第2話




 スマホが揺れる。僕はその振動に目を覚まし、スマホを手に取りつつ起き上がる。


 「……もしもし…?」

 『おはよ〜きょーや。今起きた?』

 「………ん……ふぁ…ふ」


 電話の相手は片桐さんからだった。スマホを片手に欠伸しつつベッドから離れ、クロゼットを開ける。


 「起きるの早いね片……あかりは」


 昨日、片桐さんから告白され、僕は本心を告げた。それでも彼女は首を縦に振り、恋人同士となった。その折に、彼女からは名前で呼んで欲しいとのことだった。僕は頷き、寝起きの頭でつい言いかけた苗字を引っ込ませ、名前を呼ぶ。


 『私、起きるのは早いんだ〜。きょーやは苦手だったんだね』

 「うん。実を言うとそこまで得意じゃない」


 制服や着替えのシャツ等を取り出しながら答える。電話口でくすくすと笑う声が聞こえる。少しだけこそばゆい感じがするのは気の所為だと思いたい。


 『ね、朝ごはんって食べる人?』

 「極力は食べるようにはしてるけど……時間ない時はパン一枚かな」


 耳からスマホを離し、スピーカーにしつつテーブルに置いて着替える。寝癖はあるけど直すのは面倒だし放っておく。


 『そーなんだ。じゃあ、さ。そっちに行っても良い?』

 「ん、良いよ。けど、ちょっと待ってて顔洗ってくる」

 『は〜い』


 そう。実は彼女の家は僕の住むマンションと同じなのだ。階は二つほど僕が下なのだが、昨日はそれが何よりの衝撃だった。

 通話を切り、洗面台に向かいサッと洗顔し終わった辺りにインターホンが鳴る。玄関に向かい、扉を開ける。


 「おはよ、きょーや」

 「ん、おはよう、あかり」


 そう挨拶を交わし、部屋に招き入れ鍵を閉める。


 「あ、ネクタイしてないの?」

 「ん? あ〜、さっき顔洗ったばっかだったからね」

 「それもそっか。お邪魔しま〜す」


 リビングに入り、そのままキッチンに向かう。


 「お父さんとかとは住んでないの?」


 ふとそう問いかけられ、僕は正直に答える。


 「父さんは多分、結構早い時間に出てったんじゃないかな。父さん、割と忙しそうだから」


 慌ただしそうな父さんを思い浮かべつつクスッと笑いながら冷蔵庫からうどんを取り出す。水で解いても良いやつで、時間のあまりない時でもサッと食べれるので意外と重宝しているのだ。


 「ほへぇ〜。あ、私、手伝おっか?」

 「ん〜……じゃあつゆ作ってくれる?新しいタレはそこに置いてるから」

 「は〜い」


 器を用意しつつ、予備のを常に一本多く買ってあるため、それを指し示しつつ、ザルに麺をぶち込む。


 「これくらいがいい? それとももう少しタレ多い方が良い?」

 「ん、大丈夫」

 「おっけ〜」


 小さじスプーンを向けられ、それを味見し問題ないと伝えつつ、その中に麺を入れていく。付け合わせに刻みネギと天かすを少々入れそれをリビングに持っていく。互いに向かい合わせで座り、両手を合わせる。


 「いただきます」

 「いただきま〜す」


 それからは食べ終えた後は寝癖を直されたりしたが、片桐さんはどうやら世話好きらしい。僕も寝癖を直しているときは終始楽しそうだった。



 「それじゃ行こっか」

 「うん」


 支度を終え忘れ物ないか確認しつつ靴を履く。そういえば朝はほとんど一人だからこうして「誰か」がいるというのは珍しい。


 「ん〜? どうしたの?」


 僕の表情に気付いたのか顔を覗き見るように首を傾げる片桐さんに僕は首を振る。


 「何でもないよ。ただ、そう……珍しいなって思って」

 「……珍しい?」

 「今日みたいに父さんは朝早くから家出るからさ、いつも僕一人なんだ」


 片桐さんを見ながら苦笑し戸締りもその時に確認する。その時、片桐さんと目が合う。


 「そ、それじゃあ…さ」

 「うん?」

 「明日も……来て良い?」


 僕の目を見つつ首を傾げる。僕は見返し、頷く。


 「良いよ。後で鍵渡すよ。あ、でも僕が寝てる時はノックしてくれるとありがたいかな」

 「良いの!?」


 食い気味に身を乗り出し、結構な顔の近さに自然と後ろに仰け反りつつ頷く。それに片桐さんは顔を明るく笑み、嬉しそうに「やった!」と声を上げる。まぁ、父さんには後で言っておこうかな。


 「っと、そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ」

 「あ、そだった」


 扉を開け外に出る。僕の後に片桐さんが出てくるが、「行ってきます」と片桐さんが言った。僕の丸くした目に気付いたのか、笑い返してくる。


 「だって、一緒に出たし、それにこういう時はこう言うでしょ?」


 片桐さんの言葉に合点がいく。僕は頷き、ふと部屋を肩越しで見つつ、


 「行ってきます」


 初めてと言って良いのだろう。そう言葉を落としたのだった。




⭐︎




 学校に行けば皆からの視線が痛かった。けれど、片桐さんはどこ吹く風といった感じだったし僕自身声をかけられることもなかったため気にする素振りを見せず過ごす。とはいえ、ひそひそと声を上げるのは聞こえていたのだが。

 これじゃあ新しい本に集中できやしないなと嘆息し教室を出る。トイレに行った矢先、前田くんと出会す。少し戸惑ったけれど気にしないようにしつつ入る。


 「あ、なぁ、恭弥」

 「……何?前田くん」


 声を掛けられると思っていたけれど十中八九掛けられる。僕は諦め、応対する。


 「片桐と来てたけどもしかして付き合ってんの?」


 それは誰しもが思うだろう。一見外見が陰険な僕ととてもお洒落そうな片桐さんが並んで、それも仲睦まじそうに来たのだからそう思って然るべきだろう。


 「うん。付き合ってるよ。それがどうかした?」


 手を洗いつつ聞き返す。前田くんは「いんや」と言い首を振る。


 「ようやっとお前にも春が来たんだなってな」

 「なんだよそれ」


 彼の言葉に僕は笑ってしまう。前田くんとは中学からの付き合いでもあるため、あまり喋らない僕のことはクラスの中でも前田くんだけだろう。それもあってか前田くんの目は優しげだった。


 「色々あいつら邪推してっけどよ、俺はお似合いだと思うぜ」

 「あ、ありがとう…?」

 「ははっ、自信持ってけよ恭弥。お前、身形整えりゃあかっけぇんだしさ」

 「えぇ、そうかなぁ」

 「あぁ、そうだって。じゃなきゃあ『あの』片桐はお前と付き合ったりしないだろ」


 片桐。それは実に単純。片桐さんはあまり異性に対して良い思いを抱いていないのだ。過去に何かしらあったようだが、僕は詳しくは知らないし、片桐さんが話してくれるまではそういったことは聞かないようにしようと決めている。だとしても、自分にはそれほどの魅力はあるのだろうかとも思ってしまう。僕は僕の思ったままのことを行動したり、口にしたりしている。たまぁに嘘はつくけど基本的にはそうだ。


 「ま、見たとこ片桐の方がお前に入れ込んでるみたいだしな。恭弥って顔にあんまり出なそうだしな」

 「それは否定できないかな」







 「ねぇねぇ、あかり〜」

 「一緒に登校してたのってぇ、もしかして嶋山くん?」


 きょーやと一緒に登校したらみんなからの視線凄かったなぁ。あんまり声掛けられてないけど私たちの会話に聞き耳立ててる人とかもいるみたいだし。


 「そだよ〜かっこいいでしょきょーや」

 「え、何で付き合ったの? 今まで全然そんな素振り見せなかったじゃん」

 「そーそー。ウチらが良い男子紹介しようとしても頑なに断ってばっかだったあかりちゃんがまさかクラスの男子と付き合う〜なんて聞いてなかったなぁ〜」

 「だってそりゃあまぁ……昨日から、だし…」

 「えっ!? マ!? 理由は!?」

 「え、えっと……ほら、私、バイトしてんじゃん? それで呼び込みしてるときに知らない人たちにナンパされちゃって」

 「あ〜あかりってかわいい系の美人だもんね〜」

 「それにあそこの制服って可愛いもんね〜。それで颯爽と助けてくれたと」


 私はその時のことを思い返す。ほんと偶然だった。偶然、通りかかったきょーやと目が合った。それも自販機で飲み物買ってすぐだった。きょーやってばすごい気まずそうにしながら溜息ついてたっけなぁ。なんて事を正直に二人に言う。二人ったらけらけら笑っちゃって……もう。


 「ぷはっ、そりゃあサイナンだったね〜嶋山くん」

 「ちょ、私の心配してよー」

 「えーあかりちゃんってばものっそい人相するじゃんそういう時。それ見られたんじゃない?」

 「うっ……た、多分してたかも」

 「ほら〜。んでんで?そん時はどないして助けてくれたの?」


 私はうっと言葉に詰まり返答しつつも次の質問にも正直に答える。


 「えっと……声掛けてくれて、きょーやが彼氏役してくれて自分の飲み物を私に渡してくれたかな。それこそすごい自然に」

 「え、マジ? 嶋山くんのそんなとこ見た事ないんだけど」

 「ウチも〜」

 「私も見た事なかったけどすごいかっこよかったよ〜!少し長い前髪から見える細まった切れ目がかっこよくてさ〜。ちゃ〜んと彼氏って感じの雰囲気出してたんだよね」

 「うわ、紳士じゃん。てか女慣れしてるんだね」

 「ううん、してないと思う。きょーやが彼氏を演じてくれたから私も演じなきゃって抱きついた時にちっさい声で「うっ」って吃ってたんだ。一瞬だけ顔が引き攣ってて「あ、これマズったかも」って思ったくらいだもん」


 そう。きょーやは自覚してないと思うけど、私はきょーやを試してたとこもあった。別にあそこまでくっつかなくても良かったけどそれでもきょーやはすごい困ったような顔を一瞬浮かべて脂汗滲んでたなぁ。


 「それでね、ナンパしてきた人たちに見せつけるようにこう、顔近づけたんだ〜。あ、ちゃんと私に「顔近づけるけど大丈夫?」って声掛けてくるくらい優しくてさ」


 あの時の目は優しげだった気がする。困ってた感じもあったけど、それでもこの場を乗り切るには仕方ないってのも浮かべてた。私は頷いてきょーやがその場を何とかしてくれたんだよね。


 「あ、勿論、ちゅーはしてないよ? こう……なんていうの? ほら、演劇のときにするみたいな感じでさ、そんな感じの事して切り抜けてくれたんだ」


 私はそう話しつつ、右の横髪を人差し指で弄ばせる。言ってて少し恥ずかしくなってきちゃったな。けど、きょーやのことを好きになったのはもっと前。それも二人には言ってないし、多分きょーや自身覚えてないと思う。だってそれはまだ中学の頃だったし見た目も違ってたから。

 その時に教室から出て行ってたきょーやと目が一瞬合った。たったそれだけでも私は嬉しかったし、ほんの少しだけきょーやが微笑み返してくれた気がした。きょーやはすぐに自分の席に戻って本を読み始めていつもみたいに自分の世界に入ってっちゃったけど。


 「いやぁ〜めでたいですなぁ〜」

 「そうですなぁ」

 「な、何その反応……」


 二人の反応にちょっと引く。生暖かい目とニヨニヨした顔がちょっと……キモい。


 「こりゃあ、見逃せませんなりっちゃん」

 「そうですなさっちん」

 「ち、ちょっと……?」


 けどまぁ……二人からはなんとなくだけど私の事を応援してるような感じはするけど……まいっか。




⭐︎




 学校が終わり、片桐さんをバイト先の喫茶店に送り、時間潰しに鍵屋に赴く。住んでいるマンションの鍵は複製可能な鍵なので、財布に入っている金額でも行けると判断したからだ。とはいえ、金額は本をまとめ買いするくらいの出費だったが……まぁ良いだろう。良いと思いたい。その複製を待つ傍ら、今度は本屋に行く。片桐さんがどう思うかだが、なんとなくこのままじゃダメじゃないのかと思い、普段読まないそっちメインの雑誌を手に取る。


 (片桐さんのバイトが終わったら聞いてみようかな)


 ペラペラと流し読みしつつそう思い、一応その雑誌を購入する。本屋から出た時にちょうど複製が終わったと連絡が入り、再度向かい、受け取り、することも無くなったから喫茶店に向かう。後数時間余裕があるが……まぁ、昨日買った本もあるし良いだろう。


 「いらっしゃい彼氏くん」

 「あ、あぁ……どうも」


 喫茶店に入るとミカさんが応対し、彼女の言葉に吃りつつも会釈し、昨日座った席に向かう。


 「ご注文は?」

 「えっとじゃあ……ブレンドをブラックで」

 「畏まりました。っと、あかりくんが来るまでまだ時間があるけれど良いのかい?」

 「構いませんよ。待つのは好きですから」

 「そう。ならごゆっくり」


 これからは毎日通うことになるだろうなと思いつつ本を取り出す。読んでいる間に頼んでいたものが置かれ、鼻腔を擽られる。読みながらも自ずと手を伸ばし、口に含む。程よい苦味とそれでいて円やかな甘味と豊潤な香りが口内を包み、喉に流し込まれる珈琲は程よく食道を灼いていく。熱さも丁度良く、僕は笑みを浮かべ読書を続けるのだった。




 片桐さんのバイトが終わり、その帰り道。


 「あかり」

 「ん〜? な〜にきょーや」


 僕は立ち止まり、鞄から鍵を取り出し、片桐さんに渡す。


 「ぅえ? これって」

 「僕の家の鍵。いつでも入って良いって言ったから作ってもらったんだ。複製したのは僕が使うから、持っててよ」


 僕の言葉に目を丸くして鍵と僕の顔を交互に見る片桐さん。


 「て、てっきり冗談だと思ってた…」

 「まさか。僕はあまり嘘は吐かないよ。吐くとしてもまぁ……相手に利益がある時かも。まぁ、数える程度しかないけどね」

 「……えへへ。そっか……ありがときょーや」

 「うん」


 きゅっと鍵を握り締め、ふわっとはにかみ、少しだけ赤い顔をした片桐さんの笑顔に僕は目が離せなかった。きっと僕は少しずつ片桐さんを知っていくのだろう。彼女の好きなもの。嫌いなもの。得意なこと。苦手なこと。はたまた彼女すら知らない一面も。色々見ていく中で僕は片桐さんを好きになっていくのだろうと再認識した瞬間だった。



 「それじゃあまた明日ね」

 「うん、また明日」

 「おやすみ、きょーや」

 「おやすみ、あか…」


 片桐さんを部屋の前まで見送り、自分も自分の部屋に向かおうと片桐さんにそう挨拶をし、離れようとした瞬間に彼女の顔が近づいた。そのすぐ後に自分の唇に柔らかな感触とほんの少しの湿り気が当たった。キスをしているのだと気付いたのは片桐さんが離れた時だった。あまりにも不意打ちすぎて思考が追いつかない。


 「……一度も、してなかったから」


 そう呟く彼女の顔は真っ赤だった。僕はその顔を凝視し我に帰る。


 「……そう、だったね。あかり」

 「うん?」

 「……」


 次に言おうと決めていた言葉が口から出ない。言いかけた口は自然と閉じる。片桐さんは首を傾げ見つめてくる。僕は息を長く吐いて、決心したように言う。


 「………もう一度、していい?」

 「うん。良いよ」


 僕の言葉に被さるように彼女は頷く。今度は僕から腰を屈め、片桐さんがしやすいように合わせる。互いに近い距離になった時に、


 「……今度はきょーやからして?」


 小さく、けれどその声は甘く、僕の耳朶を擽った。僕は反射的に頷き、小刻みに震える唇を何とか触れる程度だが、片桐さんの唇に重ねた。


 「んっ…」


 片桐さんの吐息混じりのその声にドキッとした。淫靡で可愛らしく、僕の何かが崩れるように壊れそうだった。これ以上は身がもたないと判断して離れる。その時間は長く感じた。途轍もなく。


 「ふふっ。どう、だった?」

 「……すごい、ドキドキする」

 「私も」


 彼女の問い掛けに僕は一拍の間を開けてから答える。顔が熱いのを自覚する。自然と彼女から目を顔ごと逸らす。すると両頬を片桐さんに抑えられ、強制的に向かされる。


 「だ〜め。私のこと、ちゃんと見なきゃヤ」

 「……ごめん」

 「ん、わかった?」

 「うん」

 「ふふっ、良し」


 そんな遣り取りにクラクラしかける。これが「好き」なのだろうか。これからも、こんな感じの事をしていくのかと思うと、僕の心は保つのだろうかと思った。


 「ね、きょーや」

 「……なに?」

 「……大好きだよ」

 「うん。多分……僕も」

 「いっぱい作っていこうね」

 「そうだね」


 至近距離で見つめ合い、笑い合う。そんな甘く、蜂蜜のような蕩けたそんな時間をほんの少しだけ過ごした。


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