恋を知らない僕がきみに恋をする
海澪(みお)
第1話
彼女との出会いはある種普遍的なものだった。放課後、読んでいた本の続巻がでたのだと知り、いつも立ち寄る本屋に行った帰り道だった。通りにあった自販機で適当に買いつつもふとその先の光景に目が行った。いつもなら無視をしていた。いや、気づかないフリをしていた。例えばナンパ。例えばキャッチ。「自分に関係のない」ものなのだから関わったところで面倒なだけ。そう思っていたのに。
「ねぇ、きみ一人? なら俺たちと一緒に楽しもうよ」
「……うざい。話しかけないで」
「釣れないなぁ。ね、行こうよ」
「やめて。ってか、手離せよ!」
ナンパだ。僕は兎に角通行人として通り過ぎようと思った。のに……目が合ってしまった。それはもうばっちりと。普段ならそういった現場は見ないことに限るのに何故かその時は目を向けてしまった。それも見知った顔だった。だとしても僕は身を呈すことはしないはずだった。
「……お待たせ片桐さん。飲み物これで良かった?」
声をかけてしまった。その行動に僕は少なからず動揺していた。何故僕がこんなことをしたのだろうと。けれどしてしまったものは仕方ない。どうにかなればいい。
「あ、もう〜! おっそいよ〜きょーやくんっ」
「……は? お前が彼氏なの?」
「こんなむっさいイモ男子じゃ釣り合わねぇって」
片桐さんは明るい口調で僕に近寄り、挙句には腕を絡めてくる。僕はその女の子特有の匂いや温もり、感触にぴっしりと固まる。が、ナンパ男たちの言葉で我に帰る。ひとまずはこの場をどうにかするしかない。生憎、僕は女性付き合いはないが、それでも彼氏を演じればいい。それなら簡単なことだ。
(片桐さん、顔近づけるけど我慢して)
(へ? う、うん。別にいいけど……)
距離が近い故に彼女にだけ聞こえる声量でそう伝え、ナンパ男たちに見えるようにわざと片桐さんの顔に迫る。彼女の背は僕より低い。だから頬に手を当て、クイっとあげ、見せつけるようにキスをする。とはいえ、自分の唇を当てる前に自分の親指を当て、その上に唇を当てた。離れる瞬間に親指を離し、わざとらしくリップ音を出す。離れる傍ら、流し目で驚きに固まっているナンパ男たちを見てからフッと笑みを浮かべる。
「じゃ、そういうことだから。これ以上話しかけないでね。行こっか」
「んっ! いこ」
足早にけれど片桐さんの歩幅に合わせてその場を去る。
⭐︎
「ごめん。あんなことくらいしかできなかった」
夜になりかけた夕暮れ。誰もいない公園のベンチに座りながら、隣に座っている片桐さんに僕は頭を下げる。
「えぇっ、ちょ、頭上げてよ。なんできみが謝る必要あんのさ」
「え、いや……だってこんな見た目だし?それに隠キャだし」
「ぷふっ……な、何それ」
僕の言葉にクスクスと笑っている。僕は変なことを言っただろうか?それがわからず、まじまじと彼女を見る。片桐さんはその視線に気付いてるようだ。僕の方を見ながら「だって、自分のこと隠キャって言わなくない?」とクスクスと笑いつつ言うのだ。あぁ、たしかにそれは一理あると内心納得する。
「ま、まぁ、あれだよ。住む世界が違うってやつ。そういうこと」
「え〜、きみもそんなことおもってたんだ〜意外」
「き、きみこそ僕をなんだと思ってるのさ」
口を窄める彼女をそんな顔でも美人だなと思いつつ苦笑する。
「え〜。物静かな人……?」
「なぜ、最後疑問系なんだ?」
「だって、話したことなくない?」
「まぁ、たしかにね」
片桐さんがカラカラと笑えば、僕はそれを見て苦笑気味にけれどそのおかしなことに楽しさを感じながら笑う。確かに、僕と片桐さんはほぼ話したことがない。クラスにいても僕は基本本を読むか、作業をしているからだ。クラス委員の前田くんとも会話をするがどれも当たり障りのない会話しかしないため、比較的クラスでは空気だ。
「でもね〜」
「うん?」
片桐さんは「ん〜と」と言いつつ言葉を続ける。
「私、きょーやくんと話してみたかったんだよね〜。あ、今更だけどきょーやくんって呼んでい?」
あまりに単純なことに僕は驚いた。そしてあまりに今更なことに僕は笑ってしまう。
「あ、なんで笑うの〜!」
「くっふふ……ははっ。いや、ごめんごめん。ほんと今更だなって」
笑いすぎて右目に涙を溜めていたからそれを拭う。
「ま、きみの好きなように呼びなよ。それより、それ私服? だったらすごい趣味だね」
そう。今の彼女の格好はメイド服と言っても過言なのだ。フリルがふんだんに使われている膝丈のスカート。これぞメイドというイメージにぴったりなのだ。僕はそんな片桐さんを指差しつつ首を傾げる。
「あっ! そう! そうだった! 私さ、バイトしててそれで呼び込みしてきてって言われてたんだ」
あぁ、成る程。それでナンパされていたと。合点がいった。
「それじゃあ、そのバイト先まで送るよ」
「え、でも……」
「またナンパされても今度は助けられないかもよ?」
「それもそっか。じゃあ、道教えるね」
あっさりと決まった。片桐さんは警戒心がないのだろうかとも思ったが、先の彼女の様子を思い浮かべればそんなこともないなと思い返す。僕は頷き、ベンチから立ち上がる。
「ねね、きょーやくん」
「ん?」
「はい」
「ん? ……うん?」
立ち上がった片桐さんはにこやかな笑顔のまま僕に右手を向けてくる。僕はそれになんぞ?と首を傾げる。
「ほら、きょーやくんうちのカレシなんでしょ?じゃあ手、握ってよ」
そういえばそう言ったな。だがそれはナンパから引き離すための方便なんだが。
「もしかして……いや?」
そんな目をされたら頷かざるを得ないじゃないか。
「……はぁ、わかった。今回だけだよ?」
「えへへ、やったぁ」
結局のところ僕が折れ、頭をガシガシ掻き、仕方ないなぁと思いつつ彼女の右手を左手で握る。片桐さんは嬉しそうに綻ばせ、身を寄せる。その時にふわっと柑橘系のいい香りがした。僕はその距離の近さに固まる。
「ん〜? どったの?」
「い、いや、なんでもない。行こっか」
「んっ!」
⭐︎
その後、片桐さんに道を教えてもらいつつ無事、彼女のバイト先の喫茶店に着いた。
「って、女性客しかいないね」
「だってここ女性専門のカフェだもん」
……………それを早く言ってくれ。
「じ、じゃあ、僕はこk……」
「ささ、入って」
「なんで!?」
にぃ〜と笑いつつ片桐さんはドアベルを鳴らしながら中に入る。僕はどうするべきかと逡巡するが手を握っていることも含め、先に片桐さんが入って行ったのが決め手となった。僕はもうなるようになれと半ば自棄くそで入る。
「あ、おかえり〜あーちゃん」
「ただいま戻りました〜」
「あれ、あーちゃん。隣の男の子ってもしかして彼氏くん?」
「えぇ〜違いますよ〜私、ナンパされちゃってそれで助けてくれたんですよ〜」
「え、マ?」
中々にどうして……お洒落な内装じゃないか。僕はもう一人の店員の女の人と会話する片桐さんを横目に店内の様子に感嘆の息を吐く。
「ねね、きみきみ」
「え? あ、はい」
唐突に話しかけられ、身を固めながらも話しかけてきた金髪に近い茶髪の毛先を遊ばせた店員を見る。名札を見ると「ちぃ」とあるため、恐らくそれがこのカフェでの名前なのだろう。
「あーちゃん助けてくれてありがとね」
「あ、あぁ、いえ…成り行きでそうなっただけなんで…」
そしていつの間にかいなくなっている片桐さん。恐らく店の奥へ行ったのだろう。
「もすこしで来ると思うから、一杯飲んできなよ」
「居酒屋みたいなノリで言わないでくださいよ」
「にゃっはは! まさかそんなツッコミされると思ってなかったよ」
元気に笑うちぃさんに僕は左頬を引き攣らせつつ「ははっ」と笑う。
「で、でもここ、女性メインのカフェなんですよね? 僕がいていいんですか?」
「あ、い〜のい〜の。ごくたま〜に男性も来店するからさ」
「は、はぁ……ではお言葉に甘えて珈琲いただいてもいいですか?」
「はぁ〜いっ、承りました〜。じゃ、好きな席に座って待っててね〜」
ちぃさんはそう言うや否やカウンターの中へ引っ込んでいった。僕はそれを見送り、さてどこに座ろうと軽く店内をもう一度見回す。あ、奥の席空いてる。そこにしよう。
座ったあとは手持ち無沙汰になった。まぁ、読み途中の小説あるしそれを読めばいいだけだけど。
「お待たせ致しました。ご注文の珈琲です」
本を取り出し読んでいること数分。目前のテーブルに珈琲と何故かチョコのケーキが置かれた。僕は顔をあげ、「頼んでない」と伝えようとしたが。
「これ、サービス。あかりくんが終わるまで待っててあげて」
「は、はぁ……じゃあ、いただきます」
ボーイッシュな女性だと見たときそう思った。名前は……ミカさんというらしい。黒髪をかなり短くとはいえ後ろ髪と横を短くしている髪型でなんていう髪型なのかは定かではないがとても似合っている。彼女の申し出を受け取り、本を左手に持ちつつケーキを食べる。あ、美味しい。
「美味しい」
声に出てたみたいだ。フロアに戻ろうとしていたミカさんはクスッと微笑み「嬉しい言葉ありがとう」と言ってから戻ったため理解した。声に出るとか恥ずかしいな……。
「…………」
片頬を掻きつつ一つ息を吐き、読書に集中する。モダンでアコースティックな音楽が流れる店内。ゆったりと流れているように感じるなか、女性客の話し声をバックに只管にページを手繰る。それからどれくらい時間が経ったのか定かではないが、そろそろ本のページも後半に差し掛かる頃。
「きょーやくん」
ポンと右肩に手を置かれた店内には和やかな雰囲気と談笑に花を咲かす女性客、それと音量を低めに設定しているのであろうゆったりとした曲調をBGMとして本を読んでどれくらい経過しただろう。そろそろカップの珈琲も飲み終わろうとしていた時に右肩を優しく叩かれる。僕は本を閉じ、そちらを見ると片桐さんが立っていた。カフェの制服ではなく学校の制服でだ。
「仕事は終わり?」
僕は純粋にそう聞きつつ傍らに置いた鞄の中に本を仕舞う。彼女は「うん、終わったよ〜」と柔らかな口調と共にそう答える。それを聞きながら鞄を持ちつつ立ち上がる。
「それじゃあ帰ろっか」
「ん」
伝票も持ってレジに向かう。どうやら珈琲もケーキもセットでの注文でもリーズナブルなお値段だったりするので、だからこんなに女性客もいるのだろうと納得した。
「お先失礼しま〜す」
「おっつかれさま〜あーちゃん。それと彼氏くん」
「……いや、彼氏じゃあ……あぁ、いえ。別に良いです」
訂正をしようと思ったが隣の片桐さんをチラリと見てから「まぁいいか」と思いサッと会計を済ませ、店を出る。夏に差し掛かろうとしているとはいえ、夜に近い時間はほんの少し肌寒かった。
「家、送ってくよ」
「え、いーの?」
「だって、今日は彼氏なんでしょ?だったら家まで送るよ」
きょとんとした顔で見つめてくる片桐さんを横目に僕は彼女の手をそっと握り、空いた手で父さんに『帰りが少し遅くなる』とメッセージを送ってから歩き出す。
「……優しいんだねきょーやくんって」
ふとそんな呟きを聞き取る。僕はふと、自分は優しいのだろうかと自問してしまう。どうやらそれを片桐さんは察したのだろう。くすくすと笑い、「無自覚なんだ」と言う。確かに、今考えたが人が考える「優しい」というものに分類される言動をしていたかどうか定かじゃない。というより、
「あんま、考えたことなかったかも」
そう僕は言葉にした。今思えば考えたこともなかったと自覚した。
「ふふっ、きょーやくんって最初見た時冷たい人かもって思ってた」
「あ〜……まぁ、吊り目だしね僕」
「それに喋ったとこあんま見たことないし」
「それは確かに」
「ね、きょーや」
彼女は立ち止まり、僕も追随して止まり、ふと彼女を見る。先程までの呼び方と違うと気付いたのもあるけれど。
「私、とさ……ほんとに付き合ってみない?」
風で揺れる彼女の綺麗な髪。まだ落ちていない夕日に彩られ、彼女の顔の赤さもきっとその熱で赤いのだろうと僕は思った。告白をされているのだと自覚したのは彼女の半ば潤んだ瞳を見てからだった。僕は少し迷ったけれど本心を伝えるべきだと思った。だから──────。
「──────ごめん。僕は一度も人に感情を抱いたことがないんだ。だから
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