Ⅰ 未知の細胞 〜朝日奈綾の章⑥〜

木には丸いサッカーボール程の大きさの果実が生っており、ボールの中からは甘いミルクが流れ落ちていた。

それを全て飲み干すと、とてもいい気分になり、体が宙に浮くかのような心地がしてきた。


そのまま更に右手へと飛んで行くと、小川が見えてきた。

そしてそこでは、色とりどりの衣装に身を包んだ美しい乙女達が、丸いふくよかな身体の線を浮き出させて水遊びを堪能していた。


豊満な胸、くびれた腰、水を弾くキメの細かい肌、長く美しい黒髪、細く通った鼻梁……理想的な身体を持った乙女達であった。


その光景をずっと眺めているとその娘達はこちらに気付き、手招きをして誘ってきた。


リョウ……リョウ……


リョウ!!






副院長は汗だくになりながらも機械の調整を行っている。


その機械は宇宙線に含まれているアザトローブ粒子を人工的に作り上げる物で、その粒子をダーウィン細胞にぶつけると、青く変色し、かつ急激増殖を始めるのだ。


副院長の操る機械で院長はダーウィン細胞を捜し出していた。


ダーウィン細胞は人間の五体に一カ所づつあり、頭部にあるダーウィン細胞は頭の形質を変化させ、左腕にあるダーウィン細胞は左腕の形質を変えるのだった。


綾のように胴体……肺、脊椎、小腸の方に少々といった手術をする場合は頭部のダーウィン細胞を使うのである。


大脳は実は左右に別れているだけではなく、更に何重もの層のように重なっているのだ。


人間本来の大脳皮質の下には爬虫類の物と見られる脳が、そしてその下には両生類のものと見られる脳が……という風に進化の過程を遡るかのように、幾重にも重なって出来ている。


その内、一番内側にある脳の中にダーウィン細胞は隠されているのだ。


「あった!!やっと見つけたぞ!!これが……ダーウィン細胞だ!!」








手術室の外には頭を抱えてうなだれている浩二と、その浩二に連絡をもらって駆け付けていた新堂早奈子の姿が確認できた。


「あの……な、何だか……中が騒がしくありませんか?」


「………………」


浩二は必死に我を抑えていた。


一人息子の命がかかった大事な曲面で、自分だけが全てを忘れて乱心するような真似だけは我慢がならなかった。


不安で心配で、とても堪らない気持ちだが、せめて息子の苦しみの十分の一でも味わおうと必死に堪えているのであった。


少しでも声を出そうものなら、そこから全てが崩れさってしまいそうな気がするので、早奈子の声にも耳を傾けようとしない。

それは隣で見ている早奈子にも充分伝わっていた。


しかし、心配の量を数値で比べるのなら、その数値が高いのは外ならぬ早奈子の方であった。


決して表には出さない早奈子であったが、その胸中に広がる不安の海は誰よりも深く、誰よりも広く……そして誰よりも色濃いものであった。






「リョウ! リョウ!……アハハハ!」


「キャッ! キャッ!! アハハハ」


「リョウ……さぁ、リョウ……」


小川で乙女達と戯れているのはとても楽しく、本来の自分の置かれている立場などコロリと忘れてから久しかった。


実際、これだけ美しい女性は今まで見た事がなかった。


乙女達はその身に付ける薄布を水に濡らして、悩ましい肢体をあらわに浮き彫りにしているため、いつまでもこのままでいたかった。


乙女達が河を渡り、対岸へと誘う。


フラフラとついて行こうとするが、何故かそこから先へは進めない。


「リョウちゃん……リョウちゃん……」


元いた岸辺の方を振り返ると、河の中央に一人の女が立っていた。


歳の頃は30代程であろうか。

優しそうな顔付きはどこか懐かしさを感じさせた。


「リョウちゃん……そっちに行ってはいけないわ……私はそっちの住人だけど……こっちにはあなたのお父さんも、待っている大切な人もいるはず……私は……お母さんはまだリョウちゃんに来て欲しくない……」


しきりにこちらに呼び掛けてくる様を見ていると、何故か対岸の美女達よりも、そちらの方に戻らなければいけない気がしてきた。


背中越しに先程まで美しい姿で、美しい声で笑いあっていた者達が、鬼の形相で叫んでいるのが感じ取れる。


とうとう中程まで戻り、その優しそうな女の手を取ると、女の外見が音をたてて崩れはじめた。


その下から出て来たのは心配そうな顔で真っ直ぐこちらを見つめる、新堂早奈子の姿であった。

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