第7話




 片桐さんと付き合ってから初めての夏休み。とはいえ、そこまで浮いた話ではなく、僕は片桐さんの課題を手伝うことになり、片桐さんの部屋より娯楽の少ない僕の部屋でする。勿論、僕は早々に片付けている。まぁ、徹夜したけど。


 「ねぇ〜きょーや〜」

 「うん、だめだよ」

 「まだ何も言ってないじゃん!」


 言わなくてもわかる。課題をし始めて少ししてから一向にペンが動いていない。ぼーっとしているのでどうせサボりたいとか思っているのだろう。


 「じゃあ……一応聞くけど何?」

 「………海行かない?」

 「課題、やったらね」

 「きょーやの鬼ぃ〜!」


 クーラーガンガンに効いた自室から外に出るなど自ら天国を捨ててるに過ぎない。そんな事はごめんだ。それに日焼けしたくないし。


 「……はぁ〜。じゃあ今日はここまでやったら終わりにしよう」

 「ほんと!?」

 「でも、ちゃんと片付けないと後々苦しくなるだけだよ? まぁそこまで行きたいとか言うならちゃんとコレ、終わらせてからね?」

 「うぅ〜……は〜い」

 「ん、素直でよろしい」

 「……あ、あの兄さん。私も居てよかったんですか?」


 そう。今日は葵も居る。というのも、極々稀に来ることがあるのだ。僕は意図して葵の連絡先を持っていない。となると当然此方に来ざるを得ないのだ。が、葵自身、片桐さんが居る事も知らないため中々に居た堪れないのだろう。


 「全然問題ないよ。葵も課題あるなら今やっておいたらどう?」

 「あ、私はそれなりにやってます…けど、苦手なものが分からなくて……」

 「見せてみて」

 「えっと…こちらですね」

 「あぁ、これか。これはここをこうして…」

 「……あっ、そういうことだったんですね…!」

 「納得したようで何より」


 片桐さんの課題を見る傍ら葵の課題も手伝う。だとしても僕は基本最初から口は出さず聞かれたとこは答えは言わず教えるだけで大体は本を読んでいる。


 「兄さん」

 「うん? どうしたの?」

 「……その……」


 葵の目線は困ったように片桐さんの方に寄せつつ言おうか言うまいか悩んでいるような顔で。僕はそれを察し本を閉じ立ち上がる。


 「ちょっとリビング行ってくるよ」

 「あ、わかった〜」


 葵に目配せしつつ部屋を出てそのままリビングに向かう。少し待ってから葵も入ってくる。コップを手に僕は葵を見て「話してみ?」と顎で示す。


 「……お母さんが兄さんに会いたいって言ってて」


 意を決したように息を吐いてから葵はそう言い困った目で僕の目を見つめる。それは僕のことを鑑みている証拠だ。何故なら僕はを────だったひとを嫌悪しているからだ。




⭐︎





 父さんとあの人は一度離婚しまた再婚しては再度離婚した。最初の離婚は仕方のないことだったと父さんから聞いている。それは僕も把握している。妹である葵が産まれる前のことで互いに仕事が忙しいのもあり離婚を選んだが大分月日が経ってからお腹の中に子供が────まだエコーで確認するには小さかった葵が────いたというのだ。だからまた縁りを戻し、葵が産まれた。別にこれはどの家庭にだって起こり得ることだ。実に普遍的なことだ。けれど僕は、僕には分かっていたのだ。あの人は僕や葵にはというものをむけていないことを。外面的には大切にしていたことは理解している。それはとても自然に見える程母親ということをしていた。


 けれど子供というのは実に鋭いものを持っている。勘というものと言っていいが歳が幼ければ幼いほど感覚というのは鋭いものだ。それ故にあの人が僕たちに───それは父さん含めだが───何の感情も無いことに気付いた。気付いてしまった。その時の僕はショックで仕方なかった。あぁ、僕のじゃないんだと。正確には血は繋がっているため母親なのだが、僕はあの人をそう見ることが出来なくなった。だからこそ僕はあの人に言った。


 「愛情が無いのに、何で僕たちを産んだの?」


 僕の言葉にあの人はただ静かに、


 「孕んでしまったんだもの。産まなきゃ駄目じゃない。だって貴方達には何の罪もないんだもの」


 まさにそれは正しいことだ。産まれゆく命に罪はない。だとしても。


 「じゃあ、どうして僕たちを愛してくれないの?」

 「


 幼い僕でも理解できた。この人は本当のことを言っていると。だからこそ僕はあの人を嫌いになった。それは子供故の考えだ。自分の子供なのに愛してくれないのは間違ってると言えなかった自分が嫌いになった。あの人の言葉に呼吸が浅くなったのを今でも覚えている。忘れるはずもない。


 そして僕が中学生の時。片桐さんの事を片付けた頃とそう日が過ぎない時に父さんの方へ引き取られ、葵はあの人に引き取られたが今はあの人の親戚の方に預けられている。



 「……兄さん?」


 心配そうな声色で呼ぶ声に我に返る。思い出していたのだ。思い出したくもなかったのに。僕はそれを表に出さないように仕舞い込むように首を振り問題ないと伝える。


 「いつ、会いたいって?」


 僕の言葉に徐々に目を見開いていく葵。僕は微笑みながら言葉を続ける。


 「明日はあかりのバイトが終わるまでだったら大丈夫だよ」

 「あ、えっと……お母さんが兄さんに時間は任せるって…」

 「そう……じゃあ昼頃……2時頃に駅前の喫茶店で会おうと伝えてくれる?」

 「わ、わかりました。伝えておきます」

 「ん、お願い。っと、戻ろっか。この皿にお菓子乗せとくから持ってって」

 「あ、わ、わかりました」


 コップを片付けつつ少し大きめの皿を出し、冷蔵庫から冷やしていたチョコ菓子の袋を開け、個包装のものを半分ほど出し、並べてそれを葵に手渡す。


 「……顔、見合わせてくれても良いのに」


 静かなリビングでもあり葵の呟きは聞こえてはいた。けど無視する。葵自身、僕がそうしないのは分かっているからだ。けれどそれは咄嗟に出た妹としての甘えたいという思いなのは気付いていないのだろう。冷蔵庫に戻し自室に戻る時に葵の頭に手を乗せ小さく、


 「……ごめんね」


 そう呟くしか僕には出来なかった。




⭐︎




 翌日、片桐さんをバイト先の喫茶店まで送り、時間に余裕を持たせつつ駅前の喫茶店に入る。店内を見渡し、まだ来てないのを確認し店員さんには後からもう一人くると伝え窓際の奥の席に座る。出入り口からも見えやすい席だからだ。


 僕が喫茶店に入店し席に着いて十数分は経過しただろう。突如ドアベルを鳴らしながらひとりの人が入ってくる。僕は本から顔を上げ目を向ければその人物は紛れもなくだった人だ。僕は見回すあの人に諸手を挙げて誘導する。それに気付き目の前まで歩いてくる。


 「待たせてしまったかしら?」


 そう言いつつ目の前の席に座る。僕は首をゆっくりとした動作で振り、


 「別にそこまで待ってはないよ、暁子あきこさん」


 僕の言葉に「そう」とだけ返す人は紛れもなく、あの頃からほぼ変わりのない暗い茶色の背中まである髪を後頭部で結い、藍色の瞳は何を考えているのか定かではないほどの笑みを浮かべた僕のだった暁子さんその人だ。


 「ご注文は如何致しますか?」


 僕が目線をメニュー表に移した時に喫茶店の店員さんが丁度よく声をかけてくれたため、ブラックコーヒーを二つ頼んだ。店員さんは一礼しカウンターへと下がっていった。


 「……それで? 話ってなに?」


 僕は別にこの人と話す事は一つもない。故に時間を使う意味もないため店員さんが下がった後にそう切り出す。


 「……あの人は元気かしら?」

 「あぁ、変わりないよ。もっぱら仕事で毎日忙しなく動いているよ」


 あの人とは僕の父さんのことだ。最初に聞くことが父さんに関する事とは正直、驚いた。この人には父さんに対してもそれ程までの恋愛感情があったかと言われれば首を傾げるくらいしか無いと思っているからだ。


 「そう。それならよかったわ。恭弥くん。貴方も元気そうね」

 「あぁ、父さんのお陰様でね。割合、楽しく過ごせてるよ」

 「そう、なら安心ね」


 互いに会話を続ける事はない。それもそうだろう。僕はこの人と話す事は何もないのだから。それに今ではもうこの人に対しての態度は隠さずに出しているくらいだ。それはつまり、「僕からは何もないし話すなら勝手にしてくれ」という今までの僕からしたらかなりの塩対応だろう。この人はそれに気付いていることも理解している。だから二人を覆う空気感はピシッとした張り詰めた感じの空気感をしていた。


 「お、お待たせしました。ブラックコーヒーおふたつです。ご、ごゆっくり〜」


 店員さんはその空気感に少し困惑しつつも僕とこの人の前に白いカップの中に黒くそれでいて水面を輝かせたコーヒーを置きそそくさと戻っていく。本を閉じ、鞄に入れてからコーヒーを一口飲み下す。熱くマグマのように煮え滾った黒い液体を味わうのではなく流し込み、多少の灼ける感覚を味わいつつ再度目を向ける。


 「………で? 本題を話しなよ。こんなくだらない世間話するためにわざわざ呼んだんじゃないんでしょ」

 「えぇ……そうね。ねぇ、恭弥くん」


 暁子さんもまた、僕の目を見返してくる。そして言葉を続ける。


 「?」


 ……言っている意味に理解するのに時間がかかった。僕は一瞬瞠目する。少しの間を空けてから答える。


 「──────無理だよ」


 その答えは予想していたのか読めない目を向けつつ「どうしてかしら?」と聞き返す。決まりきったことをと僕は心の中で鼻で笑いつつ、その理由を述べる。


 「どうせまたしたところで暁子さんは変わらないからだよ。勿論、僕も変わるつもりもない。あなたとまた過ごし始めたとしても窮屈なだけだ。僕はもう今の暮らしに満足してる。それにこれ以上、父さんを困らせるのはやめて欲しいね」

 「私…………?」

 「──────は?」


 この人の言葉に心底驚いた。何を言っているんだと。本当に理解ができなかった。あくまでも平静さを保っていた自分の頭がバグりそうだ。痛みを抑えるように顳顬こめかみを抑えつつ僕は落ち着かせるようにけれどそれは呆れを含んだ溜息を漏らす。


 「……分かってないんだね暁子さんは」


 改めて認識した。この人と関わることをやめて良かったと。この人はを義務としてしているのだ。僕は激しくこの人を軽蔑した。今までよりも強く。そしてそれを飲み下すように残りのコーヒーを一気に呷るように飲み込み、カップを置いて立ち上がる。


 「もう二度と僕たちに関わらないでくれ。あなたという人は居るだけで目障りなんだ。僕はもうあなたをとして見てはいない。葵は僕の家で過ごさせる。叔母さんたちには世話になりっぱなしだったから御礼はするけどね。それじゃあ。もう二度と会う事はないだろうけど」


 この人の分の代金も払うのもなんだかなと思うが伝票の紙を手に取り、暁子さんに目もくれずに席を後にし会計を済ませ店を出る。


 僕は到底分かり合える人ではないと理解した。あの人から産まれ、血を分けあった子供であろうとも決してあの人のような人にはならないように心に決めながら片桐さんのバイト先のお店に向かうのだった。


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