第4話




 翌日、共に学校に向かうといつも以上に視線が僕に刺さった。無理もないだろう。大幅なイメチェンをしているのだから、気になって仕方ないのだろう。


 「お、恭弥髪切ったんだな」


 右手で諸手を挙げつつ声を掛けてくる。僕は頷き、前髪を指先で摘み弄る。


 「似合ってるかな?」

 「バチくそ似合ってるぞ」

 「あはは、ありがと」


 前田くんの言葉には全く嘘がない。というより根が真っ直ぐすぎるから嘘がつけない人なのだ。彼の言葉はそれ故に素直に嬉しい。ほんの少し照れを感じつつもそう感謝を言い席に着く。それからは少しの間クラス中の視線が刺さったりしたことはあったが何もなく過ごせた。


 「すぐ馴染めたねきょーや」

 「そーだねぇ……いやはや、安心したよ」

 「ちょっと〜じじ臭いこと言わないでよ〜」


 課題の提出物を一緒に運びつつ片桐さんとそう他愛のない話をする。


 「……え? に、兄さん?」


 僕の声で振り向いた女子生徒がそう呟きながら振り向いた。僕もまた立ち止まり振り向く。


 「どうかした? 葵」

 「あ、い、いえ…その、髪、似合ってますね兄さん」


 いつも浮かべる儚げな微笑を僕はほんの少しだけ目に収める。けれど、直視はしない。似ているからだ。に。妹である葵には勘付かせないよう配慮しつつ答える。


 「ありがとう葵。っと、僕の隣の子は僕の彼女で片桐あかりって言うんだ。それであかり、この子は僕の妹で葵って言うんだけど、仲良くしてあげて」

 「妹いたんだねきょーやって」

 「うん。伝えるのは遅くなってごめんだけど」

 「ううん、大丈夫。よろしくね葵ちゃん」

 「あ、は、はい。よろしくお願いします片桐先輩」


 葵はぺこりとお辞儀をし、僕たち二人を呼び止めてしまったことに気付き、謝罪をしつつ、また話そうと言って自分のクラスに戻るのか渡り廊下を歩いていった。


 「……葵ちゃんってなんか…不思議な子だね」


 え、それきみが言う?僕からしたら十分きみも不思議なんだけど?とも思いつつも頷く。


 「昔から葵は礼儀を教え込まれてて、確か華道だったかやってるんじゃないかな。僕は興味のない分野だけど、葵にはピッタリというか何というかだね」


 職員室に再度向かいつつ話す。


 「それもあってか、僕以上に趣味がないし、あまりクラスとも馴染めてないらしい。ま、そりゃああんな習い事をしてるんだからそうもなるよ……分かってたことなのにね」

 「……きょーや?」

 「っと、ごめんごめん。兎にも角にも、僕の妹は優秀で僕の自慢の妹だよ」


 どうやら、僕の抱えていた感情が表に少し出ていたようで片桐さんを不安にさせてしまったようだ。が絡むとそうなってしまうのはいけない事だ。直さないとな。




 ──────って、そんなこと出来そうに無いんだけどね。馬鹿みたいだよねほんと。




⭐︎




 片桐さんのバイトを終わるのをいつも通り時間を潰しながら待つ。最近彼女のバイト先の喫茶店の珈琲が美味いことにハマり、こうして時間を潰しているときも近くの喫茶店を巡るのが何気に好きになっている。基本、自分で入れているのだが、それでもお店の味というものに触れたい時だってあるのだと思っている。それ故に今日はバイト先からは少し離れたところにあるが小洒落ていて、それでいて静かなモダンな喫茶店で頼んだ珈琲を楽しむ。


 「……美味しい」


 ジャズ系の曲をBGMにしつつ、一口飲んでそう声を落とす。僕はカウンター席に座っていることもあってかその僕の独り言をバーカウンターにいる壮年の男性が優しげな微笑みを浮かべつつこう言ってくる。


 「きみのような若い子が来るとは思わなかったよ。口にあって何よりだ」


 とても落ち着いた耳の奥にストンと入ってくるような高くもなく低すぎもしないかと言って耳障りでもないそんな声の言葉に僕は笑い返す。


 「落ち着いた雰囲気が好きなんです僕。本当は時間潰しに来ているだけなんですけど、ここのお店はとても居心地が良いですね。それに、珈琲。あまり苦すぎず、かと言って薄くもなくて丁度いい塩梅の味で参考になります」

 「ほう。それは自分でも淹れているということかい?」

 「えぇ、まぁ。と言っても家で嗜む程度ですけどね」


 カップを指先で触りつつ微苦笑を浮かべる。参考にはなるが店を出しているわけでもなしにこんな味を作れるのかと言われれば答えは否。何故ならば珈琲は淹れる人によって味が如何しても変わるからだ。


 「参考にも君は豆から挽いてやっているかい?」


 壮年の男性は柔らかな微笑みを浮かべながら聞いてくる。僕は目を閉じ思い浮かべる。


 「たまに……粉を使いますが、大体はハンドミルで挽いてから使いますね。と言ってもご店主さんが使っていたものより小さいですが」

 「ふふっ、そうか。なに、容量が小さくても美味しく出来ているなら問題ないだろう。若いというのに渋い趣味を持っているね」

 「えぇ、そうでしょうか。読書の傍ら、嗜んでるだけですよ。彼女にはとても美味しいと褒められますが」

 「良い青春を送っているようで何よりだ。彼女さんも君と同じように飲んでいるのかい?」

 「いえ、僕はどちらでも飲めますけど無糖では飲めなくて少しむくれてますね」

 「はは、実に良い関係だね」

 「……そう、だと良いですね。こんな僕に愛想を尽かされないよう頑張らなければ、ですね」


 小さく笑みを浮かべ、カップの中の黒い水面を見つめる。それは自分の顔を写していることは理解している。けれど僕は片桐さんのことを思い浮かべていた。




⭐︎




 片桐さんのバイトが終わり、今日は珍しく僕の家で晩御飯を食べることになった。いつもなら部屋まで送ってそこからなのだが。


 「あ、私も手伝うよ〜」

 「ありがとう。じゃあお願いしようかな」


 部屋に入り、着替えもせずに直ぐに準備に取り掛かるとソファの上に鞄を置いて僕の後にキッチンにくる片桐さんの厚意を受け取る。キッチン下の棚からエプロンを取り出し片桐さんに渡す。


 「少し大きいかもだけど、左の肩紐のとこで調整できるから」

 「え〜っと……出来てるかな……」


 制服の袖を捲りつつエプロンを調整する片桐さんを見て苦笑する。どうやらうまく調整が出来ないようで四苦八苦しているようだ。


 「ほら、貸して」

 「ん」

 「先にこっちを緩めてから…こう……どう? 大丈夫?」

 「あ、うんっ、全然大丈夫!」

 「それなら良か……」

 「きょーや?」


 調整してあげてから気付いた。胸許に微かに触れているのではないかということもあるが、顔の距離が近いということに。目線を上げると直ぐに片桐さんの端正で整った顔立ちと長く、綺麗な睫毛、くりっとした可愛らしい目。灰色に近い藍色の瞳。そのすべてが僕の眼窩に映った。ぴたりと固まる僕にこれまた可愛らしく首を傾げる片桐さん。僕は完全に無意識でその傾けた頬に右手を当て、静かにキスをする。


 「…んっ!?」

 「………」


 そっと離れて片桐さんから顔ごと視線を外す。目の端で捉えたのはにまぁ〜っと笑う片桐さん。


 「もしかして……したくなっちゃった?」

 「……………今日、一回もしてないと思ったから」


 言い訳がましく聞こえるだろうが、確かに言い訳だ。端的に理由はない。無いけれど、何故か「キスがしたかった」のだ。僕は僕自身がしたことに疑問と嫌悪を抱いた。


 「そっか。じゃあ……もっかいする?」

 「えっ…?」


 片桐さんの言葉にパッと彼女の方に顔を向ける。片桐さんは依然として柔らかく優しい笑みを浮かべていた……が、ほんのりと頬が赤かった。


 「う、うん」


 反射的に頷く。片桐さんは笑みを深め、僕の両肩に手を添え、爪先立ちをする様に背伸びをする。そう。僕たちの中で交わしたことの一つで、最初、キスをしてそれでからまたしたくなったら今度はキスをされる。ということ。僕はまた近くなる片桐さんの両目を見つめながら、そっと片桐の腰に手を添え抱き締めるような体勢になる。至近距離で見つめ合いながらも、甘く蕩けた感覚に浸りながら少し長いキスをする。


 「ん……」

 「……えへへ、ごはん……作ろっか」


 名残惜しいようにゆっくり離れる唇。抱擁を解き、小さくそう言う彼女の顔は────幸せそうだった。



 「部屋まで送るけど……ほんとにいいの?」

 「うん。今日は……きょーやと一緒にいたい。

 ……だめ?」

 「別に、だめではないけど……」


 ご飯を食べ終え、互いにシャワーを浴び、その後に言われたのだ。泊まりたいと。確かに僕は一度片桐さんの方で泊まった。これもまた片桐さんの我儘だと自身は言っていたが、その程度のことは我儘には入らないだろうと思っている。けれどほぼほぼ一人暮らしに近い僕の部屋は空き部屋は無く、父さんの部屋と僕の部屋しかない。そうなると何処に寝かせようかと考えて。


 「じゃあ、僕のベッドで寝なよあかり」

 「え、でもそうしたらきょーやはどこで寝るの?」

 「僕は床でも良いし、そこのソファでも問題ないよ」

 「だ、だめだよ! きょーやの方がベッド使いなよ。家主? なんだもん」

 「けれどあかりは女の子だし、お客さんではあるからベッドで寝た方が……ってこれじゃあ平行線だね」

 「ぷふっ……たしかに」


 少し言い合ったが、ふと気付き肩を竦める。片桐さんもくすくすと笑って、「じゃあ、どしよっか?」と聞いてくる。


 「ん〜……じゃあこうしよう。僕は背中向けてるからそれで同じベッドで寝よう。ほんの少し狭いだろうけど」

 「え〜それならこっち向いてて欲しいな」

 「そ、それはさすがに僕が寝れなくなるから…まだだめかな」

 「だめか〜」

 「うん、だめ」

 「なら、仕方ないか。添い寝してくれるだけでも嬉しいし」


 向かい合って寝るのはさすがにキツいかもしれないと危惧した。深く理解はしていないけれど。


 「それじゃあ……おやすみのちゅーしよ?」


 互いにベッドに腰掛けてから片桐さんはそう言い僕に近づく。僕は頷いて、少しだけ長いキスをした。離れた時に片桐さんが浮かべる目はとても心臓に悪かった。


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