第6話




 私の家はそこそこ幸せな家庭だった。けれど幸せなんて言葉は一つの鋭い針で刺されて破裂する風船のように脆く崩れ去ることを身をもって知った。


 私の名前は今は片桐だけれどこれはお母さんの旧姓で元々は天草という名前だった。私はお父さんもお母さんも好きだった。仕事を一生懸命働き、いつも楽しそうにしている二人が私は好きだった。だから私はお洒落とかも出来た。友達もいっぱい出来てとても嬉しかった。なのに。



 中学の頃にいじめを受けた。理由は単純だった。私が良い子すぎたから。誰にでも明るく接してそれが逆に癪に触っていたみたいだった。学校に行けば後ろ指を指される。靴は隠される。机には落書きされる。陰湿なことばっかりだった。それだけじゃなかった。クラスの女子数人で私のお父さんを逆レイプした。言いがかりをつけられ、脅されたのだと後から知った。全部私が悪いのに、それでもお父さんは気丈に振る舞った。だから私も弱音なんて吐いちゃいけないんじゃないか、なーんて思ってた。だからだろう。いじめは無くなることなんてなかった。


 寧ろ加速した。エスカレートした。勿論、先生にはバレることなんてなかった。ううん、言えるはずもない。辱めを受けたんだからそれはそうだもの。流石に処女は奪われてないけど。男子のことはそれで大嫌いになった。私を無理やり裸にさせた挙句、自慰行為を目の前で見せつけられたんだもの嫌いになる。


 だけど、そんな時に一人の男子が声を上げるように掛けてきた。


 「早く来てください! 生徒が酷い目に遭ってるんですよ!」

 「なっ、お前っ何言って!?」

 「に、逃げるぞ!」


 その声に驚いた男子たちは急いでその場を後にした。私はそれを呆けて見てるしかなくて、自然と座り込んだ。そんな私にさっきの男子が声をかけた。


 「なんとか間に合っ……ては無いみたいですね。でも、もう大丈夫ですよ」


 座り込んだ私の目線に合わせるようにしゃがんで私の肩にその人の制服を羽織るようにされた。


 「で、でも先生が…」

 「あぁ、あれはデマカセです。流石にこう何日とあの人たちに連れられてるのを見たら怪しいなって思ったので」


 決してその人は顔から下には目を向けることはなかった。かなり長い前髪で目が隠れてるのもあるけど彼の声色は優しくて自然と涙が出てしまった。


 「あ、ご、ごめんなさい。そのやっぱり男子一人でも怖いですよね。もう離れますからあとは僕に任せてください」


 私の言葉を待たずにそのまま走り去ってった。助けてくれたんだとようやくわかった。私は制服を着直して、助けてくれた男子のブレザーをぎゅっと抱き締めながらただただ感謝した。


 その後は、何故かトントン拍子に事が発覚していった。お父さんとお母さんはそれが理由でお母さんから別れを切り出して離婚して、転校することになった。助けてくれた男子にお礼すら言えず仕舞いのまま転校と引っ越しをした。それとこの事がきっかけにお母さんとは今でも気不味くなったけれど、それでも今は不自由はないと思ってる。だって助けてくれた男子が今目の前で私の話を聞いてくれて私のわがままを聞いてくれて嫌な顔ひとつせずに寄り添ってくれてるきょーやなんだから。




⭐︎




 ただ静かに片桐さんの言葉を聞く。そう。そんなこともあったのだと思い出した。今の僕になる少し前のことだったのだから理解している。


 「ねぇ、きょーや……あの後、なんでいじめが発覚したの?」


 純粋な疑問と目を向けてくる。僕は目を閉じ、真実を伝えるしかない。片桐さんにはその資格があるからだ。


 「僕が先生に伝えたからだよ。勿論、いじめの主犯格もそれに追随していた人たちもその人たちがしていたことも全部」

 「……え?」

 「僕は最初、見て見ぬふりをしてたんだ。自分には関係ない。関わるだけ無駄なんだって。でも前田くんに言われたんだ。見て見ぬふりはやめよーぜって。それで僕は参ったんだ。きみがいじめを受けていたと知ったのはちょうどエスカレートした頃だったと思う。だからその前までのことに確証が持てなかった。けど、前田くんが協力してくれたんだ。クラスは別でも、見捨てるのは夢見が悪いとかなんとかでね。だから僕は前田くんに言ったんだ。もし、証拠が少ない時は───」


 そこで続きを言おうとした時に片桐さんは察したのだろう。数ヶ月とはいえ一緒にいるのだから僕の性格や考えが分かって当然だろう。小さく首を振っている。


 「────僕を主犯格の一人に、ううん。黒幕に仕立て上げて良い。ってね。それが、僕が協力する条件だった。前田くんは渋々了承してくれたよ。だからあの時あの場所に行く事ができたんだ」

 「じ、じゃああの後一度も見てないのって…」

 「うん。前田くんと一緒に停学処分食らってたからだね」


 片桐さんの両目がみるみるうちに大きくなる。それほどまでに衝撃的なのだろう。


 「ど、どうして……」

 「傍観者で居たからかな。知りもせずに何もしないというのは悪くはないけど、僕はあかりがいじめられていたことを知っていてもをしていたんだ。だからそれは自分に対する罰……というか償いみたいなもんかな。まぁ、停学処分から戻ってきたら噂が凄かったみたいだけどね」


 停学処分明け後は詳しくは知らない。知るつもりもない。他の人がどう話していようが僕には関係のない事だから。それでも。


 「でも……僕は見放さずに手を差し伸べて正解だったんだなって今自覚したよ」


 片桐さんの目を見ながらはにかみ、握ったままの手を大切なものを扱うように包み込むようにぎゅっと握り、その握った手を見つめる。


 「僕のなんてことのない事でも助ける事が出来たことが僕は嬉しい。あの時助けなかったらきっとこうしてあかりと会えなかっただろうし、こうして付き合うこともなかったんだって」

 「同じ、だね」

 「うん」

 「ねぇ、きょーや……」

 「うん?」

 「──────」


 片桐さんは何処か言うのを迷っているような素振りだった。僕は何かを言いたいのだろうと理解し、言ってくれるまで待つつもりだ。やがて、決心がついたようでぽつりと言った。


 「……お母さんとまた仲良く出来るかな」


 そう。片桐さんがこんなに甘えん坊なのも、寂しがり屋で我儘でけれど優しくて……そんな片桐さんの根底にあるのは母に対する想いなのだ。ずっとそう思っていた。けれどもうきっと取り戻せないんだと諦めていたのもあるのだろうと僕は勝手に推察する。僕はただ嘘をついてまで彼女を支える必要は無いだろうと考えて本心を言う。


 「分からない。けれどそれは……これからのきみの言動次第なんじゃないかな」

 「言動……か」

 「本当に仲良くしたいと思ってるならそれはきっと叶うと思うよ。思いの強さでどうにかできるかは分からないけれどね」


 だってそれは────今の僕には到底無理なことなのだから。






 きょーやと話してから少しだけ心が軽くなった、気がする。きょーやに送ってもらってからずっときょーやに言われたことが頭の中でずーっと巡り続けてる。


 『本当に仲良くしたいと思ってるならそれはきっと叶うと思うよ。思いの強さでどうにかできるかは分からないけれどね』


 その言葉は何処か自分にも向けて言ってる感じがしたけど、でもきょーやの目は優しく私の目を見ていた。だから、家の中に入ってリビングにお母さんがいることはわかってた。


 「──────良し」


 息を吸ってリビングに入る。


 「ただいま、お母さん」


 私の声にかなりびっくりしたような顔をしながら振り返る。それもそうだと思う。今の今まで一日で一言二言くらいしか会話のしない娘からこう話を振られたら驚くと思う。


 「え、えぇ…おかえりなさいあかり」

 「今日ねスポーツ大会があったんだ。私のクラスね優勝したんだ〜。すごいでしょ」


 鞄から賞状を取り出して目の前で掲げて見せる。その賞状はバレー部門と印字されていて、勿論、実物じゃなくてコピーしてもらったものだけど。


 「そう。良かったわね」


 お母さんは未だに困惑気味だけど嬉しそうにしてる私に苦笑しつつも褒めてくれた。それが懐かしくてとても嬉しい。


 「えへへ、うんっ」


 元に戻れないことは分かってる。それでも元に近い状態になら、出来るはずだ。私はそう信じてる。だから──────。


 「ねぇ、お母さん」

 「なにかしら? あかり」

 「これからも、あったこと話してい?」

 「……えぇ、是非聞かせてほしいわ。いっぱい聞かせてちょうだい」




⭐︎




 スポーツ大会の日から数日。バイトを終えた片桐さんを連れて、何故か僕も一緒に片桐さんの部屋にお邪魔している。理由はここ数日で片桐さんはお母さんに近況を話しているからだそうだ。あんなことを話した直後に行動に移すとは流石だなと思った。


 「あら、あなたがあかりの彼氏さんかしら?」

 「あ、は、はい……嶋山恭弥と言います。えっと……はじめまして」

 「えぇ、よろしくお願いするわね。それにしても…礼儀正しい子ね。あかりが言っていたことほんとだったのね」


 椅子に座った状態で頭を下げる僕に優しげな笑みを浮かべたままそう言うお母さんに僕は「えっ?」と声を上げながらまじまじと見てしまう。


 「ど、どんなことを……その、聞いてるんですか?」

 「そうねぇ……優しくて知識深くてかっこよくて気配りが出来てて我儘を聞いてくれる心が広い人って聞いたわね」


 言うほど知識深いか?僕。別にそこまで知識豊富ではないと思うんだけど。


 「け、結構聞いてるんですね」

 「えぇ、ベタ褒めだったわ」

 「あ、もう打ち解けた感じ?」


 部屋着に着替えた片桐さんがそう声をかけながらリビングに入ってくる。自分の方でしか泊まらせたことがないから片桐さんの部屋着はとても新鮮でつい魅入ってしまう。


 「きょーや、私の顔に何かついてるの?」

 「え、あ、いや……あかりの部屋着が新鮮でつい」

 「あはは、そっか。どう? 可愛いでしょこの服」

 「う、うん。とっても似合ってる」

 「えへへ〜ありがと〜」


 にへ〜とだらしなく笑い、僕に身を預けるように額を胸板にぐりぐり押し付けながら抱きついてくる。僕ははにかみつつ頭を撫でる。


 「あらあら、見せつけてくれちゃって」

 「え、あっ…す、すいません」


 対面に座る片桐さんのお母さんはそんな僕たちの様子に微笑みながらそう言い、それに我に帰りつつ謝罪する。


 「良いのよ良いのよ。あかりがそうやって楽しくしてくれてるのがわたしとしても嬉しいから」

 「そ、そうですか?」

 「えぇ。それに、あなたみたいな人があかりの彼氏で良かったくらいよ」

 「そうでしょ〜きょーやは私の自慢の彼氏なんだよ〜お母さん」

 「十分堪能したわ」


 なるほど。片桐さんがたまにおっとりした雰囲気を出すのはお母さん譲りだったのか。するとふと片桐さんのお母さんの目は曇りながら目を伏せる。


 「嶋山くん、だったかしら?」

 「え、えぇ。呼びやすい方で呼んで大丈夫ですが……どうかしたんですか?」


 そんな表情に僕もなぜか身構えてしまう。


 「今更だけれど、ごめんなさいね」

 「……」


 何に対しての「ごめんなさい」なのかはすぐに理解できた。そう。近況を話しているのなら昨日、片桐さんと話していたことも話しているだろう。僕は目を閉じつつ首を振る。


 「別に構いません。僕がしたくて好きにしてることです。きっと僕はあかりと会うのは必然だったのだと思ってます。きっかけがどうあれ僕はあかりを救えたのだと納得しました。なので、あかりのお母さんは謝る必要はありません。それにいじめというのはどんな理由で起こるかは分からないものです。片桐さんのお母さんが気に病む事はなくて……僕が納得がいかなかったからあかりを助けた。その上で自分で自分を罰したんです。それであるなら僕はいくら汚名を被ろうが構いません。被ってしまったとしても後から塗り返す事は可能なんですから」


 僕は苦笑気味にけれど確固たる意志で言う。紛れもなく本心。その気持ちがなんなのかは分からない。けれども、片桐さんを見捨ててしまったらいけないと思ったから助けた。あのまま見て見ぬフリをしていたら後も先にも後悔ばかりしただろうから。


 「あなたは本当に優しいのね」

 「………優しい、のかは分かりませんけど、でもそうですね……大切なものは何が何でも守らなきゃいけないとは思ってます。今はまだあかりのことを好きなのかどうかは分からなくても、でもそれはこれから知っていけば良い。あかりが近くで笑ってくれてる顔が目に焼きつくように。思い出を一緒に作っていけるようにあかりの彼氏として相応しい人であるように努力するだけです。それはあかりがしっかりと理解してくれてます。なので僕が優しいのではなくて、あかりの温かな優しさのおかげなのかもしれませんね」


 傍らで僕の腕に抱きつきながらも恥ずかしそうに頬を朱に染め、「……もぅ」と小さく声を出す。いつから片桐さんは牛になったのだろう。


 「あ、そうだわ。ねぇ、嶋山くんは上の上の階の住人よね?」

 「え? あ、あぁ、はい。そうですね。半一人暮らしですが」

 「寂しくはないの?」

 「生憎と僕はあまりそういうことは思った事がないんですよね。自室で本を読んだり何かしらのゲームやあかりにオススメされたものをみたりと暇つぶしに事欠きませんから」

 「そうなのね。てっきり、うちの子に合鍵を渡したって聞いたからそういうことなのかと思ったわ」


 ……そんなとこまで話したのか。まぁ良いけれど。


 「鍵を上げたのはただあかりが彼女だからですよ。僕も家事もしますけど朝がとことん弱いのでそういった意味合いも兼ねてますね」


 片桐さんがほぼほぼ包み隠さず言っているのなら隠さず言うのがフェアというものだろう。


 「そう。仲が良いのは良いことね。あかり」

 「な、なに? お母さん」

 「大事にするのよ」

 「う、うんっ!」


 片桐さんは本当に百面相をするようにコロコロ変わる。さっきまでは顔を赤らめてたのに片桐さんのお母さんからそう言われ花が咲いたと言っても過言ではないほどの笑みを浮かべて強く頷いたのだ。


 「嶋山くんも娘を頼んだわよ」

 「えぇ、はい。未だ探り探りですけど、あかりのことをしっかりと支えていけたらなと思います」


 僕もまたしっかりと頷きそう返す。今思えばこの時には既に「好き」という感情を理解していたのだろうと後々になって理解したのはまた別の話。


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