第2話 取引 ①

 一号車の助手席から降りた小野田は、ドアを閉じるのも忘れて立ち尽くした。顔を背けそうになるのをこらえるのがやっとだった。

 運転席側のドアを開けようとした佐川まこに、小野田は助手席側の外から言う。

「幹線道路側の丁字路から入られないよう、一号車の車体とコーンで使って道を塞いでくれ。指示があるまでそこに立って、車も歩行者もこの道に入ることのないよう、誘導してくれ」

「は……はい」

 やはり衝撃を受けたらしい佐川が、声をうわずらせた。

「念のため、一号車のセンサーは働かせておけ。センサーグラスも使わせたいところだが、目立つからな」

「わかりました」

 もっとも、この現場に到着するまでの間、一号車のセンサーは幼生の存在を示していない。イレギュラーがあったとすれば、システムエラーなのか、非表示にしてあったはずの泰輝の反応が、ガレージから発進する際に表示されたため、それを再度、非表示にしたことくらいだ。

 小野田は「このままちょっと待ていてくれ」と付け加え、助手席のドアを閉じた。そして一号車の背後に回り、ラゲッジを開ける。芯を重ねて横にしてある六本の赤いカラーコーンから三本をまとめて取り出し、ラゲッジを閉じた。

「行っていいぞ」

 大きめの声で小野田が声をかけると、一号車は静かに走り出した。

 束ねたままの三本のカラーコーンを両手で抱えた小野田は、きびすを返し、三十メートルほど歩いて田んぼ沿いの道との分岐点まで戻った。そこにカラーコーンを一本ずつ立て、雑木林の中を通る道を閉鎖する。これはあくまでも応急処置だ。車で進入しようとするドライバーの多くは諦めるだろうが、強引な突破ならば可能だ。しかも歩行者に至っては、なんの障害もなく立ち入ることができてしまう。本格的な封鎖は処理班の任務だが、彼らの到着には十分程度かかるため、応急処置なりに人員を補充する必要があった。

 小野田はその場でスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出した。そして第六小隊管制室に電話をかける。

「はい、管制室のかみです」

 通話に出たのは三上ひろだった。

いけたには待機しているか?」

「ここにいます」

「手が足りない。三号車でおれのところまで来るよう、池谷に伝えてくれ。場所は神宮司邸の西……上手縄工業団地の手前だ。それから、尾崎のスマートフォンの位置情報で彼女の現在地を調べてくれ。それがわかったら、すぐに連絡をくれ」

「了解。で……二号車のみんなは?」

「あとで報告する。急げ」

 通話を切ってスマートフォンをスーツの内ポケットに戻した小野田は、周辺に人の姿や車がないのを確認した。少なくとも田んぼ側は三十秒ほどなら見張りの必要がない、と判断する。そして内ポケットから出したセンサーグラスをかけ、凄惨な現場へと走った。

 道の右端に仰向けに倒れているグレースーツ姿は頭部を粉砕されており、内臓を周辺に飛び散らせているが、男であるのはわかった。左の雑木林の下生えに突っ込んで停まっているのは、二号車だ。路上には二組のタイヤ痕があり、その一方が二号車のものであるのは一目瞭然だった。

 対幼生モードに設定したセンサーグラスに、反応はなかった。それでも警戒しつつ、小野田は仰向けの遺体に近づいた。遺体の近くにわずかな染みがあり、ほんのりと、幼生特有の悪臭もあった。さらにその染みの上には、グロック22に似た拳銃――否、特機隊専用拳銃AC9が落ちている。

 とりあえず概況を把握し、小野田は二号車へと歩を進めた。

 物音はなかった。フロントドアとリアドアは左右とも開け放たれている。近づいて車内を覗くが、人の姿はない。後部座席の床につば広ハットとスポーツキャップ、二つのショルダーバッグが置かれていた。

 警戒を緩めずに二号車の周囲を一周した。そして車体の下を覗き込む。しかし、やはり人の姿はない。

 小野田は遺体を調べることにし、仰向けのグレースーツ姿に近づいた。頭部だった残骸の中に脳や眼球が見える。内臓を避けてアスファルトに片膝を立て、肉片や内臓に触れないようにしつつその内ポケットから警察手帳を取り出した。それは紛れもなく、矢作のものだった。この場での遺体の正確な身元判定は無理だが、状況からして矢作で間違いないだろう。

 矢作の警察手帳を彼の胸の上に置き、小野田は片膝のまま黙祷した。

 去年の秋に人事異動があり、本部所属の幹部に昇進した前隊長の木島敦也のあとを引き継ぎ、小野田は第六小隊隊長となった。同時に第六小隊は構成メンバーを大幅に削減されたが、そんな中でも最年少の矢作は、何かと小野田を気遣ってくれた。もちろん、小野田もそんな矢作をかわいがった。実直さと殊勝さで小野田だけではなく、第六小隊の誰からもかわいがられた。神宮家の者やその関係者のみんなからも好かれていた。見鬼であるだけが彼の長所ではなかったのだ。

 そんな部下を死なせてしまった――と小野田は悔やんだ。自分に手落ちはなかったのだろうか。自分にこの役職はふさわしくないのではないだろうか。三十四歳にして挫折しそうだった。

 ――隊長っていう柄じゃないんだよな。

 しかし首を横に振り、小野田は目を開けた。まだ三人の安否がわからないのだ。無事でいるなら救出しなければならない。

「おまえの死を悼むのは、この事件を解決してからにする。すまないが、それまで待っていてくれ」

 小野田はそうつぶやき、立ち上がった。

 スーツの内ポケットで着信が鳴り、小野田はスマートフォンを取り出した。

 第六小隊管制室からだった。

「こちら管制室の三上です。尾崎の現在地が判明しました」

「どこだ?」

 小野田は三上の言葉に耳を澄ました。


 コンパクトカーは右左折を繰り返した。まるで追跡を攪乱させるかのごとくだが、追ってくるものは何もなかった。

 相変わらずの見知らぬ土地であるものの、北へと進路を取っているのは確からしい。神津山市民であろうと市内のすべてを把握しているわけではないのは当然であり、ゆえに、車外の風景が神津山市内かどうかさえ自信がなかった。――否、もしかすると見知った土地なのかもしれないが、いかんせん、今の蒼依は混乱しているのだ。

 両親と兄、という家族を失った蒼依は、親戚もなく、いわゆる天涯孤独だった。そんな彼女に手を差し伸べてくれたのが神宮司真紀であり、姉妹のごとく接してくれたのが、幼い頃からの親友である神宮司瑠奈なのだ。その瑠奈がさらわれてしまい、まして矢作が目の前で惨殺されたのだから、平静でいられるはずがない。

「エアバッグ装着車じゃなくてよかったよ」

 右に田んぼ、左に雑木林、ときおり左右に民家が現れる、という一角だった。そんな風景に目を配る蒼依に、ハンドルを握る男は言った。

「え?」

 意味がわからず、蒼依は問い返した。

「エアバッグなんてあったらさっきの化け物を撥ね飛ばしたときに作動していた、っていうことさ」

 男の言葉に得心のいった蒼依は、「ああ」と声を漏らしそうになった。些末な問題である。同調する気にはなれない。

 蒼依が反応を見せなかったせいなのか、男は言葉を繫がず、運転を続けた。

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