第3話
カーテンの隙間から朝陽が差し込む。それに眉を顰めつつも右肩に温もりを感じ、ゆっくりと揺さぶられる。
「朝だよ、きょーや。起きなきゃだめだよ?」
声の主は片桐さんだった。僕は軽く身動ぎし、目を薄く開ける。
「……あと少しは寝かせて」
「だ〜め。早く準備しないと……ちゅーしちゃうよ?」
そっと右耳にそう囁き掛けられビクッと肩を震わせる。いきなりのことで驚いたのだ。僕は息を呑みつつ、目を開ける。
「……い、いきなり囁かないで欲しいな」
「え〜こうでもしないと起きなそうだったからきょーやが悪いよ?」
「……反論のしようもありません」
目を伏せ、降参といった感じに諸手をあげ、ついぞ抵抗せずに身体を起こす。
「おはよ、きょーや」
「……ん、おはよ」
大きく欠伸をしながら身体を伸ばし欠伸をしたため浮かべる涙を拭いつつ片桐さんの全容を視界に収める。いつもの制服姿で見慣れた姿だった。
「……顔、洗ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
「ん」
彼女の言葉に見送られつつ洗面台に向かう。
「きょーやの部屋って本がいっぱいなんだね」
その後朝ご飯を食べながらそう言われる。僕は頷き、あの部屋にある本を思い浮かべつつ答える。
「ざっと100以上はあるかも。というか数えてないから詳しくは分かんないな」
「すごい読んでるんだね」
「まぁ……父さんも読書家だったからその繋がりでね」
「あ〜確かにすごい寡黙な人だったなぁ」
彼女の言葉に身体を固め、彼女を見る。
「と、父さんに会ったの?」
「うん。さっき入ろうとした時にばったり会ったんだ〜。とっても優しく接してくれて、『あ、きょーやのお父さんだ〜』って納得しちゃった」
思い返しつつそう言い「えへへ」と笑う片桐さんに目を丸くする。
「そ、そんなに似てるかな僕」
「すごい似てると思う。ほら、あまり喋らないとことか」
「あ、あ〜……確かにそれはそうかも」
「でしょ? あんまり自分から話題出さないような感じ? って言えばいいのかな」
「言い得て妙だねそれ」
確かに当たっている。僕も父さんも大した話題がない場合は二人して黙っていることが多い。何処何処の出版社から新刊本が出るだの、何処其処の本屋はフェアがやっていてお得だのといった互いに利のあることしか会話をしていないかもしれないと片桐さんの言葉にふむと考えてしまった。
「……というかそっか……父さんはなんて?」
「ん〜とね、『幸せに』って一言しか言ってないよ」
「ほ、ほんとに一言だ……流石に喋らなすぎでしょ父さん」
「かっこいいよねぇ〜ああいう多くは語らん!みたいな人って」
「すごいわかる。父さんってそういうのが似合う人なんだよ。だからまぁ……あかりが気に入って良かったとも思うよ。それに……」
箸を止め、言葉を途中で言い止める。ほんの少し物恥ずかしさがあったからだ。
「……それに?」
「………それに、いつかは会わせてみたかったから」
首を傾げつつ僕を見る片桐さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。その様子に今度は僕が首を傾げる。
「…そ、そそそ」
「? ……そそそ?」
「……そ、それって……プロポーズだよ?」
「え、そうなの?」
「あ、あ〜……そうだった……きょーやって恋愛したことないんだったっけ」
「うん、一度もしてないね」
わなわなと顔を真っ赤にしつつ言う彼女に僕は正直に頷く。続いての会話で察したように頷く片桐さんにくすりと微笑む。
「僕は思った事を言っただけだよ?」
「………そ、それがすごいドキッとするんだってばぁ」
「…? 何か言った?」
「な、なにも…」
そっかと返しつつ箸を進め、食べ終えたのはそれから10分してからだった。昨日と同じように食器を片付けてから家を出る。
「そういえば、あかりのご両親には僕の家に来てることは?」
僕の純粋な疑問に彼女は「あ〜」と曖昧な声を上げ眉を寄せた。どうやら聞かれたら不味かったらしい。その反応を見て僕の言った事を取り下げようと口を開き掛けたが意を結したのか片桐さんは続ける。
「私、さ……離婚してて、それでお母さんの方に引き取られたんだけど、居心地悪くて一人暮らし状態なんだ」
成る程。そういうことだったのか。同じ部屋にはいるがあまり会いたくないといった感じに見える。これ以上は聞かないほうがいいだろう。
「そっか。それじゃあこれからも普通に上がってきなよ。といっても、僕の部屋は本ばかりだから楽しくもなんともないだろうけど」
「そ、そんなことないよ! きょーやと居るだけで楽しいから!」
僕の言葉に食い気味で被さるように身を乗り出しつつ言う片桐さんの顔を基、目をまじまじと見る。
「た、たしかに私、あまり本とか読まないけど、それでもきょーやが読んでる時の顔見るの好きだから……だからつまんなくないもん」
果てには片頬を膨らませそっぽを向くように前を向く片桐さんに僕は「あはは」と声を上げつつぽんと頭に手を乗せる。
「それなら、良かった。片桐さんにもなるべく合わせていけるよう努力するよ僕も」
紛れもない本心である。僕と片桐さんは趣味が違う。僕は様々なジャンルの本を読んでいるだけなのでそれとなく話にはついていけてはいるが、片桐さんの趣味は実はアニメ関連であり、本の内容とは違ったり、本になっていない作品も知っていたりするのだ。それもそれとして知っていくことが楽しいわけだが。
「あ、も、もしかして普段起きるの遅いのって……」
「ん? あぁ違う違う。きみの話についていくようにかなり遅くまで起きてるって訳じゃないよ。元々朝起きれないだけで空いた時間にアニメ見たりしてるんだ。意外とすぐ時間が溶けてく理由、分かった気がするよ」
「え、ほんとっ? わ、私のオススメだよって言ったアニメとか」
「勿論、全部観てるとこ。まだ中盤だけどね」
オススメされた作品は女性向けアニメなのだがストーリーが良く作られており、見ていて惹き込まれる作品だった。この先どうなっていくのだろうと考えるだけでどきどきしたくらいだ。片桐さんがオススメだと言うだけはあるなとどこから目線だよって話だけど。
「そっかぁ……観てくれてるんだ〜」
にへらにへらと何処か満足げなニマニマとした笑顔をしつつ嬉しそうに歩く片桐さん。やはりあまり表に出ない僕とは大違いだ。片桐さんの感情表現は声だけでなく体全体で表しているのがわかる。僕はその様子を眺めつつふと思い出したように言葉を続ける。
「そういえば、」
「うん? ど〜したの?」
僕の言葉に首を傾げ僕の方に顔を向ける片桐さんと目が合う。って、余所見は危ないぞ。
「あ、ありがと」
「ん。あ、で、それでなんだけどさ」
「うん」
「あかりって、もし、僕がイメチェン? って言うの? をしてみたいって言ったらどうする?」
「……へ?」
⭐︎
週末。片桐さんが行きつけの美容院に連れて行くということで片桐さんに案内され、件の美容院に居る……のだが。
「……僕、場違いじゃないよね?」
あまりのお洒落な空間に結構ゲンナリしてる僕である。
「だ〜いじょうぶだって! ね、ひいらぎさん!」
「えぇ、そうね。あかりちゃんの彼氏くん髪のせいで目立ってないけど結構目鼻立ちも良いし、結構良いわよ」
椅子に座った僕の後ろで僕の髪を指先でわさわさしつつそう言うお姉さん。片桐さんの言葉でその方がひいらぎという名前のようだ。覚えておこう。
「どんな髪型が良いのか聞いても良いかしら?」
鏡越しで目を合わせてくる。僕はあまり他人との会話を好んでしないので少し固まるが、考えている事を頑張って口にする。
「……っと、まず、後ろ髪の方をさっぱりしたい……のと……その長さに合うように前髪も短く…けどそこまで短くなくて野暮ったくない感じ……でお願いします」
ひいらぎさんはふんふんと頷きつつ小声で「なるほどねぇ」と呟いている。
「分かったわ。耳は出てたほうがいい?それともこのまま?」
「あ、出来ればその髪型に沿うように……お任せ? します」
「ふふっ、わかったわ。それじゃあ始めちゃいましょ」
片桐さんが信用しているというひいらぎさんの腕を僕は信じるしかないだろう。そう言うひいらぎさんは自信有りげな笑みを浮かべ左手には櫛を右手には鋏を持ってカットが開始された。片桐さんはその光景を見守るように近くの椅子に座っている。僕はなるべく動かないように静止してぱさりぱさりと落ちていく自分の髪を眺めているのだった。
恐らく二、三十分はかかっただろう。後ろを見えるように鏡を二枚開きにして前の鏡と相対して見る。
「まずは後ろ髪は言われたように短くしたわ。あまりチクチクしないように加減したつもりよ。それで、横髪は中は剃って、それを隠すように、けど耳が見えるようにカット。前髪は見たとこ右に流れてるようだったから目は見えるように、けど邪魔にならないような絶妙な長さで纏めたわ。どう?」
ひいらぎさんの言葉につい先程までの野暮ったかった髪がスッキリとしているようだった。僕はその見慣れない姿に驚きつつ頷く。
「問題ないです」
「良かったわ。貴方の髪、とっても良い髪ね。クセがあんまりないのね。もしかして何かしてる?」
「え? あ〜……いえ、してるのは多分トリートメントくらい……ですかね」
「あら、それじゃあ元々髪質が良いのね。それじゃあ、この髪質だったらヘアオイルオススメよ」
「ヘアオイル、ですか?」
「えぇ。とてもサラサラしてるし、今度試してみたらどうかしら」
「そうですね。試してみます」
「ふふっ、素直な良い子ね。あかりちゃんの彼氏さんってことだからどんな子かと思ったけどこれならお姉さん応援しちゃうわね」
ニコッと八重歯の見える笑顔をしつつ言うひいらぎさんに目を丸くする僕。とても良い人だ。
「もしまたあったらうちにおいで。今回は初回だから安くしておくわね」
「え、良いんですか?」
「え、いーの!?」
ひいらぎさんの言葉に僕と片桐さんは同じように驚く。ひいらぎさんはそんな僕たちを見てクスッと笑いつつ、
「良いのよ良いのよ。若い子たちの恋愛に片棒を担いでるんだもの」
いや、言い方。片棒を担ぐなんてそんな言葉あまり聞かないぞ。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言いつつ会計を済ませ外に出る。
「……青春ねぇ」
そんな優しい目と声色をしつつひいらぎさんは見送るのだった。
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