第11話

「あ」


 由紀恵の、自らが結花に成り代わって未来予知を再現するという作戦はもろくも崩れ去った。


「やった! 生理きた! 妊娠してなかった!」

「ちょ、ちょっと」

「うち、今まで予測した日に来なかったことなかったからすごく焦ってたんだよね!」

「それはわかったから、離しなさい」


 こころが、急にテンションを取り戻して抱きついている結花を振り払い、由紀恵のもとへ近づいてきた。


「あの、魔法士さんですよね?」


 こころがしゃがんで、心配そうに話しかけてきた。


「う……」


 由紀恵は、答えようとしたが、すぐに猛烈な吐き気が襲ってきて、起き上がるとすぐにトイレへ駆け込んだ。

 二日酔いの日の朝のような、強烈な吐き気と頭痛だった。

 由紀恵が未来を変えてしまったため、タイムパラドックス症候群が起こったのだ。幸いにも吐き気と頭痛以外の症状はないので、予想していたよりはマシだと思う他なかった。


「魔法士さん! 大丈夫ですか」

「大丈夫、じゃない、けど~」

「えっ、魔法士さん? なんでうちの学校に?」


 結花はやっと由紀恵の存在に気づいたらしい。そんなに生理が嬉しかったのだろうか。


「それはひみつ! 魔法士のお仕事でちょっと寄ってただけ! わたしのことは気にしないで!」

「でも魔法士さん、大丈夫じゃないですよね?」

「うう~」

「どうしちゃったんですか? もしかして妊娠?」

「そんなわけあるか~!」


 由紀恵はこみ上げるものに抗わず全て吐ききって、トイレを流した。

 女子高生の前で何やってるんだろう、わたし。

 気分の悪さと、作戦失敗による劣等感が由紀恵を襲い、へなへなとトイレの中で崩れおちたまま、由紀恵はしばらく動けなかった。


「こころ、ナプキン持ってない? うち、けっこう量多いからやばいんだけど。垂れちゃう」

「今持ってない。保健室で借りてくれば」

「そっか」


 結花は去っていったので、由紀恵とこころの二人になった。


「魔法士さん、開けてもいいですか」

「うーん……いいよ」


 このまま一人で逃げ切るつもりだったが、想像以上に強い倦怠感があり、由紀恵はこころの手を借りることにした。


「あの……なんでここにいるんですか。しかもうちの制服着て、ウィッグして、トマトジュースを破裂させて出血したみたいに」

「うーん、気分悪すぎてなんもわかんない」

「大丈夫ですか」

「保健室まで、肩かして」

「はい」


 助けようと思っていた依頼者のこころに、助けられる羽目になるなんて。これは由紀恵の魔法士人生で一生の恥になるな。朦朧とする意識の中で、由紀恵はそう思った。


* * *


次に由紀恵が目を覚ました時、見知らぬ天井の蛍光灯を見ていた。

どうやら、病院の個室らしかった。


「ん……?」

「気が付きましたか」


 由紀恵が寝ているベッドの脇から、聞き慣れた男性の声がした。

 天原聖人。


「あー終わった」


 由紀恵は全てを察して、そう呟いた。


「こうして直接話すのは久しぶりですね。ビデオ通話では何度も話していますが」


 聖人は、その名の通り聖なる人のような優しい笑顔で由紀恵を見ていた。

 由紀恵は身震いした。

 予知魔法を使用したことは、何があっても天原聖人にバラしたくなかった。魔法士として、予知魔法を魔法庁の許可なく使用することは魔法士法に違反する行為であり、最悪、魔法士の認可取り消しを受けても仕方がないのだ。


「予知魔法を使いましたね?」

「……」


 由紀恵はとりあえず黙っていた。ずっとしらばっくれていれば、予知魔法を使った事自体は聖人にばれないかもしれない。


「一週間ほど前、花屋で樒を買ったそうですね。それが日和佐家に伝わる予知魔法の魔法式に必要なんですね」

「なんで知ってるんですか」

「日和佐先生に電話して聞きました」

「えっ実家に電話したんですか!?」


 由紀恵は驚いて、飛び起きた。

 聖人だけならともかく、実家に知られるのはもっとまずい。由緒正しい魔法士の家系である由紀恵が、魔法士法違反を犯したと知られたら。破門されてもおかしくないのでは。


「電話に出たのは日和佐の奥さんでしたし、予知魔法の使い方を調べているとだけしか伝えていないので、由紀恵さんが許可なく予知魔法を使用したとは思っていないでしょう」

「そ、そうですか、よかった……」

「予知魔法、使用したんですね?」

「……はい」


 ダメだ。聖人には、勝てない。

 由紀恵は大人しく認めることにした。


「心身共に盤石な由紀恵さんがここまでダウンするなんて、何かしら魔法による悪影響が出たとしか思えなかったので。何の魔法を使ったのか、というのは私にはわかりませんが」

「もうちょっとだったんですけど」

「二度としないでくださいね」

「はい。絶対しません。気分悪くなりすぎて次は絶対無理です。今もまだ気分悪いし」

「みんな、飲みすぎた次の日は二度と飲まないって思うものなんですよね」


 聖人は荷物をまとめ始めた。出ていくつもりらしい。

 由紀恵以外の魔法士も受け持っており、多忙な聖人がわざわざここに来るのは由紀恵にとっても予想外だった。早く東京にある魔法庁本庁へ戻らなければ、彼の業務に支障が出るだろう。

 とはいえ由紀恵は、どうしても聞いておかなければならない事があった。


「あの……処罰はどうなりますか」

「考えていません」

「え」

「私と由紀恵さんだけの秘密にしましょう。今のところ他には漏れていないようですし、由紀恵さんが本気で隠せば大丈夫ですよ」

「い、いいんですか」

「悪いことをするために使った訳ではないと思いますし、タイムパラドックス症候群を受けた件でもう懲りたと思いますので」

「は、はあ……よかった」

「ただ、依頼者の朝日こころさんとはもう一度よく話してみてください。あの子、由紀恵さんがダウンしてから私が引き取るまで、ずっと看病してくれていたんですよ」

「そうだったんですか……全然覚えてないです」

「もう一度依頼者と話して、その内容を報告していただければ、本件は完了としましょう」

「はい……」


 命拾いした、と思った由紀恵はベッドにゴロンと寝て、またしばらく眠ろうとした。

 しかし、ベッド脇にある時計を見て、急に頭が冴えた。

 由紀恵がこころたちの間に割って入ったあの日から、いつの間にか丸二日も経っていたのだ。

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