第2話 取引 ⑤
Tシャツにデニムショートパンツというくつろぎやすい装いに着替えた蒼依は、自室のベッドで横になった。ドアがノックされたのは、それから二時間ほど経過したときだった。
「はい」と答えて、蒼依はベッドの横に立った。
開いたドアの外に立っていたのは、恵美だった。
「休んでいるところで悪いんだけど、管制室へ行って」
恵美はいつものように、ドアを開けたまま廊下側で言った。
「わかりました」そして、蒼依は告げる。「たいくんは瑠奈の居場所を感知できませんでした」
「小野田隊長から聞いたわ」
事情聴取の際に話があったのだろう。しかし事情聴取が続いたのでは、けがの手当てはどうなったのか、それが気になってしまう。
「手当ては受けたんですか?」
まだならば自分が施すつもりだった。
「聴取も手当ても同時に受けたわ」
特機隊隊員が負傷した場合、軽傷ならば神宮司家の家政婦が手当てを施す。ゆえに恵美の答えに違和感を覚えつつも、蒼依は「なら……あたしは管制室へ行きますね」と返した。
恵美とともに一階に下りた蒼依は、恵美に見送られて玄関を出た。
横になっていたものの眠れたわけではなく、焦燥にさいなまれるだけの時間だった。それから解放されたのもうれしいが、新しい情報があればそれを聞ける可能性がある、と期待して、蒼依は第六小隊分註所へと向かった。
第二別宅でもある分註所は、土足のまま入れる本宅とは異なり、第一別宅と同様に玄関で靴を脱がなくてはならない。分註所の玄関をくぐった蒼依は、靴を脱いでスリッパに履き替えた。
玄関から一直線に奥へと伸びる廊下の左右のそれぞれに八つのドアがあり、廊下の突き当たりの右には、二階へと続く階段があった。その階段の向かい――廊下の突き当たりの左は、一見すると別の通路が延びているようだが、そちらへ折れるとすぐに壁に突き当たってしまう。その突き当たりに向かって左右に一つずつドアがあり、右が地下へと至るエレベーター、左のドアを開けると同じく地下へと至る階段となっている。地下との往来ができるこの設備の作りは、本宅や第一別宅もほぼ同じだ。
二階へと続く階段や地下へのアプローチ――それらの手前で蒼依は足を止めた。そして右側のドアをノックする。廊下の右側の一番奥であるそこが、特機隊第六小隊管制室だ。
「蒼依です」
「どうぞ」
返ってきたのは小野田の声だ。
蒼依はドアを開けた。
九帖の広さの管制室には机と椅子とが六組あり、それぞれの机にはノートパソコンや大型モニターが置いてあった。中央付近の席に三上が着き、キーボードを操作しつつモニターの画面を切り替えている。その奥、開かれたノートパソコンだけが載る机を前にして、小野田が椅子に腰を下ろしていた。
ドアを閉じて、蒼依は小野田の近くへと進んだ。
「そこへ」と片手で促されて、蒼依は小野田の向かいの席に着いた。その席にもノートパソコンがあるが、ふたは閉じてある。
「あらかじめ断っておく」小野田はそう切り出した。「会長との約束があるから、これまで同様、可能な限り、君の質問には答える。だが今回は、君の知りたいと思っているだろう案件のうち、答えられないことがある」
「FA0833のことですか?」
蒼依は小野田に尋ねつつ、もう一人の存在が気になり、横目で管制室の中央を見た。
三上がモニターに視線を戻すところだった。こちらの様子を窺っていたらしい。
「聴取を始めるぞ」
質問には答えず、小野田はノートパソコンのキーボードを操作した。
忸怩たる思いをこらえ、蒼依は唇を嚙み締めた。
蒼依に投げかけられた質問は、案の定、恵美が意識を失っている間のことがほとんどだった。とりわけ、製材所跡で榎本が口にしたことについては、すでに恵美が語ったらしく、何も聞かれなかった。とはいえ、幼生に襲われたときの状況についての質問はあり、瑠奈がさらわれた様子はもとより、矢作が殺害された一部始終を口にしなくてはならなかった。
「では、君からの質問を受けよう」
蒼依が答えるべきことはもうないらしく、小野田はそう告げた。
禁断の区域についての質問、という選択はすでに閉ざされている。もっとも、蒼依が一番知りたいのはそれではなかった。
「瑠奈の消息は何もわからないんですか?」
その問いに小野田は首を横に振った。
「まったくわからないまま……だ」
それはそうだろう。瑠奈に関して何かわかれば、蒼依にも一報はあるはずなのだ。ならば――と、思いきって揺さぶりをかけてみる。
「禁断の区域に連れ去られた可能性は、ありますよね?」
「それには答えられない」
強情、というより鉄壁の守りだ。
蒼依は小野田を睨んだ。
「瑠奈を助ける気はあるんですか?」
「当然だ」
「でも、手を出せない」
小野田が言おうとしているはずの言葉を、蒼依は先行して口にした。
「手配はしているさ」
「自分たちが入れないのならほかの誰かに頼む、ということですか?」
蒼依の追及で小野田は困惑の表情を表した。口が滑ったらしい。
横目で見れば、三上がモニターを見ながら呆れ顔を呈していた。
「特機隊は君らの味方なんだ。とりあえず、敵愾心は抑えてほしい」
小野田の釈明は納得のいくものではない。どうにか憤りをこらえ、蒼依は言う。
「敵愾心なんてありません。でも、瑠奈が禁断の区域にいるかもしれないのに、どうして特機隊がそこに入れないのか、不審に思って当然でしょう」
「すまないが、言えないんだよ」
どうあってもだめらしい。ならば――。
「じゃあ、あと二つだけ訊きます」
「どうぞ」
小野田はすぐに返した。
「今回の事件は幼生が獲物ほしさに引き起こしたのではなく無貌教が仕組んだもの、とあたしは見ているんですが、小野田さんはどう思っているんですか?」
「可能性はあるが、まだ証拠が何もない。断言できない、ということだ。ただ……」
言い及んだ小野田に、蒼依は逃げ道を塞ぐべく上目遣いの視線を送る。
「ただ……なんです?」
「状況からして無貌教としか考えられない、という意見ではある。もしそうならば、なんらかの目的があるのは必然だろう」
「瑠奈に純血の幼生を代理出産させる……」
最初からそれを憂慮していたのだ。あえて考えないようにしていた、というのが事実である。
小野田は言葉にせず、暗澹たる表情を呈した。
「だったらなおさら、変な縛りにこだわっている場合じゃないはずです」
こらえきれず、蒼依は声を荒らげた。
純血の幼生の代理出産――瑠奈はすでにそれを経験していた。
特機隊が蕃神と称する邪神――その子供が幼生だ。子供とはいえ、地球上のいかなる生物よりも戦闘力が勝る怪物である。
これらを配下の兵力とするために古代の魔道士が編み出したのが、雄の蕃神と見鬼の女との間に混血の子供――ハイブリッド幼生を作るという方法だ。ハイブリッド幼生は見鬼の女から生まれるが、生まれ落ちた当初は人間の赤ん坊の姿をしているものの、やがて不定形の姿となり、「捕食対象である人間が恐怖する姿」へと変化する。捕食対象者が感じる恐怖を「うまみ」と感じる性質を有するためだ。そんな変体をなす強力な怪物――ハイブリッド幼生を、術者は自分の忠実なしもべとすることが可能なのだ。
その一方で、ハイブリッド幼生は特機隊の武器で殲滅できるが、蕃神へと成長する純血の幼生は不死身である、という事実があった。純血の幼生がハイブリッド幼生より強力なのは、疑う余地がない。とはいえ、宇宙を漂う純血の幼生を配下にすることは不可能である。見鬼の女による代理出産のみが純血の幼生を配下にするための唯一の手段、と言えよう。
「彼らに託すしかない」
小野田は言った。
「彼ら、って?」
「答えられない範疇だ」
諦めるしかない。蒼依はもう一つの質問を口にする。
「榎本さんのからの要求は本部に報告されたと思うんですが」
「ああ、報告したよ」
最後の質問をまだしていない。これで終わりにされたくはなかった。
「ここからが最後の質問です」
蒼依が言葉に力を込めると、小野田は疲れたような表情を浮かべた。
「わかっている。質問したまえ」
「本部からの回答は?」
蒼依は小野田から目を離さなかった。
「以上だ。戻っていいよ」
抑揚のない言葉だった。小野田もやるせないのだろうが、こうも取りつく島がないのでは、いくら粘っても時間の無駄である。
「わかりました」
蒼依は立ち上がった。
ノートパソコンの画面から目を離さない小野田を尻目に、蒼依は管制室のドアへと向かった。
「蒼依ちゃん、お疲れ様」
へつらうかのごとく、三上が顔を向けた。
「いえ、たいしたことはありません」
あたう限りの仏頂面でそう返し、蒼依は管制室を出た。
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