Ⅰ 未知の細胞 〜朝日奈綾の章④〜

聴衆は皆、一様に静まり返り、一言も聞き逃すまいといった面持ちである。


「これは人間の体内にある、異常な遺伝子に正常な遺伝子を組み込んで治す療法ですの……


では、どうやって組み込むのかと言うと、現在、この世に数あるウィルスの中に『レトロウィルス』という細胞に入りやすいウィルスがありますの。

ご存知かの?……これをベクター(運び屋)に使う訳ですの。


1990年九月に、米国で重い免疫不全になる遺伝病である、アデノシンアミナーゼ欠損症の女性に対して実地したのが、遺伝子療法の始まりですの。


それ以降、世界中でこの研究は行われ、今まで少しづつ発展してきたわけですの。


日本では1992年に動物実験での成果がある程度認められて実際に人間の患者にも、手の施しようがない場合に限り、行われるようになりましたんじゃの。


今の所、成功率は低い状況にありますの……あまりにも治療の必要な部位が多かったりすると、レトロウィルスの仕事が追い付かなかったり、逆にレトロウィルスによる副作用なんかも起きて、致死率が高まったりとかですのぅ……。


私も研究者の一員としてこの問題の行き詰まりには非常に頭を抱えとったわけですの。


しかし、ある時身元不明の溺死体の司法解剖が依頼された時の事でしたの。


その時、その遺体の中である不可解な物を発見したわけですの!


いや、もちろんそれの死因自体は急に冷たい水中に落ちた為に起こった心臓麻痺でしたがの……しかし、私がそこで発見したものは……あきらかに『死後、体内から突出してきた物』でしたんじゃの!」


「ちょっとすみません!その突出してきたというのはどういう事ですか?

人の体内にもともとあったものが何らかの拍子に飛び出して来たという事ですか?」


どこかから質問の声が上がった。


「その通り!私はこの数年間、その物体について研究してきましたんじゃの!

そしてそれこそが今回の重大な発見なんですの!!

私は仮にその物体に『ダーウィン細胞』と名付けましたの。

生物進化論を唱えたダーウィンの名にちなんだ訳ですの。」


「先程説明しました通り、従来の遺伝子療法はレトロウィルスをベクターに使って外部から正常なな遺伝子を組み込む療法ですの。


しかし、これは外部から無理矢理に遺伝子を送り込むというものですからの、やはりどこかに無理が生じますわの!


ならばどうすればいいのか?……そうですの!!『自らの細胞自身に遺伝子を変えさせればいい』のですの!!」


一瞬の沈黙の後、会場内に驚愕の声が響き渡った。


それもその筈であった……今だかつて、学会でこんな大胆な発言をした者は、誰ひとりとしていなかったからであった。


「そしてそれを行うのが『ダーウィン細胞』なのですの!


これが今まで発見されなかった理由は、普段は他の細胞と全く見分ける事が出来ないという点にあるのですの。


ではどうやってそれを捜し出すのか?……それはある種の荷電粒子を当てる事によって急激に増殖し、そこから突出してくるという性質を利用する訳ですの。


そしてその細胞を見つけたら、その遺伝子に体中の細胞を変化させるように、ある種の方法で命令を出してやるという事ですの。


すると!癌に強い細胞になれと命令してやると、その通り癌の効かない体が出来るという寸法ですの。もう……皆さんお分かりですの……何故私がこの細胞に『ダーウィン細胞』と名付けたのか……


私はこの研究結果により、新しい仮説を立てたんですの。


それは、『この細胞こそが人類の進化を促した』のではないかというものですの!!


つまりまだお猿であった我々の祖先に『ダーウィン細胞』が人間に進化せよと命令を出したがために、現在の我々が存在するのではという訳ですの!!」


会見会場にいる人々はもちろん、ビデオを見ている浩二も、初見ではない筈の担当医でさえも、一様に言葉を失って、ただただ壇上の島崎明盛教授一人を見つめていた。


幾分立ち直りの早かった先程とは別の聴衆から質問が飛び出た。


「し……しかし、体中の細胞を変化させるとなりますと……副作用などの心配などが…………」


「成る程、いい質問ですの……はっきりと言いますがの……副作用は一切ありませんの!!」


その発言に会場からはどよめきが湧き起こった。


「そ……そんな!本当にそんなウマイ話が……」


「だって考えてみるがいいの。


別に変化すると言ってもSF小説のように皮膚が鉄のようになったり翼が生えたりする訳でもないんですの!

単に……そうじゃの……癌の免疫を持った人間になるだけですからの。

外部から取り込むインフルエンザの予防摂取ですら副作用は少ないですからの!


例えば、子供が大人に成長するのも私は『ダーウィン細胞』が何らかで絡んでおると思っておりますがの……そこに副作用が起こるもんかの?」






会場内に島崎教授を称賛する歓声が沸き上がっている時、液晶画面の前では浩二が何と言ってよいやら分からぬという風な顔をして座っていた。


「どうです?朝日奈さん?……」


副院長が鼻息を若干荒くさせながら、浩二に声をかけてきた。


「はぁ……凄いというか……何というか……」


「そうでしょう!……私も最初これを見た時は体の震えが止まらない思いをしたもんです……本当にこんな事が可能なのか?と思ったもんでした……」


「………………」


浩二は何やら深い感慨に浸っているかのようであった。


「……一つ……尋ねたい事があります……」


「ハイ、何でしょう?」


ゆっくりと間を取った浩二は、しっかり副院長と目を合わせて口を開いた。


「えぇ……この治療だと治せない病気はないといった感じでしたけど……それで治ったという……いや、その治療自体を行ったという例はどれほどあるんです?」


「私の知る限りでは、人での手術はまだないと伺っておりますが、動物実験では100%の成果を出してい…………」


「……なんですと?……」


浩二はゆっくりと、そしてなるべく穏やかな口調で聞き返した。


「……という事は何ですか?……あなたは人の息子で試すつもりだったと……私の息子を……実験材料にして……最初からモルモットにするつもりでビデオまで見せて……俺らを騙して!病院の名声を上げようとでも思ったって言うのかっ!!」


当初の穏やかさはどこへやら、今の浩二は煮えたぎるマグマを有した噴火直前の活火山と化していた。

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