榎本さんも、もし連れて帰ることができれば榎本さんのお友達も、特機隊によって処分されます。そしてその記事も、この世から消されます」

「ネットの記事ではなく紙媒体で出回ったら、もう取り返しがつかないぞ」

「本にするのであれば、出版する過程のどこかで、止められてしまいます」

「俺たち以上に根回しが効くのか。恐ろしい組織だな」

 あざけられているとも受け取れるが、榎本の言葉は本心ではありそうだ。もっとも、この男ならリスクを冒してでも記事にしそうである。勝負の負けを自認した蒼依は、少ない情報だけを伝えることにした。

「空を飛んだり耳が伸びたり、この子は普通の人間ではありません。でも、あの化け物たちとは違います。そしてあの化け物たちよりも強いんです」

「無難な言いようだ。うまいね」

 言って榎本は失笑した。

 登坂車線が途切れる直前で、コンパクトカーは本社線に戻った。そして道の勾配が小さくなってすぐに、トンネルに突入する。

「今の答えでは満足できませんでしたか?」

 オレンジ色のトンネル照明に目を細めつつ、蒼依は尋ねた。

「かまわないさ。それも事実ではあるんだろうから」

 トンネルを抜けると、すぐに次のトンネルだった。二度目の暗がり、そして同じ照明に、蒼依は目を細めるどころか眉を寄せた。

「これを記事にしたら、受けますよね」

 当然、揶揄である。しかし、現実的な見方でもあるだろう。

「そりゃそうだ。あの化け物たちについても、記事にしたところで、どうにもなりはしないさ。ゴシップで終わりそうだよ」

 ならば事実を伝えても問題はないかもしれない。これまでもそうだった。真実の断片が拡散しかかっても、広域に広まる前に嘲笑され、その間に特機隊によって処理されてしまうか、もしくは、自然に立ち消えてしまうのだ。ゆえに、ここまで踏み込んだジャーナリスト――榎本と失踪した立花を、蒼依は侮ることができないのである。

「みんなが……このあたしたち三人と瑠奈と立花さんが生還できたら、話してあげてもいいですよ」

 二つ目のトンネルを抜け、山林に覆われた急峻な山が左右に並ぶ、という景色が視界に入った。

「そのときは」榎本は言った。「気が向いたら取材させてもらうよ」

「だいぶ消極的になりましたね」

「よくよく考えてみれば、ハイリスク・ローリターンだよ。君も慎重派のようだが、おれだって自分の存在そのものを消されたくはない」

 どうだろうか――と蒼依は思った。

 そんな人間ならば、自ら進んでFA0833に行きはしない。

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