第7話 謎の運転手

 バスは何事も無かった様に停留所を幾つか越えて目的地目指して一目散に進んでいた。

 時折り、さっきのお爺ちゃんが『B-29の爆撃が来たぞー、早く逃げんとーっ』て頭を擦りながらうわ言のよーに繰り返していた。

 ごめんねお爺ちゃん……戦争体験をペットボトルで思い出させたなんて、もうあたしこれって一生のトラウマだわ……。

「次はぁー某高校前、某高校前ぇー、間もなくー到着です。お降りの際はーお気をつけー下さい」

 車内アナウンスが、あたし達の目的地を告げてようやく校舎が見えてきた。

 ふぅ、やっと着いたわ。さぁ! 急がなくっちゃ!

 タブリスを促して、いそいそと定期券を取り出して運転手に見せる。

 扉が開き外気のもわっとした暑さが肌に触れて、それはもう天国から地獄。それも仕方が無い。

 タラップを先程と同じよーに軽くジャンプしてぴょこぴょこと降りていくタブリスについてバスを降りた。

「お客さん。何か落としましたよ」

 え? ノート? ペットボトル? そんな音しなかったけれど?

 不意に声を掛けられて、慌ててポケットと鞄を探るあたしの目の前にトントンとバスを降りてきた、頬の少しこけた運転手が立った。

「ど、どーもすいません。で、小銭か何か……」

 その運転手は、被っていた帽子を殊更に目深に被りなおすと、口許にぞっとする程の笑いを浮かべて言葉を発した。

 男の声は闊達として、何かを切り落とす様な太く鋭い鈍器の如く。

「運命とは、自分で切り拓くものじゃないのかい? 誰かに与えて貰うものじゃない。これから先覚えておかなくちゃならないのは、君は君自身として歩いていかなくちゃならないってことだ。飲み込まれたらそれでお終いだよ」

 !? 言葉にならない戦慄が、頭のてっ辺から足のつま先までを稲妻の様に轟きながら貫いた。

 氷の様に凝固した脳髄が、滅茶苦茶になって思考を押し潰す。ぽたりと落ちていく汗が、淀んだ黒い塊の様にその恐怖を捉えて地面に吸い込まれていった。

 それだけ言い終えるとくるりと背を向けて、ゆっくりと運転席に戻って行き白手袋でハンドルを握る。

 声が出ない。

 閉まりかけた扉の向こうにある答えの欠片に必死に追いすがろうと、懸命に喉の奥から空気の振動を求める。

 扉が閉まった。

 遂に声は出なかった。


 やがてバスは、いつものルートをそのままなぞる様にぼんやりと見えなくなっていった。

 いつの間にかべったりとした汗を握りこんでいた両手をようやく開放し、昂ぶる鼓動を抑えて、へたへたとその場に崩れてしまった。

 何が起こったの? 急に身体の震えが今になって両足を支配する。

 大地に縫い付けられた様な感覚が、その場から動くことを許さない。

 それはほんの一瞬の出来事。

「どないしたんや遥果!?」

 タブリスの声で我に返ったあたしは、見開いた瞳と呆然と開いた口で振り向いた。

「何があった?説明せぇ!」

 けたたましくがなりたてる声が頭の中の崩れてしまったブロックをようやく積み上げるかの様に押し上げて、張り付いた舌の感覚を摩擦し、やがて喉の奥から声を絞りとるように引き出す。

「……今の声、聞いてなかったの?」

 一際の逡巡に困惑の表情を浮かべて頭を振る。神様が聞き逃したなんて?

 それは一体……。

「それよりも、これはどないしたゆーんや……わし、自分の目ぇを疑ごうてしまうわ……」

 バス亭は学校の正門のすぐ近く。

 大遅刻したあたしはすぐさまにでも飛び込んで行かないといけないのに……。

 どうなってるの? あちこちから制服を着た生徒達がこの門を目指しながら駆け込んでくる光景。

 ……あたしだけの運命が狂ったわけじゃ……ないの?

 神様が、目の前で唇をギュッと噛み締めてジリジリとした灼熱の太陽の中で立ちすくむ。

 さっきの言葉を頭の中で何度も繰り返す。

 飲み込まれる? 何から? 誰から?

 そんな二人を他所に、無数の生徒達が学校という舞台へ、まるで飲み込まれていく様を、只々見送るしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お願い!フラグの神さま!! ぞう3 @3ji3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ